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それから数日、高座に上がるが納得いく落語は結局できなかった栄助は意を決して和菓子やに訪れた。
「タエ子、ちょっと時間くれや」
いつものように栄助を出迎えたタエ子にそう声をかける。
店が終わるまで待つつもりだったが、客が少ないから、とタエ子が店番から抜けることを許可した勝に感謝をする。
奥の部屋に案内された栄助は、慣れた様子でちゃぶ台の定位置に座る。
決まった席ができるくらい一時はここに通いつめたものだ。今はめっきり足が遠くなっているが。
「ごめんなさい、お茶菓子、これしかなくて。頂き物ですが」
温かい茶と一緒に羊羮を皿に乗せて栄助の前に出す。
いや、と答えて、栄助は一口で羊羮を食べる。
「お好きではなかったですか?」
つくづくこの娘は……。勘づいてほしくないところまで敏感だ。目が見えないものは、皆、勘がいいのだろうか。
隠したところで余計なことを聞かれると面倒くさい。栄助は正直に話すことにした。
「いや……。昔、嫌って程食ったから。飽いている……というより思い出したくねぇことも思いだしちまうから、あまり食わねえようにしてるんだ」
「そうなんですね」
タエ子は栄助の湯飲みに茶を注ぐ。それ以上は何も言わないで話題を変えた。
「私にお話があるって?」
詫びを言われたら困った。説明するのも鬱陶しい。だからタエ子があっさりと聞き流してくれて助かった。
ホッとしながらも、本題を切り出す。
「あん時の落語」
「はい」
「正直俺の落語、よくなかっただろう」
「いえ!」
タエ子にしては珍しく力強く否定をする。
「最後に出てきた方の次に素晴らしい落語でした!」
あの時と同じ言葉を繰り返す。何故かイラついた。
「出来が良くねえのは自分が一番わかってんだ!兄さん達を差し置いて、師匠の次に出来がいいなんてこと、ありえねえんだよ!」
「そんなことないです!私には、師匠さん?の次に好きな落語でした!……あまり落語のことは詳しくないですが、目が見えない分、わかることもあるんです!」
「だから!」
「うっせえぞお前ら!店まで聞こえるだろうが!!」
お互いに譲らない。自然と大きくなるやり取りを一括したのは、勝だった。
ドカドカと居間に来た勝は、短く言い捨てる。
「外でやれ。営業妨害だ」
店を追い出された二人は、仕方なく近所にある喫茶店に足を運ぶ。
家から近いのに来たことはなかったのか、落ち着かない様子のタエ子。
初めての場所は緊張するんです、と小声で呟いて小さくなっているタエ子を見て、栄助は少しばかり冷静になる。
結局、珈琲が出てきて栄助が声をかけるまでタエ子はずっとモゾモゾしていた。
「よくまあ、そんなんで寄席にこれたな」
初めて来た寄席があんな出来だったのは一旦置いて、緊張した様子のタエ子に尋ねる。
「初めての場所はいつもそんなになるんかい?」
「毎回じゃないんですが。やっぱり見えない分、耳とか鼻が敏感になって。店だったら慣れているから安心するんですが、そんなこといったらどこにも行けないから」
「買い物とかはどうしてるんだい?」
「義彦がついて来てくれたり、姉が買ってきてくれたり。近所のお店だったら仕入れのついでに店によってくれたり。皆さん気を遣ってくれるから助かります」
落ち着いたのか、いつもの調子を取り戻した様子のタエ子は、この店に来た目的を思い出したのか、栄助に語り始めた。