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「ふうん、栄助のやつ、今日はちょっとまともな一席を打ってるじゃねえか」
師匠は舞台の袖で栄助の落語を聞きながらアゴを撫でた。
近くにいた一番弟子で栄助の兄弟子の八光亭 菊助が答える。
「気付いたんですかね?栄助の野郎」
「いや、そう簡単な問題じゃねえさ。明日には戻ってら」
突き放す師匠の顔はどこか面白そうだ。
一番末っ子弟子に甘く、それでいて厳しく接する師匠。
栄助が可愛くて仕方ない癖に、敢えて困難な道を進ませようとする。
師匠が八光亭柳助の名蹟を継がせたいのは栄助なのだ、と菊助は思う。
それを悔しい、と思うのはとっくの昔に経験をした。
今は……。
「こんなところで足踏みしている場合じゃないぞ、栄助。さっさと真打に上がってこい」
「ほぅ、おめぇが栄助を応援するなんざ珍しいこともあるもんだ。槍がふってくらぁ」
笑う師匠に菊助はズケっと物申した。
「そろそろ師匠も栄助のことでごちゃごちゃ言われるの、飽きたでしょ」
ふぅー、とやけに長く息を吐いた師匠だったが、菊助の問いには結局答えなかった。
※
手応えはなかった。
今日の噺は十八番の噺だったのにも関わらず、受けた気がしなかった。
いつもはキャーキャー言うモガ達も不気味なくらい黙りこくって栄助の噺を聞いていた。
拍手もいつもより少ない。
袖に引っ込んだ栄助は深く深い息を吐いた。
昨日、義彦に噺をしている時の方がよっぽどうまく出来ていた。
「くそっ!」
思わずドンッと壁を叩く。
そんな栄助を見て、誰も話しかけなかった。
※
「栄助さん」
今日の高座のトリをつとめた師匠に挨拶をして、寄席を出たところで声をかけられる。
聞き覚えのある声。だが、こんなところにいるのは予想外だ。
振り向くとそこにタエ子が立っていた。
「お疲れ様でした。番頭さんにお尋ねしたらまだいらっしゃるってことだったので、挨拶だけでも」
「あぁ、ありがとさん」
栄助はタエ子の横にいる女を見やる。
相変わらず勘がいいタエ子は、姉だ、と紹介した。
良子と名乗った姉は、常に割烹着のタエ子と違って良家の御婦人といったキリッとした佇まいだ。
もっともタエ子も今日は小紋の着物を着て精一杯おしゃれはしている。相変わらずや。
「一度寄席で栄助さんの落語を聞いてみたくて。姉に無理言って連れて来てもらいました」
栄助は黙り込む。
よりによって今日なんだ。
ここ最近で一番出来の悪い噺の日を狙ったようにやってくる。
格好がつかないだろうが、と心のなかで呟いた栄助は、ふと我に返る。
タエ子の前で格好つけようと思ったことあったか?、と。
「やっぱり高座に上がると違うんですね、栄助さん」
ふふっと笑うタエ子。続いた言葉は、栄助の予想外のものだった。
「最後に出てきた方に劣らないくらいの素晴らしい落語を聞かせていただきました。ありがとうございます」
「え?」
栄助が驚いているのを気づいているのかいないのか。
タエ子は、また店に来てください、と言い残し、良子と去っていった。
栄助はしばらくその場に呆然と立ち尽くすしかなかった。