第4話
「駒野公園か、行くの久しぶりだな……」
駒野公園は僕の家からだいたい自転車で五分程度の距離にある、そこそこ大きめの公園だ。最近は縁がなかった、というか葵を思い出すのが嫌でなるべく行かないようにしていたけれど、道のりははっきり覚えている。それなりに交通量のある千鳥通りを左折して細い道に入ると、見覚えのある建物が見えてきた。
「花の宮小学校……」
僕と葵と深愛の母校だ。駒野公園は僕の家から花の宮小学校を挟んだ向こう側にある。当時葵が住んでいた家がそちら側にあり、葵が最初の集合場所にそこを指定して以来そこで「作戦会議」をするようになった。
当時徒歩移動だった僕からすると駒野公園はちょっと遠かったから、二人の家の中間地点である小学校で良くないかという旨の意見を当時言ったが、葵の『小学校はガキと教師が多いからイヤ』の一言で一蹴された。
僕が卒業してから改修されたらしくもう面影はほとんど残っていないけれど、駒野公園と同様の理由で卒業してからほとんど訪れていなかった。
少し自転車の速度を緩めて中を様子見る。フェンスの隙間からは小学生がグラウンドでサッカーをしているのとひまわりが花を咲かせ始めているたくさんの鉢が目についた。
ふと、思い出す。
「そういえば深愛の育てたひまわりがあまりにも背が伸びすぎて、持って帰るのが大変だったなあ」
鉢を両手で抱えてフラフラしながら半泣きで助けを求めてきた深愛はちょっと可愛かった。たしかあの時、そのひまわりがあんまりにも立派だったから「深愛すごいなあ」と褒めたら、それ以来毎年ひまわりをプレゼントしてくるようになったな。
「って、何を思い出してるんだか」
初恋の女の子を探すのに血眼になっている奴が、別の女の子のことを考えているなんて、不義理もいいところだ。グッと脚の力をペダルに込め、自転車を加速させる。小学校は、あっという間に後方に消えていった。
駒野公園に到着し入り口脇の木陰に自転車を止める。駐輪エリアは別にあるのでバレたら怒られるかもだけど、その程度だ。物理的な距離が近い分、より一層大きく聞こえるセミの鳴き声にうんざりしながら中央にある開けた芝生エリアまで出る。
パッと周りを見渡したところ目についたのは、遊具エリアで遊んでいる子供が何人か、それを見守りつつ井戸端会議している保護者たち。それに周回コースをゆっくり歩いているお爺さんたちくらいだ。
まあ平日の午後に公園にいる人たちとして特段目立つものはない――はずだったが、直後静かな公園に似つかわしくない甲高い声が聞こえてきた。
「いやーマジで見れてよかった!」
そちらを見ると、ベンチに並んで座っている近隣の私立高の制服を身につけた女子たちが盛り上がっていた。普段あの制服を見かけるのはオシャレな喫茶店のテラス席とかだから、こんな公園の真ん中で集まっているのは少し不思議だ。
「カッコよかったね~」
「わかる! 脚すらっとしてて眼福過ぎた~」
「私も頑張ればあんな風になれるかな?」
「「え、無理でしょ」」
「そ、そんな即答しなくてもいいじゃん……」
話が漏れ聞こえてくる感じだとどうやら芸能人かなんかがこの公園にいたようだ。撮影かなにかしてたのだろうか?
まあ、今の僕には関係のないことだ。
きょろきょろと不審者めいた挙動をしながら数分歩いたところで、道路に面した場所に見覚えのあるものを見つけて僕は足を止めた。
「ここ……」
そこは僕が葵とよく訪れていて、最後に会話を交わした場所でもある東屋だった。心なしかあの頃より少し赤茶色の塗装が剥げたベンチに腰掛ける。
「まぶしいな……」
いつの間にか日がすっかり傾いていて、東屋の屋根は西日を遮るのに全く機能していなかった。じりじりと焼かれる肌が痛い。人が外に出ていい時期じゃない気がしてきた。
「……しょーもな」
道端で声を掛けてきた正体不明の詐欺師みたいな女の言うことを真に受けて何やってんだか。今日たまたま葵がここに来るなんて、そんな偶然あるわけないのに。
とは言えこのまま家に帰っても収まりがつかない。清々しいほどに天まで昇る入道雲を日光が目に入らないように細目で見ながら、しばらくぼーっとしていることにした。
そうやって何分その場にいただろうか。ふと気づくと太陽がすっかり沈んでいて、空に夕焼けの残り火が黄昏を形作っていた。
当然、周りに誰かがいるということもない。……いい加減、現実を見るべきか。
「そろそろ帰るか……ん?」
突然正面の道路に大きめのバンが停車した。車のドアが開き、二人の人影が出てくる。逆光になっていて顔はよく見えないが、シルエットを見る限りどちらも女性のようだった。
「わざわざファンの子たちがいなくなるまで待ってから公園に戻りたいなんて、そんなに大切な場所なの?」
「……そういうんじゃ、ないけど」
二人はそんな会話をしながら僕の方に近づいてきた。……まさか。
数メートルの距離になってやっと二人の顔が見える。ひとりはスーツ姿の知らない大人の女性だったけれど、もうひとりには見覚えがある。
あの頃と変わらず、腰まで伸びた艶やかな黒髪。険がありながらそれすらも魅力に転嫁している美しさ。
そして何よりも、自分の選択で世界が滅びるとしても我を通し切ると言わんばかりの瞳。
僕のよく知る女の子が五年分成長した姿が、そこにはあった。
「葵……」
居ても立っても居られず、僕はベンチから立ち上がり葵の方に一歩踏み出そうとする。
「……っ!」
葵もまた、僕に驚いたように息を呑んだ。
しかし近づこうとした僕に対し、スーツ姿の女性が葵との間にすっと入り込んだ。僕の方をにらみつけ、警告する。
「申し訳ないですが、ファンの方が直接タレントに接触するのはお断りしてます」
「え……は……?」
唐突すぎて、何のことだか全くわからない。ファン? タレント? 何の話だ。
「待って」
女性の前にスッと出て警告を遮ったのは、葵の声だった。五年前と全く変わりのない少しかすれたような、ハスキーボイス。
「めぐみ?」
スーツの女性はそう葵に声を掛ける。状況からして葵のことを呼んでいるのだろうが、めぐみとは一体?
「私の……知り合い。少し話をさせて」
「……そう、でもすぐに切り上げてね。パパラッチされても困るし。じゃ、私は車に戻ってるわ」
そう言って戻ろうとした女性は「あ、そうだ」と踵を返して僕の前に名刺を差し出して来た。
「私、こういう者です。ないとは思うけど、連絡を取らなきゃいけない事態になったらこちらに」
「は、はあ……」
名刺に目線を落とすとそこには『芸能プロダクション』の文字と『マネージャー 佐藤美代』という名前が書かれてあった。
佐藤さんは僕の方をちらっと値踏みするような目で見た後、足早に車に戻って行った。それを見届けた葵は僕の方を向き直る。
「翔也」
じっと僕を見つめるその瞳はあの頃と変わらず、いやより一層意志の強さを感じられ、僕は少したじろいでしまった。
なぜ嘘の連絡先を渡したのか。やりたい事というのは何のことだったのか。今は何をしているのか。聞きたいことは山ほどあったけれど、脱水のせいかはたまた緊張のせいか、喉がカサカサでなかなか言葉が出てこない。
「えっと……久しぶり、葵」
やっとの思いでひねり出した言葉は、毒にも薬にもならないそんな無難な言葉で。葵のにらみつけるかのような視線に耐えられなかった僕は、早口で言葉を紡ぐ。
「やりたいことって、モデルだったんだね。凄いな、夢を叶えたんだ。僕は――」
まだ、何も見つけられてないよ、そう続けようとした僕に対し、葵は人差し指を立てて唇に突きつけてきた。
「そんなことはどうでもいいの。私が聞きたいことはひとつだけ。――どうして私が転校した後、連絡を取ってくれなかったの」
「……それは」
彼女の問いに対し、逡巡する。なにしろ僕にとってもなぜ連絡先が不通だったのかは聞きたかったことだったから。ただ葵の様子を見る限り、彼女がわざと間違った連絡先を記載したわけではなさそうだ。
いろいろな可能性が脳内を駆け巡る。けれどどれも確証はない上に五年前の出来事で、記憶もあいまいだ。
「葵の手紙に書かれていた連絡先に手紙を送ったけど、住所が間違っていて返ってきたんだ」
余計なことを話しても話がこじれるだけだと思い、事実だけを話す。しかし僕の答えを聞いた葵の表情は、怒りに歪んだ。
「そんなわけない。私が手紙に書いた住所は絶対に合ってた」
そう断言する葵に、『そんなの君の勘違いかもしれないじゃないか!』という言葉が口から出かかるが、彼女の眼光にその言葉は封殺される。『私は、絶対に間違えていない』、そういう確信が彼女の瞳には込められていた。
いつの間にかセミの鳴き声は止んでいて、薄暗さと沈黙が赤茶けた東屋を包み込む。昔葵といた時に二人とも黙り込むタイミングはあったけれど、こんなにも居心地の悪い沈黙は初めてだった。
背中に嫌な汗が滲んでいるのがわかる。次に何を言えばいいのかは、わからない。
吐きそうなほど張り詰めたこの沈黙を破ったのは、葵だった。
「……はあ。結局、翔也も他の奴らと同じだったってこと」
「他の奴ら……?」
「私に擦り寄って、優しい言葉をかけておきながら結局は自分のことしか考えていない奴らのことよ」
「……」
明確な拒絶に対し言葉を失った僕をよそに、葵はその美しい黒髪をたなびかせながら僕に背を向ける。
「さようなら、翔也。――二度と私の前に姿を現さないで」
そう言い残し、彼女は足早に彼女のマネージャーの待つバンに駆けて行く。
十秒か二十秒か、僕は頭が真っ白になっていたが、このまま行かせてはダメだという思考だけで追いかける。
既に葵はバンに乗り込んでいて、窓はスモークガラスのようで中の様子は窺い知ることはできない。僕が車道に辿り着く直前に、バンはアクセルが踏まれ走行を始める。
僕は体を張って車を止めようとする勇気もなく、中から出てきてもらえるような言葉も思い浮かばず、車が走り去っていくのをただ呆然と眺めていることしかできなかった。
告白という、ただ一言言葉を紡ぐだけの行為。それすらも今の僕には実行することができない。
結局のところ、僕は五年前から何も変わっていなかったんだ。
葵も、それに深愛も特別な存在になっていて、父さんや母さんも自分の夢を実現している中で、僕は自分を確立する何かすら見つけられていない。そんな僕が、五年前と同じ状況になったところで何かを起こせるわけがなかったんだ。
僕の周りの人間で僕だけが、五年前から何も成長していない。きっと五年後も今と同じままだろう。そんな僕に、果たして生きている価値はあるのだろうか。