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カッパ男

作者: しゅうきち

図書館でよく見かける男性から思いついた掌編です

よろしくお願いします

 カッパ男

                                  宮川集造

 あの人がカッパ男なの、妻の一恵はそう言いソファーに座って、分厚い文学全集を広げている、四十代くらいの男を、軽く指さす。

 ここは図書館。ソファー席に陣取り、赤茶けた本に目を落としている男は、頭の上部は光るように禿げ、側頭部だけ髪がフサフサだ。だから還暦になった純三は彼をカッパ男と命名している。もちろん名前は知らないし、話したこともない。もしカッパ男に、俺のことを書いたなと言われても、違いますよと、シラを切るつもりだ。

 純三が図書館に来るたび、カッパ男は手にズッシリ重みを感じる本を開いている。あれだけ古典を本当に読んでいて豊富な読書量になり、もし彼自身でも書いていれば、そうとう良い作品を書いているんじゃないかと、純三は想像するのだ。しかし声をかけて、不審者だと思われてもいやだし、逆に友人が出来たと必要以上に交流を求められるのも面倒くさい。

 だいたい休日の度に図書館に来て、分厚い本を手にして長椅子に陣取る中年男の生態は、容易に想像できる。

 そのどれをとっても、貧乏くさく湿ったイメージが漂っている。

 純三は、そういう男性と知り合いになるのはゴメンだ。しかし小説を書く仲間を求めている彼は、カッパ男が気になってしょうがない。

 ところがある日、図書館で書庫にある本を司書さんに持ってくるように依頼し、やがて自分の番号が呼ばれたと思いカウンターに近寄って行くと、カッパ男も立ち上がりこっちに歩いてくる。

「七番の方、おまちどうさまでした。この本ですね」と司書さんが、カッパ男に本を見せる。

「ありがとう」彼は、小声でそう言い世界名作集・チェーホフという本を受け取った。

 純三は、初めてカッパ男の声を聞いた気がした。しかしそれは忘れて、

「あの八番の赤瀬川と田中小実昌の本は?」と司書さんに尋ねると、

「今回は七番さんの本だけをお持ちしました。八番さんの本は待ち下さい」

「あっそう、――あの人さあ、いつも厚いなんとか全集みたいな本を読んでますよね」純三はちょっとカッパ男を見た。

「そうですねぇ」

「あの人、いつも全集みたいな本持ってソファーにいるけど、ホントに読んでいるんかねえ」

「さあどうなんでしょう。読む読まないは、その人の自由ですから」

「ああしょっちゅう来ていると、図書館の人にも顔を覚えられ、名物男なんて笑われていたりして」純三は、軽く笑う。

「名物男なんて、――あなただってちゃんと隔週で図書館に来る常連さんじゃないですか。私たちにとっては同じ利用者さんですよ」司書さんは、少し怒った顔を見せる。

「へっ、そういうもんかね」

 純三は、そう言って鼻に抜けるような小笑いすると、カウンターから離れた。

 俺があのカッパ男と同じだって――。

 純三は、帰りの車を運転しながら、――俺がカッパ男と同類だって。冗談じゃないぜ。彼には悪いがいくらなんでも、俺は彼とは違う。俺には妻子がいる。もっともカッパ男が、独身かなんて知るはずもないが。それにしてもだ。勘弁してくれ。

 純三は、ニヤけた顔をしながら、ハンドルを握っている。

 家に着くと、純三は一恵に向かい、

「さっきさぁ、図書館の女の人に、俺がカッパ男と同じだって言われちゃったよ。あの人、どこに目をつけてんだろ」

「へえ――、案外、図書館の人たちには、そういう感じなのかもねえ」一恵は、納得した感じに茶を一口飲む。

「どうして。俺はあんな風に長椅子に座って、分厚いロシア文学全集を、広げている人間とは違うぜ」純三は、一恵が淹れてくれた茶に口をつけた。

「図書館で働く人達にとって、カッパ男や純ちゃんは、よく図書館を利用するって事では、同じじゃないの」

「おっと姉さん、馬鹿を言っちゃいけない。俺は素人だけど小説書いてんだ。日々、たくさんの文芸に接し自分の技を磨かなきゃいけない定め。だから図書館から本を借りて勉強してんだ。昼行灯みたくボケーッと本開いてる、どこぞの御仁とは志が違うんだ」

「でも純ちゃん、カッパ男が本気に古典文学読んで、自分でも書いてりゃ良い物になるかもって、言ってたじゃん」

「そんなこと言ったかなあ」純三は、わざと斜め上を見る。

「そろそろご飯の支度しなきゃ。純ちゃんのどうでもういい話には付き合ってらんない」

 一恵は、そう言い立ち上がった。

 純三は、一恵から目を離すと、電話機の留守電ランプが点滅しているのに気がついた。留守電話に誰かがメッセージを残したらしい。再生して聞いてみると、

――あっ俺だけど、買って帰る物あるかな、あれば携帯に連絡下さい。お願い。

 だらしなく鼻が詰まったようなダミ声が、吹き込んである。純三は、見当がなんとなくついたものの、あえて声を出して、

「誰だこの声、汚えな」とキッチンに立っている一恵に聞いてみる。

「誰って、純ちゃん自身じゃん。さっき出先から吹き込んだんでしょう。なに言ってるの」

「そりゃそうだけど、ひでえ声してんな俺。風邪でもひいてる感じだ」

 一恵は、料理の手を止めちょっと純三を見て、

「これがいつもの純ちゃんの声だよ。おかしくないよ」

「なんか気持ちが悪い声だな」

 純三だって今までに、録音した自分の声を聞いたことがある。その度、なんとなく落ち着かない感じだ。自分が知ってる自分の声と、客観的に聞く自分の声とは全く別物のようだ。

 そう考えてみると、容姿にしたって、自分の全体像は自分じゃ鏡を使わなきゃ見えないし、見えたにしても左右が逆になっている。

 性格にしてもそうで、臆病だとか積極的だとか、だいたい自分の考え方は把握している。しかし無意識の癖がそうであるように、案外、自分の性格を正確に把握している人って、少ないような気がしてならない。

 純三は、これに絡んであるエピソードを思い出す。

 純三が工場勤務をしていた頃の話だ。上司に当たる若者に状況説明をしていたら、上司がキレ気味にそれを遮り、

「純三さんは、いつでも言い訳ばかりしているね」そうい起こったように、純三を睨みつけた。

 兄ちゃん上司の形相に、純三は怖さとは別の衝撃を覚えた。よほど以前から、俺を言い訳ばかりするオッサンだと思っていたんだろう。しかしあえてそれを言わずに溜めていた物が一気に破裂した、といったところだろうか。

 純三は、俺ってそんなにいつも言い訳ばかりしている奴かな、と顧みてみるが、思い当たる節はない。

 これは兄ちゃん上司独特の、俺への評価かもしれない。だって他の人から言い訳ばかりするなんて、言われた事がないんだ。――などと、無言で頭の中に思いを巡らす。

 そういえば。―――純三は、スーパーの駐車場でカッパ男が、紙パックの牛乳数本を持っていたのを、見たことがある。純三は、想像出来ないカッパ男の姿が意外すぎたので忘れられない。

 カッパ男が、一人で何本もの牛乳を飲むとは思えない。何かの寮にでも働いて、大勢の料理を作るのか。菓子屋や料理店を営んでいるのか。全く分からない。すべては推測だ。

 一人の人間にもたくさんの付き合いがあり、その分の顔がある。つまり数だけの評価が存在する。  

 自分自身だって、声もそうだし自分の全体は、鏡か映像を、記録している物から想像するしかない。

 それに自分を誤解して理解しているのは、自分自身じゃないかと思えてくる。ある程度は誰だって自分は分かっている。しかし知ってるが故の油断から本当の「わたくし」を知ろうとはしない。

 人にはそれぞれ長所短所や体質がある。自分では分かっているつもりでも、案外、勘違いや思い込みで人生を短くする人も多いと思う。若くして癌とかになり早死にする人もいる。ある同級生の親も、確かそうではなかったかと純三は思う。当人の無念、同級生の心を思うと純三は心が潰れる。

 誰にでも性格や癖がある。

 無意識にしていることや、よかれと思ってしていること、それらが客観的に他人にどう見えるか、自分を正確に把握している人間なんて、いないんじゃないか。人はそれぞれ自分の個性や才能、体質を知り抜いていれば、もっと楽しく人生をく遅れるかもしれない、純三はそう思えてくる。

 するとだ――、司書が言っていたカッパ男と俺が同じといえるのもあるパターンかもしれない。

 そうなんだ、俺はカッパ男と同じなんだ。となると、俺はあんなになんとか全集を読んでないが、カッパ男に匹敵するくらい文章力はあるのかもしれない。

 次作こそ傑作を書いて、自分で納得できて同人誌の仲間に読んもらいたい。そしてその作品は、なんとか賞になり、褒められてついでに賞金を頂けるはずだ。

 純三は、なぜか担保のない自信が湧いてきて、ニヤけてくる。

 その笑顔が例えようもなく不格好なのは、彼の知るところではない。







読んで頂き、感謝申し上げます。

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