桜庭家へようこそ③
──世の中、なんだかんだ言って「初めて」ほど楽しいことはない。
俺が敬愛するライトノベルの主人公はそう語っていた。
「初めて」、それは二度と訪れる事のない瞬間だ。
初めての──そう名のつくものを羅列するのは簡単である。
だけど、だ。
あまりにも刺激的で魅惑的なそれは、楽しいなんてものじゃなかった。
俺は彼の名言をあえて否定しよう。
「初めて」ほど恐ろしいものはない、と。
そもそも男は初めてというものに執着するものだ。
様々な意見が生まれるのに何の疑問もない。
つまり、俺が言いたいのは──
「こ、ここで初体験を済ませるのはさすがに止めませんか!?」
「……ムリ……♡」
「佳南さんーーー!!!」
ベッドの中で俺の体の上に跨がる佳南の顔は完全に蕩けきっていた。
制服は完全にはだけ、彼女の白く柔らかい肌が肩から胸元に掛けて露になりつつある。
現在、俺は佳南の両肩を必死に抑えて、今にも迫りそうな彼女の全体重を支えている。
そ、そろそろ腕が限界……!
ずっと谷間が見えてて力も抜けに抜けてるしなぁ!
「ちょ、さ、さっきまでのシリアスな雰囲気はいずこへ!?」
「シリアスよ?真剣に私は今要に処女を──」
「うぉおーー!止めろぉ誘惑するなぁあ!!!」
「するわよ。だって大好きだもん♡」
「おまっ……!」
や、ヤバい……!
俺は何かとんでもない失態をやらかしてしまったんじゃないのか……!?
佳南は俺や筑波に縋っていた。
そしてその必要はないって言ってやったんだ。
お前は強い女の子だからって。
そう、少なくとも俺への想いはそんな依存した気持ちからのものだって教えたつもりだったんだ!
それがどうだ!?
佳南は縋りつくのを止め、自分から俺を求め始めちゃったよ!!
畜生!なんで俺のやる事成す事あらぬ方向へぶっ飛んじゃうの!?
マナの時は骨折っちゃうしさぁ!
あれ以来接触もないしあいつ自身に大きな変化は無いっぽいけども……。
せめて琴色さんの件は上手くいってくれよぉ……!
じゃないとこの覚醒佳南さんの相手で俺は手一杯だ!
「ね、今度はこれ、入れてちゅーしよぉ?」
佳南は俺の顔の上で舌をチロっと出して妖艶に微笑んでいる。
ままま、まずい……!
そろそろ腕が限界だ……!
「ぉぉぉおっ……!」
「およ?腕、限界~?ししし、じゃあ大人のキスを──」
「しねぇーよ!!クソ、おらぁ!!」
「ふぇ!?」
俺は両足を使って佳南の腰の辺りを持ち上げた。
お父さんが子供にやる、飛行機みたいな体勢だ。
ナニコレ、組体操……?
「お、おぉ……なんか良いかもこれ……」
あ、佳南は意外とお気に召したみたい。
「……でも、ちゅー出来ない……」
「しませんっ!」
「ヤーダー。要が悪いもんーー」
「何でだよ……」
「……もう……そんなに嫌なら良いわよ。下ろして」
「……あぁ」
唇を尖らせて子供のように拗ねる佳南を、ゆっくりとベッドの上に寝かせた。
「わっ、と……あんた、もうちょい丁寧に下ろしてよ」
「……いつもの憎まれ口が戻ったみたいで」
「ひひ、だって私と要は対等で良いんだって教えてくれたから」
「そんなの当たり前だろ……」
佳南は俺の顔を見ながらを横に振った。
「私は誰かに寄り掛からないと生きていけない女だもん……。要には私の事を好きになって貰わなきゃ死んじゃうって思ってた……」
俺達は横になりながら、至近距離で見つめあっている。
佳南の目元が赤く腫れているのがはっきりと分かるくらいに。
「なのに要が私の事を遠ざけるから……私、どうしたら捨てられないかって凄く必死に考えたんだからね」
「……ごめん。だけど……」
「分かってる。私達は協力者同士、支え合う関係だもん……私のこの気持ちは間違ってるって今なら分かる」
「佳南……」
今にも潰れてしまいそうな佳南に、思わず手を伸ばし掛けていた。
だが、すぐに止めた。
ここで佳南を甘やかせば何も変わらない。
彼女は前に進む事を決めたんだ。
傷付いて少しずつな。
俺はその手助けをしたい。
だから、今はこの手は伸ばせない。
「私……どうやったら要や珠奈に寄り掛からず生きていけるのか、ちょっと考えてみたんだけど聞いてくれる……?」
「聞かせてくれ」
俺は佳南の言葉なら何だって聞く義務があるからな。
佳南は恥ずかしそうに頬を染め、先ほどまで俺に迫ってきていた奴とは思えない程初々しい反応を示した。
「……私、要と恋がしたい」
「……え?」
聞き返したものの、しっかりと俺の耳には佳南の甘い声が届いていた。
体温が、熱くなる。
「たぶん珠奈とはいっぱいケンカするだろうし、要にフラれちゃったらもう立ち直れないくらい傷付くと思う。だけど──」
彼女が俺を真っ直ぐに見つめる視線には、以前のような誰かに寄り掛かるような弱さは無かった。
「今までの……誰かを傷付けるような恋じゃなくて、どんな結末になってもそこに至るまでの"過程"を大事にしたいの……!」
その告白は、俺の信念に通ずる部分があった。
つくづくこいつとは変な所で気が合うらしい。
「私はどれだけ頑張っても、やっぱり何かに頼らないと生きていけない……その根っこの部分は変えられないと思う。だから頼り方を変えるよ。要と恋した最高の思い出があれば、私はもっと前に進める……!」
「……」
「要といっぱい恋して、いっぱい自分の気持ちをぶつけるの。だから要もいっぱい私にぶつけてね。私達は対等な関係だから!」
「……やっぱりお前は凄いよ」
「え?」
俺は顔を真っ赤にして心の内を明かしてくれた佳南の頭に手を伸ばした。
これは、頑張ったご褒美だ。
「俺もお前みたいに強くなりたいよ」
「……!」
「俺は"普通"を装うので精一杯だからな……。佳南や筑波の前じゃそれすら出来ない……」
二人の前ではわんわんと泣き喚いて、本当に情けない限りだ。
「じゃあ……今は私の方が立場が上だね」
佳南はニッ、と煽るように笑った。
やれやれ、そんな事言われたら負けちゃいられない。
「へっ、すぐまた私を捨てないでって言わせてやるよ」
「にゃにおー!この、またちゅーすんぞこらぁー!」
「わっ、バカやめろ!」
佳南がムキになって再び俺の唇を狙いに来たので、思いきり後ろへ体をのけぞらせた。
すると、
「へへ──おろ?」
「あぶな──」
俺達はドサッと音を立ててベッドから落ちた。
佳南が勢い余って俺の下敷きになりそうだったので、空中で一回転して四つん這いになってなんとか接触を回避。
しかし、眼下に映る佳南は男の劣情を誘いすぎている。
「……佳南……」
「……要……」
息の乱れた俺達の吐息が重なる。
部屋は急に静寂に包まれ、じんわりと手が滲む。
──確信があった。
一歩。あと一歩でもきっかけがあれば俺は間違いなく佳南に手を出す。
理性のブレーキはもうとっくに壊れている。
まだ心の奥底から好きだと思っているか分からない相手にとか、付き合う前なのにとか、そんな冷静な判断はもう出来ない。
床に手を付いた反動で痛む筈の左手すら俺は認識していなかった。
今目の前で美しい茶色の髪を乱し、制服のシャツを着崩したまま柔らかい四肢を晒す、狂暴なまでに肉感的な佳南の姿こそがこの場を満たす全てだ。
ほんの僅か。
今にも決壊しそうな俺をギリギリで塞き止めているのはたった一つの気持ち。
俺にはもう一人、俺を想ってくれているかも知れない女の子が居るんじゃないのか……?と。
だがそれを見抜いたのか、はたまた我慢の限界に達したのか、佳南はそっと俺の頬に触れた。
目線が合うと、彼女は胸の前で手を組み、すっと瞳を閉じた。
そして声に乗せる事なく、口だけを動かして全てを崩壊させる一言を伝えてきた。
唇を読むまでもない。
それは二文字の言葉だ。
たった二文字。
そう。
『きて』
彼女はそう言ったのだ──
「佳南──」
それは俺が思考を放棄して佳南に体重を預けようとした瞬間だった。
「ちょっと!!凄い音したけど二人とも大丈──ぶ……?」
『……!?』
──この世界の時が静止した。
唐突に現れた暁美さんは、体勢だけを見れば今にも自分の娘を襲おうとしている俺を見て、グッと親指を立てた。
「ヘタレじゃなかったのね、やるじゃない!このまま親子丼いっちゃう?♡」
「……勘弁してくれ……」
※
時刻は17時30分。
本当に色々あったが、俺は桜庭家を後にした。
まず言っておくが俺は佳南に手は出しちゃいない。断じて。
ある意味暁美さんに救われた……めちゃめちゃからかわれたけども。
「も~ママったら邪魔してくれちゃって……」
「助かった……」
まだまだ明るい夕刻の帰路を佳南と歩く。
送らなくて良いと言ったが、ちょっとでも一緒に居たいと言われたら断る事は出来なかった。
「なぁ佳南……あーいうのはもう止めてくれよ。心臓に悪い……」
「えー要はしたくないの?」
「……したいけど……てか、お前キスとかしたこと無かったんだな」
「あ、話逸らした」
「……単純にちょっと気になったんだよ」
「え~なに嫉妬ぉ~?かーわい♡」
こいつ、しばきてぇ……!
「本当はね、したかったんだよ。だけど我慢させて我慢させて、私に執着させるのが正解だと思ってたから……」
それは過去、倉橋君との苦い思い出話だった。
……あー話題転換失敗だよ。クソ。
「えと……ま、まぁそのあれだ。ともかくそーゆーのはせめて付き合ってからだよな!」
俺は話を戻そうとさっきの質問に答えてみたのだが、佳南はぴたっと足を止めて聞き返してきた。
「私と付き合ってくれるの?」
「そ、それは……」
つい言葉に詰まってしまった俺を見て佳南が笑う。
「言わなくていーよ。ね、要。返事はもうちょっと先で良いよ。私が答えが欲しいって思った時に返事をして欲しい」
「……それっていつ?」
「そうだね……」
佳南は俺よりも一歩前に踏み出した。
表情は見えなかったが、彼女は上を向いて何かを願うかのように告げた。
「──私のライバルが答えを出したら、かな」
「……なんだそりゃ」
「ひひ、要は分からなくて良いの」
「そうかよ」
佳南が「あ、そうだ」と言って振り向いたのでそれ以上は追及しなかった。
「あんた、生徒会長の件どうやって解決するの?私は邪魔になるだろうし、正直一切力になれないわよ?」
「あー……それな、ちょっと考えはあるんだけど……」
「そうなの?一応言っとくけど無茶だけはしないでよ」
「分かってるさ。どちらかと言うとお前に頑張って貰わなきゃいけない事だし」
「え?私が?」
俺は答えを急かす佳南に明るく告げた。
「プールさ、倉橋君達も誘って皆で行こうぜ!!」
「…………はい?」
佳南さんは超笑顔でそう言った……。
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