97話 輪廻の傀儡師
ケルベロスを倒すと、全ての扉が消滅し、大きな階段だけが残された。あの階段から先に進めということなのだろう。だが俺たちはあえてこの部屋に留まり、休憩することにした。大量の魔物と戦って疲れているところだからな。幹部クラスとの戦いは万全の状態で臨みたい。
「このお弁当フィオナが作ったの? 美味しいわねー。まさかこんなところでランチするなんて思ってなかったけど」
「休む余裕も必要だ。みんなプロだから、休みと戦いの切り換えは簡単にできるだろ?」
「まだまだたくさんありますから、皆さん遠慮なく食べてくださいね……!」
「うむ。このサンドイッチはぶどうジュースに合うな……」
食事を終えたら俺たちは寝転んだ。懐中時計で時間を確認していたが、少なくとも三時間は横になっていたと思う。敵の腹の中とも言える場所でここまでぐーたらした記憶は俺も無いな。でもおかげで疲れは取れたし、次の戦いも問題無くやれそうだ。
「よし。みんなそろそろ準備はいいか。次のエリアにはたぶん、側近のパーガトリアがいる。奴は糸使いだ。搦め手が得意だから、気をつけて戦ってくれ。何かあれば俺が指示を出すよ」
三人は各々、頷くと、俺を先頭にして上へと続く階段を進んだ。階段を登り切ったところで、新しい部屋へと足を踏み入れることになる。さっきは円形状の空間があるだけの殺風景な場所だったが、今回は違う。
金属の柱が不規則に並んでおり、これまた不規則に柱と柱を金属の棒が繋いでいる。柱を繋ぐ棒の位置もこれまた不規則で、足元を引っかけるような場所にもあれば、頭の上くらいの高い位置で繋がっているのもある。部屋の中央にはパーガトリアがいた。
「人様の城でランチタイムなんて随分、舐めた真似をしてくれますね。待ちかねていましたよ、勇者クルスとお仲間さんたち」
「噓をつくなよ。本当は自分で戦うのは嫌だったんだろ。一度俺には負けてるしな」
「貴方は人をイラつかせるのが上手になりましたね。以前より弱いパーティーで私に勝てるとでも?」
「そんなこと、俺は思ってない。前も今も凄く良いパーティーだ。比べられないよ。俺にはもったいないくらいさ」
パーガトリアは俺の言ったことを鼻で笑った。本心なんだけどな。
「まぁいいでしょう。やはり私自身の手で殺すしかない。それだけのことです。魔王様の御心を惑わせる、害虫を駆除するとしましょうか」
随分な言われようだ。魔王が勝手に変わっただけだというのに。だが、パーガトリアからしてみれば許せないのは心酔する魔王ではなく、憎き敵である俺ってことなんだろうな。
「へっ。戦うなら遠慮はしないぜ。搦め手が得意なんだったな、そんなもん使う暇も与えず倒してやるぞ!!」
火蓋を切ったのはバーボンだ。魔鉄球を投擲し、真っすぐにパーガトリアを襲う。パーガトリアは高く跳躍して、柱と柱を繋ぐ棒の上に飛び乗った。しかし魔鉄球は軌道を変えて猛追する。これは命中するか。
「タルタロスの武器ですか。中々使いこなしていますね。ですがしょせん、玉遊びです」
「なんだと!?」
パーガトリアが金属の柱に触れると、柱と柱の間に突如、魔力の糸が出現し、絡めとってしまう。糸は魔鉄球の勢いを完全に殺し、パーガトリアに命中する寸前で停止する。この空間に設置されている柱は魔力の糸を生成するのか。
「どうです。私の魔力を流すと魔力の糸を自由に生成できるんです。もちろん、皆さんの魔力を流しても反応しませんのでそこはご容赦ください」
パーガトリアは自信たっぷりに薄紫色の髪を撫でながら言った。なるほど。パーガトリアは糸使い。自分にとって有利なフィールドを用意するのは守る側としては当然だな。まぁ、この空間に入った時から糸とか張り巡らせやすそうだなとは薄々思っていたのだが。
「では、次はこちらの番でよろしいですか? 私の魔力の糸を存分に味わってください」
パーガトリアが右手を前に伸ばすと、五指に嵌められた指輪から赤い魔力の糸が伸びた。来る。あの指輪はミスリルすら簡単に切断できる魔力の糸を生み出す魔法武器だ。名を傀儡霊糸と言う。たとえトバルカインさんの武器だろうと、糸に触れたら一瞬で細切れにされてしまう。
では対抗策は避けるしかないのか、と言われるとそういうわけじゃない。防御魔法はもちろん、魔法剣や付与魔法を武器に使えば防ぐことができる。魔法同士は干渉する性質があり、魔法を込めることで武器を守ることが可能だ。俺も今、光の魔法剣を形成して実践してみたところだ。伸びてくる赤い魔力の糸を斬ってみると、糸の方がばらばらに千切れていく。
「クレア、バーボンの武器に付与魔法を。それであの糸に抵抗できる」
「戦斧に頼む。この妙な柱の多い空間じゃあモーニングスターは使いにくい」
「ふぅん。何となく分かったわ。とっておきの付与魔法をかけておきましょうか」
「炎系魔法の付与だな、ありがてぇ!」
クレアがバーボンの戦斧に手をかざすと、戦斧の刃が赤熱化し、今にも燃え上がりそうな熱を帯びた。これで準備は整ったな。
パーガトリアの次の手は、単純に物量を増やすことだった。両手の十指から赤い魔力の糸を伸ばす。大量にだ。それも左右、前、上からと俺たちを覆い尽くすように迫ってくる。
防御魔法で守りに徹するのも手だが、防戦一方は好ましくない。戦いを引き延ばすだけだ。俺とバーボンで糸を防ぎながら、クレアとフィオナに魔法で攻撃させた方がずっといい。
「今度はこっちの番よ! 食らいなさい!」
「いきます! 『氷柱雨』!」
クレアが火球を何発も放ち、フィオナが槍のような氷柱を何本も射出する。パーガトリアは余裕を崩さないまま、軽やかな跳躍で他の柱へと飛び移りながら、傀儡霊糸による攻撃を続ける。
「右の方にわずかな隙がある! そこから一気に接近戦に持ち込めるんじゃないか!?」
迫る魔力の糸を戦斧で切り飛ばしながら、バーボンが叫んだ。確かにバーボンが担当している右側からは、魔力の糸の量が少ない。一点突破で突っ込めなくもなさそうにみえるが、クレアはバーボンの首根っこを掴んで注意した。
「駄目よ! あっちには『見えない糸』が張り巡らされてるわ! 通ったら細切れになるわよ!」
「ん!? 見えない糸だと、ならあの分かりやすい隙は罠ってことか……って待て、なぜクレアにはそれが分かったんだ!」
「バーボン、クレアは魔力を探知したんだよ。俺もクレアほどの精度じゃないだろうけど、なんとなく分かる」
パーガトリアめ。安い手を使ってくるな。見える糸に注意を払わせておいて、本命は見えない魔力の糸で攻撃することだったってことか。糸が魔力で出来ている特徴を持っていたから、魔力探知で分かったが。
けれど見えない糸にも注意しながら戦うのは神経を使う。このジャングルジムみたいな空間は少々手狭で、武器も振り回しにくいから余計に厄介だ。
「俺は魔力探知なんて器用な真似できん。クレアかルクスが教えてくれんと迂闊に動けないな」
「す、すみません。私も……そういう特訓はあまりやってなくて……」
バーボンとフィオナは『見えない糸』の位置が掴めないか。本音は接近戦に持ち込みたいところなのだが。このまま遠距離攻撃を続けてもパーガトリアは素直に当たってくれないだろうからな。
「分かった、俺とフィオナ、クレアとバーボンで二手に別れるぞ。パーガトリアを挟み撃ちにしつつ接近戦で仕留める。いいな!」
「作戦会議が丸聞こえなんですよねぇ。それを聞いて素直に私が接近戦を許すとでも思いますか?」
パーガトリアは纏っていたローブを破り、真の姿を露にした。下半身が蜘蛛になった女性の魔物。パーガトリアの正体は魔物のアラクネなのだ。腹部から蜘蛛の糸を射出し、周囲の柱や棒にくっつけて蜘蛛の巣を急速に形成しつつ、柱の頂点まで移動する。
言うまでもなく、蜘蛛の巣も、柱の上まで移動したことも、接近戦を阻止するための行動だ。そして安全な位置から魔力の糸を伸ばし俺たちを切り刻もうと攻撃を加え続ける。いやらしいが堅実な戦法だと言わざるを得ない。