ロングロング・ホリデーナイト!(下)
短編「ヴァンパイア・ヴァケーション!」( https://ncode.syosetu.com/n8792ht/ ) の続編です。
上・下の、全二話。
約束の日。かくしてヴィンセント家の一族は『冬を楽しむ日』を決行した。
パーティの準備が整った城の大広間の扉の前。赤い服を着てめかしこんだゲスト役のおチビのトニーとニーナを扉の前に待たせる。同じく赤を基調にした服装で揃えた両親のユージーンとアナベラは、付き添いとしておチビらの後ろに控えた。
おチビ二人のためのドアマン役を買って出たのは、洒脱な赤のドレススーツに身を包んだブレンダンとギルバート。おチビの双子にとっては祖父と大叔父だ。美形で鳴らした二人は実際の年齢よりもうんと若く見える。ユージーンが、父さんも叔父さんもさながらどこぞの俳優か何かみたいだなと思った矢先。ブレンダンとギルバートはもったいをつけて懐中時計を取り出し見ると、おチビたちに向かってウィンクをした。
「さぁ、いよいよパーティの始まりだ」「どうぞ、たっぷりと楽しんで!」
みなが集った大広間への扉が開かれる。途端に双子の歓声が響いた。扉の向こう側真正面には、広間の高い天井をこすらんばかりに立派なモミの木がきらびやかに飾られている。
おチビたちの歓声を聞いて、従兄のダグラスが「このモミの木、ボクが見つけてきたんだぞぅ!」と誇らしげに胸を張った。同じく赤のドレススーツを身にまとった、だがその恰幅の良すぎるまんまるの腹は、先ほどのブレンダンとギルバートらとはどうにも違うものを連想させる。それにユージーンは苦笑した。
一族のみなは拍手でおチビのトニーとニーナを迎える。その間をトコトコと進んでいく子供たち。ユージーンとアナベラ、そしてブレンダンとギルバートもその後に続いた。
一族のいつもの服装は、格式高い伝統的なものではあるがあまり日々代わり映えもしない、黒を基調としたタキシードやドレス。それが今日はみな赤を基調とした装いをしている。いかにもこの季節らしく華やかだ。……今日のために各人、クローゼットを文字通りひっくり返すような大騒ぎになったのは言うまでもない。
「すっかり忘れちゃっていたけれど、このドレスお気に入りだったのよね」「あの時代の布はしっかりしていて良いわぁ。デザインも、今でもちっとも古く感じないし!」「三人一緒に、当時一世を風靡したドレス職人に作ってもらったのよね。懐かしいわぁ」
和気あいあいと話すノリス、エイダ、キャスリーンの同世代三人娘。その周りをボルゾイ犬のラッキーとウォーターメロンのスーリィが楽しそうに駆け回っている。彼らもまた赤いリボンでおめかししていた。三人娘が「せっかくのパーティだからみんなで!」と、わいわい言いながら結んでやったのだ。
全員が揃ったところで、モミの木のすぐそばのテーブルに着く。食事の時間だ。この日は、食事を味気ないパックからワイングラスに注いでみたりなどする戯れをして。そしてデザートは、あの『夏を楽しむ日』以来、おチビたちどころか老若男女一族みながすっかり気に入った、ユージーンお手製のアイスクリームだ。
デザートを食べ終えた後。ピーター、パーシー、フィリップの三兄弟が、これまた『夏を楽しむ日』以来すっかりはまった楽器の演奏を披露する。この日はアコーディオンを持ち出して、さらに今回はフィリップの妻にしてユージーンの祖母、ローザの歌もそこに加わった。
曲が終わり拍手が沸き起こると、ローザは照れくさそうにはにかんで言った。
「みんな、ありがとねぇ。次の曲からは、ぜひ参加してくれると嬉しいわ。舞踏会といきましょう?」
その言葉で、席に座っていた面々は笑って立ち上がる。手に手を取り合って、音楽と踊りの輪が大広間に広がっていった。中でもみなが驚いたのが、老齢の曾祖父ジョーゼフと曾祖母ブリジットが、見事なワルツのターンを披露したことだった! 冬の寒さをものともしないような、明るい調べと笑いが響く。
そこから数曲続き、そうして誰からともなくその場に座り込んだ。笑い声は絶えない
「ああ楽しかった、久々にはしゃぎすぎたわ」「いやはや、ちょっと休憩だ、休憩!」「そうだ、アイスクリームのおかわりはあるかしら? ユージーン?」
「え、ああ……」
急に話を振られてか、ユージーンはあいまいな声を返した。半開きになった口からわずかに牙がのぞく。そこからやや間があいて、「取ってきますよ」とユージーンはサッと立ち上がった。
ユージーンが広間を後にするその去り際に。
「けど、一つだけちょっと残念だったわね」
そう言う声が彼の耳に届いた。……ヴィンセント家でずっと使われてきた、モミの木のてっぺんを飾るはずの星のオーナメントが、この四日間でついぞ見つからなかったのだ。
「あれはいったいどこにやったのかしら?」「ううむ、最後に使ったのはもうずいぶん昔のことだしなぁ……」「長く家を空けていた時期もあったし、なおさらよね」
大広間のにぎわいとは打って変わって、シンと静まり返った城の中をユージーンは一人歩く。手には小さなろうそくの明かり。風こそ強くない夜であったが、窓には霜が降りはじめていた。城の暖房はつけていない。ダンスで体温の上がったユージーンの吐く息ははじめこそ白かったが、次第に周りの空気と同じ無色透明になっていった。
アイスクリームのおかわりを、と言われた折。ユージーンは一瞬「体を冷やしすぎると毒ですよ」と断りかけた。しかし、今日はパーティなんだからこういうのは大目に見るものだ、とユージーンは思い直した。……そしてそこまで考えが及んだ直後。そもそも、自分たちはヴァンパイアだから寒さなどは関係ないとの旨を、先日自分で言ったばかりだということをユージーンはハッと思い出したのだった。
この明るく温かな中にいると、どうにも“ヴァンパイアとしての自分”よりも、“かつての人間としての自分”の気になってしまう。ユージーンは口を少し開いて牙をのぞかせ、自嘲気味な笑みを浮かべた。
ユージーンの足はキッチンではなく城の地下に向かう。別段、不思議なことはない。作ったアイスクリームは地下にある食糧庫にしまっておいたのだ。
階段を一人、静かに下っていく。その間、ユージーンの思考は巡った。
思えば、かつて人間だった頃は。貴族間の権力闘争に明け暮れ、この冬の時期の一大パーティは家族のためではなく周囲に力を誇示するためのもので、こんな風に心の温まるものでは決してなかった。
何が祟ったのか、いや、あの時代の数ある不幸な出来事のうちのほんの一つなのか。ヴィンセント家がどこぞの反目する貴族の企みによってヴァンパイアにされ、この城にいることができなくなり放浪の身となったのも、雪の降りしきる寒い寒い冬の日のことだった。
追われて逃げて、遠く離れて。冷たい風の吹きすさぶ、いつ終わるとも知れぬ、暗い暗い闇の中。表情などまるでない、蝋のような白い顔をした家族たち。
その凍てついたように止まった時の中でもがくように。故郷に戻りたいとの一心で、呪いをかけた敵を討ち、自分たちの家に帰り着き。そうした後でさらに長い長い時を経てようやく、冷たい氷が溶けるように少しずつ少しずつ、家族に笑顔が戻ってきて。そして今では、自分たち家族のためにパーティを開くということまでもできるようになって。
そのことが喜ばしく、そして同時にそのことが歯痒い。取り戻したのか、そうではないのか。今のこの時を楽しんで良いのか。今のこの時は喜んで良いのか。
もう慣れきったはずの口の中の牙が、不意に疼き出したように疎ましく感じられる。いつもならこんなことは思わない。思わないんだ。自分たちはヴァンパイア、“血をすする、人ならざる鬼”として過ごした時の方が、もう、ずっとずっと長くて――
手にしたキャンドルの火が揺れる。それにともない自分の影が揺らぐ。本当はこれも必要ないのだ。明るい広間を出てきた直後、無意識のうちに明かりをつけて持ってきてしまった。腑抜けている。その証だ。これまで長い年月を重ねて勝ち得てきたヴァンパイアとしての矜持はどうした。暗闇など慣れたものだ、何でもないのだ……!
地下の扉の手前にて。
「食糧庫の温度管理に良くないだろうし……」
逡巡の末、ユージーンが表に出せたのはその言葉だけだった。そうつぶやき、ユージーンは小さく灯った明かりを消そうとする。
「ろうそくの明かりってロマンチックよね。そう思いませんこと?」
突如、ユージーンの後ろで声がした。思いもかけないことに驚くユージーン。振り返ると、妻のアナベラがいつの間にか彼の後ろに立っていた。
「私も手伝いに来たのよ、あなた。きっとまだ、アイスクリームの型抜きをしていないままなのでしょう?」
そう言って微笑む妻の顔を、ろうそくの明かりが照らす。
「ありがとう」、ユージーンがそう言おうとした矢先、先にそれを口にしたのは妻の方だった。面食らうユージーン。アナベラは続けた。
「子供たちの、みんなの、お願いをきいてくれて。なんだかんだとおっしゃいますけれど、あなたはとても優しいのですよね。いつも、みんなの希望を叶えてくれる」
大げさだ、アイスクリームくらいで、と首を横に振りかけたが、妻の言いたいことはどうやらそのことだけではなさそうだった。
「あなたが雪の中で星を見つけてくれたから」
その言葉で、ユージーンの脳裏に瞬く間にとある光景がよみがえった。
とても見通すことなどできない暗い闇。容赦なく吹きすさぶ冷たい風雪。その最中に一つ輝く星の光。ユージーンはハッと息を飲み、表情を失った家族たちにその星を指し示した。あの星がみなを故郷へと導く光であることを。あの星を目指せば、いずれ帰りつくことができるということを。
『ありましたよ。ヴィンセント家の星は、あそこに』
「だから私たち家族は、あの闇の中を抜け出して、今ここにこうして居られるの」
ここでアナベラはふいと自分の髪に手をやった。アップスタイルにしたその髪には、ユージーンから贈られた思い出の貝細工の髪留めが。その輝く白さは『夏らしいもの』でもあり『冬に映えるもの』でもあった。
「そりゃあ、ケンカすることだって時にはあるかもしれないですけれど……」とアナベラは口をとがらせた後、再び微笑んだ。牙が生えていてもいなくても、ユージーンが思わず見惚れるような笑顔で。
「人間だった時も、ヴァンパイアの今でも。苦しみの中でも喜びの中でも。夏も冬も、どんな季節、どんな時でも。ずっとずっと、私たちは一緒よ。愛しているわ、あなた」
「おお、戻ったか」
大広間の扉を開けると、曾祖父ジョーゼフが静かに微笑んで迎えた。
「お帰り、ユージーン」
それにユージーンは微笑み返す。傍らの妻と共に。家族の輪の中で。
食糧庫から運んできた木箱の中から、外に積もった雪のように白いアイスクリームをみなに配り渡す。そして最後に。外に一つ輝くものととてもよく似た何かを、ユージーンは箱の中から取り出した。
「ありましたよ。ヴィンセント家の星は、ここに」
四日前、『冬を楽しむ日』の開催が決まった直後。“自分たちの在り方”について、冬が巡ってくる度にひそかに思い悩んでいたユージーンは、それを象徴するかのような代々伝わる星飾りを、城の地下、アイスクリームを冷やすため塩を混ぜた冷たい冷たい雪の中に、誰にも言わず隠したのだ。
アナベラと共に掘り起こしたそれが、今、みなの目の前で静かに輝いている。
「わぁー、おおきなおほしさま!」「きれいねぇ、はじめてみたわ!」
ああそうか、とユージーンはハッとした。かつては大広間での冬のパーティに子供たちは出られなかったので、双子がこの星飾りを見るのは今日この日がはじめてになる。ヴァンパイアになった後でも新しい経験というのができるのだという目の前の事実を、ユージーンはしみじみと噛みしめた。
トニーとニーナの二人に星飾りを持たせ、もう片方の手をしっかり繋いで輪になって。ユージーンはふわりと空を飛んだ。そうしてモミの木のてっぺんに大きな星が輝く。拍手と歓声が大広間を包んだ。これで、ヴィンセント家の『冬を楽しむ日』は完璧だ。
雪も止み、霜は溶けて、星が出る。アコーディオンの音色、子供達の歓声、一族の談笑。モミの木のてっぺんの星飾りとちょうど重なるように、大広間の窓の外にかつてユージーンたちが目指したあの星がある。それを家族のみなと共に静かに眺める。
長い長いホリデーだ。ユージーンはそう思った。
貴族間の覇権争いに明け暮れた過去も、吸血鬼狩りの鎚から逃げ隠れた日々も、もはや遥か遠くに去ったもの。今はこうして穏やかな日々を楽しむ。そう、この時はまさに、長い長いホリデーなのだ――
凍てつき止まっていた時間が、穏やかに溶けてゆるゆると流れていく。
ユージーンは目の前の星を見上げ、その牙のある口をふっと緩めて、満ち足りた声で静かに言った。
「おお冬……! この星の輝き照らす我が夜よ。長き夜、永き夜、長き永きこの夜よ……!」
[End]