83話 後戻りは出来ない
「シレーヌから聞いたよ。四天王のシバルヴァに負けて服従したってこと。オリド、戦うのは止めにしないか。まだ今なら後戻りできる」
「やっぱりあいつは裏切ったか。いつかそうなる気はしていたけどネ。でも俺たちはもう、心の底からシバルヴァ様に忠誠を誓ってるんダ。残念だけど人間の味方に戻る気は無いカナ。それに魔物としての人生も、そう悪くないもんだヨ」
駄目だったか。シレーヌとは違ってもう精神が魔物に寄ってしまっている。そんな印象を受ける。元人間なら説得すれば無用な戦いを回避できるかもしれない、と賭けてみたのだが。そう簡単にはいかないみたいだな。
敵の数は普通のマーマンだけでもざっと五十はいる。水位はゼロになっているから、戦いで不利になる心配はない。オリドは俺がやるとして、もう一人の鯨っぽいマーマンは誰が相手をするかな。と、思っていると、バーボンが一歩前に出て戦斧を構えた。
「パワーファイターにはパワーファイターだ。あの鯨っぽいのは俺に任せてくれんか、ルクス」
「分かった。オリドの方は俺がやるよ。クレア、フィオナ、残りは任せていいかな?」
二人が頷いた瞬間、オリドが抜き放った剣を構えて突っ込んできた。俺も剣を抜き、オリドの剣と鍔迫り合いになる。同時に鯨っぽいマーマンがハンマーを俺の脇腹めがけて振り抜いた。しかし、ハンマーは割って入ったバーボンに阻まれる。バーボンが右足でハンマーを蹴り飛ばし、軌道を大きく逸らしてくれたおかげで俺には命中せず空を切った。
「お前の相手は俺だと言ったろ、鯨っぽいの。どっちが上か試そうじゃねぇか」
「ウ……ウゥ……俺イシュメル。鯨じゃない」
「『白波の歌姫』のメンバーだな。となるとお前はBランク冒険者ってことか……」
冒険者のランクの違いだけで考えれば俺たちに分がある。しかし人間から魔物になった時に、能力が底上げされている可能性を考慮すればランクで実力を測るのは愚かな行為だ。バーボンの情報によればオリドは優れた剣士だったそうだが、魔法なんて使えないはずらしい。なのに俺と戦った時は水系魔法を行使していた。ということは、魔物化した時点で何らかの能力を付加されていると考えるべきである。
「ヌゥオオオオオオオッ!!!!」
イシュメルは咆哮と共にハンマーを持ち上げ、そして地面に叩きつけた。その威力で地面に小型のクレーターを作り、激しく震動する。その震動が足に伝わって、俺たちはぐらぐらと姿勢を崩しそうになった。ただハンマーをぶつけただけじゃないな。これは何かの魔法だ。地面の震動で俺たちの動きが阻害されている。
イシュメルのハンマーで姿勢を崩したのは俺たちだけみたいで、マーマンは平然と銛で攻撃してくる。これが魔物化したイシュメルの能力ということか。震動がいつ収まるか分からないが、ともかく今はこのまま対処するしかなさそうだ。
「さぁ踊ろうか、勇者様はそんな余裕無さそうだけどネェェェッ!!」
オリドの神速の剣が迫る。喉笛を狙った的確な突きだ。震動でまともに動けない以上、剣で受けるしかないのだが、攻撃が突きのせいで受け止めるのも難しい。そこで俺は上体を大きく逸らし、ブリッジの姿勢になって突きをギリギリで避けた。左手で身体を持ち上げ逆立ちになると、オリドの足めがけて剣を薙ぐ。
自分でもこんな曲芸めいたやり方が出来たなんて「よくやった」と褒めてあげたいくらいだ。オリドはバックステップで足を刈り取ろうとする俺の剣を避け、一度距離を置く。手から震動は伝わってこない。そうか。イシュメルの使った技は足が地面についている時にだけ効果が現れるってことなのか。
バーボンとイシュメルの戦いを一瞬確認する。やはりと言うべきか、震動の影響でバーボンは思うように動けず防戦一方となっている。クレアとフィオナは魔法による攻撃が主体だ。そこまで劣勢に追い込まれる心配はなく、着実にマーマンの戦力を削っている。
作戦変更だ。まずはイシュメルを倒して震動を止める。左腕の力だけで飛んだ俺は、バーボンの両肩に着地して、その肩をさらに蹴って跳躍する。イシュメルの頭上をとった。そのまま剣を両手で握り締めて唐竹割り。脳天をかち割ってやる。
そんなことを黙って見過ごすオリドではない。イシュメルへ垂直に落下する俺を水系魔法で攻撃しようとして、バーボンの戦斧が邪魔をした。ちょうどイシュメルvs俺、オリドvsバーボンにチェンジした構図となる。最初の打ち合わせとは全然違うが、戦いってのは流動的なものなんだ。
「ふんぬぅッ!!」
イシュメルは負けじとハンマーを下から上へとスイングさせ、剣ごと俺を叩き潰そうと迎え撃つ。剣とハンマーが激突した時、勝ったのは俺の『白銀の剣』の方だった。この剣はドワーフの鍛冶師、トバルカインさんの作った剣だ。普通のハンマーなんか相手じゃない。速度の乗った剣はイシュメルのハンマーを切り裂き、奴の鯨のような頭部に命中した。
「っ……浅いかっ」
要因としてはハンマーが盾代わりになったこと、魔物化して身体が頑丈になっていたこともあるだろう。脳天に命中した一撃で死に至らしめることはできなかった。光の粒が少しだけ飛び散りこそしたが、イシュメルは軽く頭を振ってまだまだ戦える、とでも言わんばかりに他のマーマンから銛を奪い取る。
だが、この一連の攻防で俺は確信した。やれる。水のない場所なら十分に倒せる範囲内の強さだ。次こそ仕留めようと剣を握り直して突っ込もうとした時、足元から間欠泉のごとく水が溢れ出して俺は急停止せざるを得なくなった。どういうことだ。この階層の水位はシレーヌが魔法陣を見張ってるから変わらないはず。なぜこんなことが起きる。
「何をもたついているんだ? オリド……早く勇者を殺せ」
低い女性の声が階層中に響き渡る。誰だ、こいつは。オリドに命令しているということはこの声の主がシバルヴァなのか。確かに今まで戦った四天王にも似た嫌な気配が漂っている。オリドは湧き出ている間欠泉に向かって跪いた。
「はっ。ご助力感謝いたしマス、シバルヴァ様。ただちに勇者を抹殺致しまス」
間欠泉は激しさを増し、瞬く間に水路を水で満たす。寸前のところでクレアが風系魔法を使い、空気の球体で俺たち全員の顔を覆ってくれた。これでしばらくは水中でも息ができる。だが水中である以上、動きに大きな制約が出来てしまったのは間違いない。しかも、マーマンであるオリドたちは逆に動きやすくなったことだろう。
それにしても、階層ひとつを瞬時に水で埋め尽くすとは。シバルヴァの水系魔法は非常にレベルが高い。魔力量も人間とは比べ物にならないほどだ。シバルヴァがいる限り、水位の魔法陣なんて初めから関係なかったってことか。これは誤算だ。
「さぁて最終ラウンドだヨ。勇者様。水中で俺たちに勝てるかイ?」
まさしく水を得た魚ということか。オリドは水中を自在に泳ぎ、高速で剣を構え突っ込んでくる。袈裟斬りが来る。水のない場所で戦った時とまるで剣速が変わっていない。今の俺じゃあ剣を使った防御は間に合わないか。
「『八咫鏡』っ!!」
全方位を守る光系魔法の障壁を発動し、剣を防ぐ。オリドは負けじと何度も斬撃を繰り出すが、八咫鏡には罅ひとつ入らない。すかさず『破魔矢』をオリドめがけて連続で撃ち出すと、剣で攻撃するのを止めて回避行動に移る。
「ちぃ……さすがに勇者は隙が無いネ。じゃあこっちはどうカナ!?」
オリドはイシュメルと合流して一緒に突撃した。二人が狙ったのは他のマーマンを相手にしているフィオナとクレアだ。後方支援担当の二人を放っておくわけにはいかない。カバーに向かうが泳ぐスピードではとてもマーマンには勝てない。俺の助けは間に合わなかった。