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笑えないいたずら

【笑えないいたずら】

ーーーーT市内・路上


「ははっ、すごく面白いことになってきたなぁ」


 中村幸太郎はスマートホンでチョコラビ男の情報をチェックしながら、上機嫌で街を行く。

 今年で二十七になる彼だが、自分が興味を持ったことには少年のような無邪気さでのめり込んでしまう傾向があった。興味のスイッチが入ると周囲に迷惑をかけてしまうことを、親戚や友人に揶揄されることも多々あったが、彼自身はてんで気にしていなかった。そんな幸太郎にとって、チョコラビ男の噂話は興味を唆られずにはいられないものだった。


 あの日掲示板の書き込みを見て感じた予感はやはり間違いではなかったのだと確信する。いち早くこの騒動に目をつけた自分を称賛したいとさえ思っている。

 陽気に鼻歌を歌いながら住宅街を歩き、幸太郎は掲示板やSNSの情報で得たチョコラビ男の情報をスマートホンのメモ帳に整理していく。


 その日の十七時半過ぎ、地方掲示板のT市のスレッドにチョコラビ男の予告文章が投稿された。その時は書き込みに対して少しの反応があった程度で、特段見向きもされなかった。

 同日の十八時半頃、住宅街である北緑台の一画で女子大生が野球帽をかぶった変質者に襲われそうになったところを、チョコラビ男が助けに現れた。助けられた女子大生がSNSにチョコラビ男の話を投下したが、ウサギのお面をかぶった男なんてあまりに荒唐無稽だったので、この時点では作り話だとして目立った話題にもならなかった。彼女は「助けてもらったお礼を言いたい」「彼こそ私の王子様」と言って今もチョコラビ男を探しているという。

 さらに後の十九時過ぎ。今度はS記念公園の蓮ヶ池付近で老婆がチョコラビ男からひったくりに遭う。犯人の特徴を「ウサギのお面をかぶった男」と老婆が証言したため、現場に居合わせた人々を中心にネット上にこの情報が拡散され、先ほどの女子大生の発言が一気に注目を浴びる。しかも、この被害者の老婆というのが、女子大生が通う大学の教授をしているということで、二人の共通点から計画的な犯行だったのではないかと更なる憶測が飛び交うことになった。

 その日の夜には既に『チョコラビ男』という呼称が使われるようになっており、じわじわと噂が伝播していった。

 翌日の夜になり、掲示板に投下されていた文章がチョコラビ男の予告文章として目をつけられる。ここからチョコラビ男という存在が持つ謎と二面性がさらに大きな話題となり、その噂が加速度的にT市中に広まることになる。


 そして今日で一週間余り。

 チョコラビ男の噂は街の至る所で耳にするようになった。チョコラビ男の正体を探ろうとして似顔絵を描いてビラ配りをする者やチョコラビ男を模してお面をかぶって悪ふざけする若者なども現れて、もはやちょっとしたお祭り状態だ。

 チョコラビ男に街中が色めき立つこの状況を、幸太郎は誰よりも楽しんでいる自信があった。


「テメェらそのふざけた格好が目障りなんだよ!」

「あぁ? んなもん俺らの勝手だろうが!?」


 とそこで、物静かな住宅街に似つかわしくない、ガラの悪い怒鳴り声が聞こえてきた。

 何事かと思い幸太郎がその様子を伺うと、五、六人の不良学生が揉めているところだった。

 制服を見るとT市内にある東W高校と西M高校の生徒たちだとすぐにわかった。どちらもT市の東西の端にある公立の高校であり、偏差値はお世辞にも高くはない。素行の悪い生徒も少なくはないので、彼らの喧嘩沙汰は『東高と西高の猿山の縄張り争い』として長らく地元民の間では悩みの種の一つとなっていた。


「お!」


 不良たちのやりとりを伺っていた幸太郎が思わず声を上げる。西高の不良グループが頭に安っぽいお面をつけているとわかったからだ。その絵柄は特撮ヒーロー、女児向けアニメのキャラクター、そしてひょっとこ……とまるで一貫性がない。


「まさかこんなところで噂のお面軍団に出会えるなんて!」


 チョコラビ男を真似してお面をかぶって悪ふざけする若者がいると話を聞いていた幸太郎は、実物に遭遇したことでさらなる噂話の広がりに胸を躍らせた。すっかり野次馬気分でわくわくしながら不良たちのがなり合いを見守っている。この場にポップコーン販売でもあったら迷わずLサイズとコーラをセットで頼んでいただろう。

 不良たちの口喧嘩は次第にどつき合いになり、やがて殴る蹴るの乱闘騒ぎに発展した。今時こんな一昔前のツッパリドラマみたいな不良の喧嘩があるものなのか、と呑気な感想を幸太郎が抱いているうちに、乱闘は東高の不良たちの勝利で幕を下ろした。東高の不良たちは満身創痍ながらも、路上にうずくまる西高の生徒たちを足蹴にし、勝ち誇って罵声を浴びせている。


「あーあ、お面軍団負けちゃったじゃん。よわっ」


 密かに西高の不良たちを応援していただけに残念そうに肩を落とす幸太郎。その姿はまるでテレビの前で贔屓の球団が負けたことを嘆く中年男性のようである。

 そのとき、ふと気がつくと幸太郎からほど近いところに白いウサギのお面が転がっているのが見えた。不良の一人が乱闘の最中に落としたものがこちらまで転がってきたのだろう。


「…………」


 幸太郎は地べたに転がるウサギのお面をじっと見つめる。

 その白いウサギの顔はチョコラビとは似ても似つかない愛くるしいものだった。女児からの人気も高い有名なキャラクターなので、チョコラビよりもはるかに可愛らしいデザインだ。

 ウサギのお面と見つめ合っているうちに、幸太郎はちょっとしたいたずらを思いつき、にたりと笑った。

 ……もっとも、それは可愛げを持たせて”いたずら”と呼ぶには少しばかり悪質なものだったが。


「これに懲りたらもう二度と俺たちに逆らうんじゃねぇぞ! わかったな!?」


 東高の不良たちが、三流悪役の決まり文句のような捨て台詞を吐いてその場を後にしようとしたときだった。


「あん?」

「…………」


 不良たちの目の前に白いウサギのお面をかぶった男が立っていた。

 先ほどまで乱闘をしていた西高の不良たちは全員その場に伸びているので、東高の不良たちもその男が新手だとすぐにわかった。


「まだいやがったのか、こいつらの仲間か?」


 学ランの不良たちの中でリーダー格と思しき少年が威嚇しながら尋ねる。


「……」


 ウサギのお面の男は黙って肩をすくめると首を横に振った。


「だったらその胸糞悪いお面を取れっての!」


 そう言うが早いかお面の男の胸ぐらに掴みかかろうとする不良少年。その手を無駄のない動きで払い退けるとお面の男は彼の鳩尾を目掛けて鋭い突きを放つ。


「ご……!?」


 重い衝撃とともに身体の中心から激痛が全身にくまなく広がる。痛みで呼吸もままならない彼は悶絶しながらその場に倒れ込む。


「こ、この野郎!!」


 同胞がやられたと焦り、掴みかかってくる仲間の不良其の二。お面の男はそれをくるりと身を捻ってかわすと、すれ違いざまに回転によって威力の増した蹴りを背中に叩き込む。


「がぁ!?」


 二人目の東高の不良少年は背に強烈な痛みを感じながら、勢いよく顔面から倒れ込んだ。アスファルトに擦った顔よりも蹴られた背中がズキズキと痛み、とても立ち上がることなどできない。


「な、なんだぁテメェ!?」


 残された三人目の不良は倒れる仲間たちを見て怯えている。

 学ランの胸ポケットに隠したバタフライナイフを取り出そうかと身構えたそのとき、遠くからけたたましい笛の音が聞こえてきた。一連の騒ぎを聞いていた近隣住民が警察に通報したのだろう。

 はっとして逃げ出そうとする不良たちの誰よりも早く、ウサギのお面の男はその場を去っていた。


「はっ……! はっ……!」


 息を切らせて疾走するウサギのお面の男ーー幸太郎は、誰かに見られる前にと、即座にお面を外す。

 明瞭になった視界と楽になった呼吸とともに、自身の胸が高鳴っているのを感じる。

 その胸の激しい鼓動は全力疾走したことによる動悸だけが原因ではないことは、彼にもわかっていた。

 しばらく走って適当な路地に身を潜めると、乱れた息を整えようと大きく深呼吸しようとした。

 だが、腹の底から笑いが際限なく溢れ出てきてそれどころではない。


「はぁ……はぁ……! くっ、くくっ、あははっ、昔習ってた空手がこんなところでも役に立つとはね!」


 先ほど、足下に転がっていたウサギのお面を見た幸太郎は、自身が謎のお面の人物として不良たちの喧嘩に乱入することを考えた。彼らの手によってチョコラビ男の噂が発展する兆しがないのなら、自分で広げてやろうと思ったのだ。喧嘩なんてろくにしたこともなかったが、過去に空手を習っていたので腕っ節には多少の自信があった。結果は言わずもがな、威勢だけが自慢の不良たちでは幸太郎の相手にはならなかった。

 この乱闘の結果までは幸太郎の予想通り。そしてここからチョコラビ男の噂がどう変化し、どう広がるのかは幸太郎にもわからなかった。


「あー、これからどうなるのかなぁ」


 街中を巻き込んだ噂話、その中に自分という存在が確かにいる。それは日常に退屈している幸太郎にとって、この上なく胸躍らせるものでもあった。チョコラビ男という噂話の行く末は彼自身にもわからなかったが、じわじわとそのうねりが大きくなっていくことを想像すると面白くて仕方がない。

 呼吸も落ち着いてきたので路地から歩き出した幸太郎は、汗ばんだ手で持ち続けていた白いウサギのお面に目をやった。


「……あ、そうだ」


 そのとき、彼の脳内にある考えが閃いた。

 彼にとっては最高な、或る者にとっては最低な、そんな悪魔的な企てが。


「あはっ、そういうのも面白いかもな」


 ぶつぶつとつぶやきながら、幸太郎は笑顔を浮かべて一人でうんうんと何度も頷いている。すれ違った通行人に気味悪がられたが本人はお構いなしだ。

 住宅街を流れるどぶ川にさしかかると、手にしていた白いウサギのお面を勢いよく放り投げた。綺麗に回転しながら空を切って飛んで行ったお面は、やがて汚れた水面にぽとりと着水した。


「ふふっ……驚く顔が楽しみだ」


 幸太郎の嬉々とした笑みを見上げながら、白いウサギのお面は濁った川の中へと沈んでいくのだった。

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