99話 魔王城の玉座へ
なんとか倒せた。パーガトリアを。紙一重の勝利だった。クレアが身体を張ってくれなければ、もっと泥沼の戦いになったか……いや、ひょっとすると負けていたかもしれない。二年前はここまで強くはなかった。奴が言っていた通り、二年の間に研鑽を積んできたんだろうな。
魔王を倒すこと。それが今回の依頼の内容ではあるが、思えばパーガトリアこそ真の黒幕と言って良かったのかもしれない。魔王を復活させ、この国を新魔王軍が襲ったのは間違いなくパーガトリアの仕業なのだ。であるなら、俺たちは諸悪の根源を断てたと言っていい。
なんとか立ち上がろうとすると、フィオナが俺のところまで走ってきて、治癒魔法をかけてくれた。切断された左腕はそっくりそのまま残っているので、時間はかかるが治せるらしい。糸が貫通した脇腹もなんとかなると言ってくれた。
「ルクスさんは動かないでください。酷い怪我なんですから」
「う……分かった。でもクレアもダメージを負ってるはずだ。目に見える怪我ではないだろうけど……」
闇化した肉体で光魔法を食らったことによるダメージだ。見た目には分からないが、きっと衰弱しているだろう。
「バーボンさん、クレアさんを連れてきてください。ルクスさんと一緒に治します」
「ちょうど今そうしようと思っていたところだ。少し待っててくれ」
「大丈……夫よ。自分の足で立てるわ。でも全身激痛で酷いから私も治して」
クレアはふらふらと立ち上がると、俺の横まで歩いて来て、倒れるように床に寝転んだ。
「パーガトリアはもう死んでる。たぶん即死よ。はぁ。前座の戦いがここまでハードだとは思わなかったけど……」
隅っこでバーボンが何かの残骸をかき集めている。戦斧だ。トバルカインさんがくれた逸品が、さっきの戦いで細切れにされてしまった。バーボンにはまだ魔鉄球があるので戦えないわけではないだろうが、本人はトバルカインさんの武器をすごく気に入ってたので、ショックなのだろう。
「バーボン、戦斧なしで戦えるのか……?」
「ああ……この戦斧が壊れたのは残念だが、心配無用だ。予備で古いのを持ってきてる」
バーボンは首飾りに触れると、収納魔法が発動し、以前使っていた古い戦斧がその手に収まった。
「最後の戦いは使い込んだ愛用の武器でやれってことかね。一応持ってきておいて正解だったぜ」
フィオナの献身的な治癒魔法で俺の怪我も、クレアの負傷も完全に治った。持ってきていた魔力ポーションを飲んで消費した魔力も取り戻すことができたので、後はこの空間から出るだけ。パーガトリアを倒してしばらく経つと、壁に扉のようなものが出現していた。きっとこの扉から出ていけ、ということなのだろう。
「よし……みんな、心の準備は済ませておけよ。扉を出たらいきなり魔王とご対面するかもしれない」
「ちょっと、脅さないでよ。でも今更怖気づいたりはしないわ。できることをするだけよ」
と、クレアは言ったが、みんなの顔は覚悟が決まっている、という表情をしていた。俺は先頭に立ち、意を決して扉を潜る。視界が一瞬だけ暗くなったかと思うと、瞬時にどこか広い空間へと転移したのが分かった。ここは玉座の間なのか。
「パーガトリアは死んだのか。少しばかり寂しい気持ちになった。だが……今は勇者と再び会えたことを喜ぼう」
暗闇の底から響いてくるような冷たい声を聞いて俺は言いようもない恐怖を思い出さざるを得なかった。十メートルと少しを挟んだ目の前に座っているのは、瀟洒な漆黒のドレスを纏い、頭から二つの角を生やした女性。魔王アンフェールがそこにいたのだ。
ただ座っているだけでも感じる、飲み込まれて溺れ死んでしまいそうなほどの邪悪な気配。俺は無意識に鞘に収めている剣の柄に触れて、いつでも斬りかかれるような態勢になっていた。クレアも、バーボンも、フィオナも。みんなそうだ。
魔王と戦った経験と、奴が以前より弱体化しているという事実。それを考慮したとしても、余りあるほど魔王は危険な存在だと、そう本能的に再認識させられた。俺はこんな奴と戦ったことがあるのか。
「そう身構えるなくても良い。戦う前に雑談くらいしてもよかろう。それに、勇者からまだ返事を聞いていない」
「……返事、とは?」
「ふふ。惚けるのが上手いな、勇者よ。そういうところも可愛い」
「……なんだって?」
「聞こえてなかったのか、勇者よ。可愛いと言った」
「いや聞こえてた。ちょっと正気を疑っただけだ」
俺に惚れてるとかどうとか言っていたが、まだその話は続いているのか。いかん、眩暈がしそうだ。
「では聞こう。勇者よ……私の伴侶となり、共に世界を創り直さないか?」
「悪いけれど……断るよ。俺は今の世界もそう捨てたもんじゃないと思ってる。無実の罪も晴れたことだしな」
魔王がどこまで本気なのか結局のところ俺には分からないが、この提案は断るしかない。もし俺が世界に絶望しきっていたのなら、頷いてしまった可能性もある。けれど、この世界には悪いところや嫌なところもあるが、良いところもきっとある。
俺と一緒に戦い死んでしまった仲間たち。フィオナやバーボン、クレアとの出会い。オフィーリア姫が俺の無実を証明してくれたこともそうだ。
「そうか……残念だ、本当に。不本意ではあるが力ずくで手に入れるしかないようだな」
「俺だけは生かしてくれるってことなのか。随分優しいじゃないか」
無表情だった魔王が微笑を浮かべる。その顔には身体の芯まで凍えてしまいそうな冷たさがあった。
「そんなわけはない。勇者、お前を髪の毛の一本すら残さず食らって、我が物とする。誰にも渡さない……私と永遠に一つになろう?」
玉座に腰かけている魔王から何かが伸びてくる。スカートの裾から黒い触手が這い出ているのだ。五本か、十本か、まだ増える。触手の先端が膨らんだかと思うとあたかも口のように開いた。よし、戦法は以前から変わってないみたいだな。これが最後の戦いだ。やってやる。
「みんな……行くぞ、準備は良いな!」
「まずは小手調べといこうか。私を玉座から動かせたら直々に戦ってやろう」
魔王の戦法は事前に共有してある。基本的に魔王は、触手か魔法を武器に距離を置いて戦う。触手は最大で二十まであって、この触手は驚くべきことに魔力障壁を貫通する。つまり魔法でガードできない攻撃ってことだ。武器か盾で弾くしかない。
加えて触手は魔王の一部なので、闇系魔法の恩恵を受ける。同じ闇か弱点の光以外の魔法では傷つけられないってことだ。なので基本的には前衛が壁役に徹し、後衛の魔法使いに攻撃を任せることになる。
また、ここで前衛に光か闇の付与魔法をかけておけば触手を減らしていくこともでき、最終的には前衛も攻撃できるようになる。
「クレア、バーボンの斧とフィオナの杖に付与魔法を! 触手が来るぞ、速いから対応できなかったら俺の後ろに回ってくれ、全部カバーする!」
クレアの闇系付与魔法が発動すると、バーボンの戦斧とフィオナの杖が黒い波動で覆われる。よし、準備万端だな。触手は鞭のような動きで俺の右と下から攻めてくる。数は右が二本。下が一本だ。
光の魔法剣を発動し、まずは足を狙う下の触手を斬り飛ばし、右の二本を同時に弾いた。右から来た触手は斬れなかったか。弾力があって柔軟なのにやたら頑丈だから斬りにくいったらない。バーボンの方も触手を弾くこと自体はできたが、全部を斬ることはできなかったようだ。
「こりゃハードな相手だぜ……! 今までとはまるで格が違う」
バーボンの言葉には嫌な実感があった。俺たちは最初から全力で戦っているのに、魔王はまだ玉座から動いてすらいないからだ。




