Chapter28. 復讐の狼煙
警察庁の刑事局組織犯罪対策第一課の連中は、わざわざこの渋谷署までやって来て蠣崎との面談を直に望んだという話を、先の刑事から聞いた彼は、待たせてあるという、署内の一室に案内された。
そこは、もちろん取調室ではなく、一般的な警察官が会議などに使うような、オフィスルームだった。
四角いテーブルが真ん中にあり、その上に、ノートパソコンを開いた男が一人、そして反対側にもう一人が携帯を見ながら、座っていた。ホワイトボードと観葉植物っだけがある簡素な部屋だった。
ひとまず、男たちが立ちあがって、蠣崎に名刺を渡してきた。
一方は、非常に厳めしい男で、角刈りの中年。まるで柔道の選手のようにがっしりとした骨格をしているのが、黒いスーツの上からでもわかる。年齢は40歳くらい。
彼は組織犯罪対策第一課の、権藤と書いてあった。
もう一方は、逆に細めの男で、どこか銀行員にも見えるような、眼鏡をかけた七三分けの男。スーツを着ていたが、普通のサラリーマンに見える。年齢は30代だろう。
彼も同じく組織犯罪対策第一課の、永山と書いてあった。
「ウチの小山田がお世話になってるそうで」
そして、座った途端に、永山の方が、何とも言えない、底知れない不気味な笑みを見せて、そう告げてきた。
その言葉は何を意味するのだろうか、と蠣崎は逆に相手の言葉の裏を探ろうとする。世話にはなっているが、こちらから願い出たわけではないのだが、どうも気にかかる物言いだった。
一方で、ごつい方の男、権藤は、おもむろに堅そうに見える口を開いた。
「恨みに関しては、職業柄色々あると思いますが」
と断っておいてから、
「そちらに、ロシア人のセルゲイという男がいますでしょう?」
と聞いてきたから、驚いたのは蠣崎だ。
「いますが、何の関係が?」
当事者と言えば、当事者だが、まさか相手は「ビル」、つまり「会社」ではなく、セルゲイ個人を狙ったということなのか。
「そのセルゲイから何か聞いてませんか?」
「いいえ、まったく」
「そうですか……」
この権藤という男も、どこか計り知れない雰囲気を持っていた。むしろ、警察よりも「探偵」が似合いそうな、掴みどころがない雰囲気を感じる。
権藤が、テーブルを挟んで反対側にいる永山に目配せをしたように蠣崎には見えた。
永山が口を開く。
「セルゲイの妻、ターニャが1年前に日本で働いており、その際にブローカーの源田のせいで、過重労働に巻き込まれ、亡くなっていることはご存じですか?」
「いや……」
さすがに、寝耳に水すぎて、蠣崎は頭の中が真っ白になっていた。
元々、セルゲイは無口な男で、自分のことをほとんど話さないし、社員とも距離を置いて一人でいる節がある。
もちろん、蠣崎にも心を開いているようには見えなかったが、面接の時、確か彼はスペツナズを除隊になった理由は、「家族のため」と言っていたが、それ以上、突っ込んだことを聞いても、「プライベートに関わる」と言って、答えてくれなかったのを思い出していた。
と、するとスペツナズ除隊の本当の理由は、この奥さんの死にあるということだろう、ということは容易に想像できた。
「社員の実情も知らん、とは随分統制が取れておりませんな」
嫌味ったらしく、権藤が口を開くが、蠣崎は放っておいて、永山に続きを促す。
「ここからは、我々の推測ですが、恐らくセルゲイが日本に来たのは、妻の復讐のためです」
「つまり、源田を殺るためですか?」
「はい」
幸いなのか、不幸なのか、この「源田」の一件を、いつも通り、蠣崎は打ち合わせに在席しなかったセルゲイに打ち明けていないことから、セルゲイがこの件に源田が関わっていると知っていたとは考えられなかったし、もし彼が源田に強い恨みを抱いているのなら、真っ先にこの件に関わろうとしたはずだ。
「ですが、私は彼に源田の件を伝えていません」
そう事実を話すと、彼ら二人の目の色が変わった。
「本当ですか、それは?」
「ええ」
蠣崎の答えに、一際驚いたような権藤が、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。
「と、すると、連中が逆に先手を打って、つまり源田側がセルゲイを狙ったか、もしくはあなたの会社自体を潰しにかかったか、どちらかですね?」
永山の問いかけ、いや推論に対し、蠣崎もまた首肯しつつ、自論を展開することにした。
「源田側には、我々が昔、対立した海珠組の連中がいます。ですので、私はてっきり彼らによる犯行かと思ったのですが」
「まあ、考えても仕方がないでしょう」
前置きしておいて、権藤がおもむろに立ち上がり、そして鋭く重い声を発した。
「あなたがたは、この件には関わらず、またセルゲイにも源田の件は伝えないこと? いいですね?」
念を押され、蠣崎は渋々ながらも、それを了承するしかなかった。
そして、彼らが帰って、ようやく警察署から解放された後。
警察署を出ると、すでに夕方になっていた。
しかも、小山田はじめ、シャンユエ、エスコバー、バンダリもまた警察署の外で待っていた。
「お前ら」
待っていたのか、と言いかけて蠣崎は言葉を噤んだ。
この非常事態。そもそも「社」がなくなったから、彼らは行く場所がないのだろう。
「これからどうしますか?」
当然の疑問を、みんなを代表して聞いてくる小山田に、蠣崎は呟くのだった。
「セルゲイが入院している病院に行く」
そして、このことが彼らの運命を決定づけることになる。