桜庭家へようこそ②
桜庭家のリビングを出て数歩足を進めるとすぐに階段が現れる。
俺は未だ腕を引き続ける佳南に抵抗する事なく階段を上がった。
お互いに会話はない。
もうこの家に来る前からだが、佳南は何か二人きりじゃないと話しにくい事を抱えているみたいだ。
そこまでは俺も察せられる。
ただ問題はその内容だ。
さっぱり見当がつかん。
俺、何か佳南を怒らせるような事したかな……?
生徒会長・琴色さんの依頼は断れるものじゃなかったし……。
暁美さんとの事だって不可抗力だ。
こういう相手の出方が分からない時って心臓が変にドクドク言うよね。
例えるなら用件を言われる事なく、ちょっと来いって目上の人に呼ばれる時のような。
俺がじんわりと手のひらに汗をかき始めた時、とうとう階段を登り切り佳南の部屋の前までやって来た。
佳南はドアを開けて一歩部屋に入る。
そして俺も部屋へ入るように促した。
「入って」
「あ、あぁ……」
自分の感情を悟られないようにか、温度なくそう言った佳南は、俺が部屋に入るなりすぐにドアを閉めた。
そして、すぐ後ろにあるドアへと俺の体を押し込んだ。
ドンっ、と両手で俺の肩の上辺りに迫る。
え、何……壁ドン?ヤダ、さすがにちょっと古いわよ──
「ねぇ、私怒ってるんですけど」
「ひぇ……」
すげぇ顔をしかめて声を低くする佳南。
思わずびびってしまったぞ。
「あ、あの……一体何に怒ってるんですか……?」
「……分かんないの?」
「えー……」
こういう時って、大抵墓穴を掘るんだよなぁ……。
あ、もしかして俺が佳南の谷間を覗こうとした事?とか言ってそれじゃ無かった時とか死ぬ。
だが黙っていても仕方ない。
ここは正直に答えを聞こうか……。
「……すまんさっぱり分からん。俺が何かしたなら謝るよ」
桜庭家に来る前は会話こそ少なかったが、手を繋いで結構仲良く家に来たと思ったんだがな。
ほんと何に怒ってるのやら。
「……要、さ……」
「は、はい……」
佳南は俺のすぐ目の前で凄く辛そうな顔をして下を向いた。
次に彼女が声を出した時、その声は微かに震えていた。
「……最近……私の事遠ざけようとしてるよね……」
「え……?」
それは予想外の言葉だった。
「……ちょっと前から気付いてたよ。要、私と珠奈が喋ってたら離れようとしたりするし……今日だって……!」
「……」
「あの生徒会室を使えなくなったら困るのって私だけじゃん……!どうせ一人でもあそこなら大丈夫とか思ってんでしょ……!?」
俺は何も言い返す事なく、ただ佳南の言葉を聞いた。
「それに遊びだってさ……!私、バイトするなんて聞いてない!するにしたって絶対暇な日あるじゃんか!!なんで私を遠ざけるのさ……なんで私と一緒に居てくんないのさ……!!」
ポタポタっ、と床に何かが落ちる音がした。
佳南は気付いていたんだ。
少しずつ俺が佳南の自立を促すように動いていた事を。
以前からずっと考えていた事だ。
佳南は今、倉橋君にフラれ、行き場を失っている。
巣から離れて寄る辺を無くした雛鳥のように。
そんな彼女が唯一信頼出来る俺や筑波に頼るのは当然だ。
だが、佳南は段々と俺達に──いや、特に俺に依存し始めている。
問題はそれだけではない。
重症なのはその想いが段々と恋心へと変わりつつあるかも知れないという事。
……さすがに勘違いじゃないと思う。
前はそんな妄想をする自分が気持ち悪くて仕方なかった。
だけど、佳南の、佳南と筑波の慈愛に触れて、俺はもしかしたら二人は──と考える事に抵抗は無くなってきていた。
それでも今の状況は駄目だ。
もしも、本当にもしも佳南が俺に気持ちを寄せてくれているのだとしたら、それは倉橋君の代用品でしかない想いだ。
そんなの……佳南の成長にならない。
「何とか……言ってよっ……!!」
佳南は俺の胸元を力無く叩く。
そして叩いた場所を、今度は癒すように顔を埋めてきた。
「……私、要に嫌われるような事したなら謝るし……要の為なら……要の都合の良い女にだってなれる……だから──」
俺は続く彼女の言葉を聞いた時、自分の予想が間違って無かった事を知る。
……絶対に合ってて欲しく無かった予想が、だ。
「──お願いだから私を捨てないで……」
泣き崩れるように俺の足元へ座り込む佳南。
これは決定的な言葉だ。
そしてこれは俺が招いた事態だ。
取るべき責任というものが俺にはある。
琴色さんよりも先に、俺達は協力関係にあるからな──
「……佳南」
「……」
「……佳南は俺の事好きか?」
俺は彼女の頭の上に右手を置いてそうたずねた。
すると、佳南は間髪空けずに俺を見上げて言った。
「大好きだよ……!」
ズキン、と心が痛む音がした。
「大好きだよ要……別に彼女にしてなんて言わない……ほんとに要の都合の良いように扱って良いの……私、要の隣に居れるならなんだって──」
「……駄目だよ」
「……っ!」
佳南は瞳から大粒の涙を溢した。
「な……んで……ヤだ……要が私をこんなにしたんだよ……!?あんなの……ずるいよ……!あんなの見たら心動いちゃうもんっ……!!」
それはたぶん俺が倉橋君達に土下座をした時の事だろう。
……恨むぞ筑波……。
「私、変われるから……!要の好きな女の子言って……!?珠奈みたいな感じ……??全部合わせられるから、尽くすから……!わがままなんて言わないから……お願いだから私を……」
佳南はここまで俺の事を──
……それだけ、倉橋君の存在が大きかったという事だ。
でも俺の知ってる桜庭佳南という女の子はこんな子じゃない。
俺達は縋ったり依存したりし合うような関係じゃないんだ。
「佳南……俺は今のお前を受け入れる事はない。絶対だ」
「……私の事……嫌い……?」
「嫌いって言ったらどうする?」
「……自殺する。冗談じゃないよ。もう生きてる意味ないもん」
愛が重すぎるよバカ……。
ほんとバ佳南だよ、お前は……。
「……前に言った事覚えてるか?お前が死ぬなら止めるか一緒に死んでやるって」
「……」
「俺達は協力関係だ。良いか?俺達は対等な関係なんだ。そんで──」
俺はしゃがみ込んで佳南と目線を合わせた。
ぼろぼろになった彼女に優しく微笑む。
「──桜庭佳南は強い女の子だ」
「……違う……そんな事ない。私強くなんかない……」
「違わない。お前は俺なんか居なくたって立てる女の子だ。諦めない、そう言えるお前はどこへ行ったんだ?」
「……!」
「佳南、大丈夫だよ。お前はちゃんと罰を受け入れて頑張れる奴だ。俺なんかに縋ろうとしなくて良いんだよ」
「わた、し……は……」
そうだ。お前はちゃんと一人で大丈夫なんだよ。
「倉橋君にお前はずっと自分だけを見て欲しかったんだろ?今もやってる事は一緒だよ。手段と相手が違うだけでな」
「……」
「俺はいつだってお前を否定してやる。間違ってるって言ってやる。そんでお前を救ってやる。依存なんかしなくて良い。ただ信じていてくれ」
「……ずるいよ」
「そうか?」
「……信じるって、凄く勇気がいることだって要が一番知ってるのに、それを私に言うんだもん……」
「……そうだな」
俺はあの日、夕暮れの教室で佳南がそうしてくれたように、彼女の涙を人差し指で掬った。
「俺は佳南が大丈夫だって信じてる。俺を裏切らない奴だって信じてる。佳南もそう思ってくれたら俺達は対等だ。それでようやく始められる」
「……何を?」
掬った涙を払い、満面の笑みを向けた。
「俺達の夏休みを!目一杯遊びまくろうぜ!」
「要……!」
本当はもっと距離を置くつもりだった。
骨折とバイトを言い訳にすれば佳南と会わずに済むって思ってた。
だけどそれは俺自身が佳南の事を信じてやれてなかったんだ。
だからこれで良いと思う。
今日をきっかけに佳南はまた成長出来る筈だ。
2学期には文化祭や修学旅行もある。
その時に俺や筑波が居なきゃならないなんてあってはいけない。
新しくコミュニティを作れなくたって、一人ででも上手くやっていける奴にならないとな。
佳南は強い女の子だから──
「一つだけ、確認させて」
「ん?」
佳南は涙を止め、真剣な眼差しで口を開いた。
「私の事、嫌い?」
それは居なくなられたら嫌だから聞いているって訳じゃないと解った。
俺が佳南の事をどう思っているか、引いては乙女心からの質問。
つまり……答えられる訳がない質問である。
あ、ヤベ……顔が熱い。
「え、えっと……」
「ちゃんと答えて。人に偉そうな事言ったんだから」
「うっ……お、俺は……」
「うん」
俺は少しだけ目を逸らして言った。
「嫌いじゃない……よ?」
「……ヘタレ」
……すげぇ好感度が下がった音がした。筑波の時よりもずっと……。
少しだけ真面目に言わせて貰うなら、俺はたぶんまだ幼馴染みを引きずってる。
自分でも気付かないくらい心の奥底で僅かだけな。
あんな終わり方をしてまで、未だに……。
だけどこれは時間の問題だと思う。
男の恋愛はフォルダ保存という奴だ。
そういう意味では一生忘れる事は無いのかも知れない。
だから、時間が解決してくれる。
いつか誰かがマナを霞ませるくらい強烈な恋を俺に教えてくれるだろう。
そのいつかがいつ訪れるかは誰にも分からないがな。
──ただし、彼女を除いて。
「要──」
「え?」
瞬きする間も無いような一瞬の事だった。
涙に濡れた唇が、俺の乾いた唇を湿らせる。
同時に俺の体を優しく彼女の両腕が覆った。
一瞬の出来事だった筈だ。
だけどそれは永遠のようにも感じて、理性なんてとっくに吹き飛んでいた。
「ん──」
味わうように俺とのキスの味を確かめた佳南は、唇から離れてすぐに悪戯に成功した子供のように笑った。
「ずっとね……お礼を考えてたの。ほんとはもっとロマンティックなのが良かったんだけど……でも、今しか無いじゃん?要が悪いんだよ?」
「おおお……おまっ──んぐっ」
俺の唇に人差し指を押し当てて俺の言葉を遮った。
「初恋の呪いを上書きするようなファーストキスの呪いを掛けてあげる♡」
俺の唇から指を離した後、それを自分の唇に触れさせてから短く俺の名前を呼んだ。
「──要」
「は、はい……」
一人で立ち上がった佳南は俺を見下ろして妖しく微笑んだ。
「大好き♡」
あぁ、これは呪いだよ。紛れもなく、何一つ疑う事なく、これは呪い。
だって脳裏にこびりついて離れない。
俺を魅了して止まないあの柔らかい唇の感触が──
お読み下さりありがとうございます!
続きが気になる、面白い。
少しでもそう思って頂ける方がおられればぜひスクロールバーを下げていった先にある広告下の☆☆☆☆☆に評価やブックマーク、感想等ぜひ願いします!!