81話 水に沈みゆく中で
激流が通路に流れ込んできて瞬く間に水位が上がってきている。もう、膝くらいの高さまではある。こんな時こそ、落ち着かねばならない。このままだと数の多いマーマンたちとの戦いはかなり不利だ。
いったん撤退するという選択肢もないわけではない。だが水位を上げられたということは俺たちの退路にもマーマンが待ち伏せているわけで、結局は戦うしかないってことだ。
「お、やる気カナ。いいねェ~。そういう威勢のいい奴は好きだヨ。殺しがいがあるからネ」
喋るマーマンの奴もやる気らしいな。なら、最早余計なことを考える必要は無いだろう。全力で戦う。それだけだ。俺は剣を構え、一直線にマーマンの群れへと突撃した。バーボンは戦斧を構え、後衛の二人を守る役になる。クレアとフィオナは魔法による支援役だ。銛で応戦の構えを見せた三体のマーマンを一太刀で斬り伏せ、喋るマーマンへ袈裟斬りを放った。
この群れのボスは十中八九あいつだ。あいつを殺せば、群れは動揺し統率を無くす。そうすればこちらは戦いやすくなるし、運が良ければ向こうが撤退するかもしれない。
俺は今放てる最速の一撃で喋るマーマンに斬りかかる。並みの奴なら避けることは不可能。なのだが、喋るマーマンは腰に帯びていた鞘から剣を抜き、俺の剣を防ぎ切った。こいつ、速い。
「オオッ。やるネェ。自慢じゃないけど俺も『速さ』には自信があるんダ。というかそれだけが取り柄でネ……」
鍔迫り合いだ。俺は力任せに剣を押し込むが、向こうは余裕そうに受け止めている。腕力も並みのマーマンとは違いそうだな。ならば向こうには出来ない一手で追い込む。俺は空いている左手で喋るマーマンの脇腹に『烈光掌』を放った。相手は今、右手で剣を握って俺の剣を受け止めている。そこに右の脇腹に追撃をしかければ、剣で防ぐか、さもなきゃ後退して避けるしかない。
右手の剣で防げば俺がすかさず斬りかかる。奴にそれを防ぐ手段はない。後退して避けるのが一番無難だが、守りに入ったらもう奴が攻撃に転じる隙は与えない。なぜなら右腕と左腕、両方で攻撃できる俺の方が一手多い分有利であり、捌き切ることはできないと言い切れるからだ。
「お~っと。怖い怖い。勇者様は容赦がないネェ!!」
喋るマーマンは誤った選択肢を選ばず、堅実に後退して距離を取る。ただし、追撃を防ぐために口から水の塊を吐いてきた。水系魔法による牽制か。口から吐くのは予想外だが、確かに相手がマーマンなら使ってくる可能性はあったな。
俺が水の弾を剣で切り払うと、お互いに距離を取り、完全に仕切り直しとなる。周囲のマーマンたちは俺と喋るマーマンの戦いを邪魔することなく、俺を避けてバーボンたちの方へと一斉に突撃していく。実質的に、俺と喋るマーマンとの一騎打ちになったわけだ。
まだ水位は太腿のあたりまでしか上がってない。動きに多少の制約はあるが、まだ戦いは継続できる。水位が上がり切ったら俺たちはかなり不利になってしまうだろう。それまでに喋るマーマンを倒すか、そうでなくともマーマンの数は限りなく減らしておきたいところだな。
「俺の自己紹介でもしようカ? これでも昔は人間だったんだヨ。どう、こう言われると気になるでショ?」
これまた唐突な提案だな。時間稼ぎであるのは明白だ。水位が上がるほどマーマンの方が有利なのだから、あからさますぎる。でもこのマーマンが元人間だったというのは、気にならないと言えば嘘になる。人間が魔物になる例はいくつかあるんだ。例えばアンデッドのスケルトンやゴーストは元人間の魔物と呼べるであろう。彼はいかにして魔物へと変貌してしまったのか。
「人間の頃はオリドって名前でサ。勇者ほどではないけど、これでもちょっとは名の知れた冒険者だったんだヨ。パーティーを組んでリーダーもやってた。『白波の歌姫』ってパーティー名だったんだケド……まぁ、流石に聞いたことはないよネ」
「なんだとっ。お前があのAランク冒険者の! この国じゃあ有名なパーティーじゃねぇか!!」
後ろで他のマーマンと戦っていたバーボンが反応した。流石、この国で長年冒険者をやっているベテランだ。バーボンはオリドのパーティーのことを知っていたらしい。元Aランク冒険者だったというなら俺とまともに戦える強さにも納得がいく。しかし、なぜそんな人物が魔物になってるんだ。
「四天王のシバルヴァ様は慈悲深いのサ……たとえ敵であっても気に入った者は味方に引き込むんだヨ」
「人間を魔物に変えて、か。悪いけど元人間でも俺は容赦しない。魔物に与するなら倒すまでだよ」
オリドは薄気味悪い笑みを浮かべると、手をかざし、水の散弾を発射する。俺は散弾を剣で防ぎながら近づこうとするが、オリドは距離を保ったまま接近戦から逃げ続けている。あくまで時間を稼ぎ、自分が有利な状況になるまで待つ考えだ。
剣が届かない距離なら仕方ない。あまり性分ではないけれど、光系魔法を主体にした戦いに切り替えるしかないか。右手に剣を握ったまま、左手を突き出し、魔力を集中させる。そして一気に解き放つ。魔力は光の矢となってオリドを襲う。
『破魔矢』と呼ばれる光系魔法だ。名前通り魔物に効く『浄化』の力が込められており、マーマンであるオリドが掠りでもすれば毒のようにダメージを受けることになる。
「小賢しいネ。この程度の魔法で俺を倒そうなんて面白いことを考えるヨ!!」
小賢しいのはどっちなんだ。だが相手には軽口を叩くだけの余裕があり、俺の『破魔矢』を剣で叩き落す技量を持ち合わせている。オリドは防御の隙間に口から水弾を吐いて、反撃まで加えてくる。俺もまたそれを剣で防ぎつつ、『破魔矢』を連射する。その間にも水位はどんどん上がっており、もう俺の下半身は完全に水に浸かっていた。
「ルクス、そっちは大丈夫かしら。こっちのマーマンはもう倒し終わるから、もう少し耐えてちょうだい」
「問題無いさ、クレア。多分なんとかなる」
俺はつい問題無いと口走ってしまったが、それは見立てが甘かったと言わざるを得ない。直後、オリドは水系魔法を発動し、俺たちの浸かっている水が大渦を描き出したのである。なんとか踏ん張るが、耐えきれなかった。俺は体勢を大きく崩して大渦に巻き込まれてしまう。一方、マーマンたちは大渦の流れの中でも自由に泳ぐことができる。この差は大きい。
「そこダッ!!」
無防備な姿を晒した敵を見過ごすはずもなく、オリドは俺に神速の一撃を放った。常人の肉眼では捉えられないほどの速度だろう。狙いは脳天。力の出し切れない半端な体勢でどうにか受け止めると、オリドは口笛を鳴らして後退した。無理に追撃はしかけてこない。慎重すぎるほど慎重だ。
「諦めなヨ。数分もすればこの階層は水に沈む。そうすれば君たちに勝ち目なんてないヨ」
「……諦めは悪い方なんだ。どんなに苦しくしても希望はあるはずだって、自分に言い聞かせてる」
「勇者ってのも辛い生き物だネ。さっさと諦めて現実を受け入れてしまった方が、かえって救いがあると思うケド」
オリドと一緒にいたマーマンはクレアたちのおかげでもうほとんど残っていない。だが問題はオリドだ。元Aランク冒険者の水棲魔物。この階層が水に沈み、奴に有利な状況と化したら四対一でも苦戦を強いられるだろう。さきほどまでの戦いで奴の実力の高さはよく分かった。
俺は足に全力を込めて、石造りの地面を踏み抜いた。足が地面にめり込み、大渦の中でも流されずに姿勢が安定する。この場から動くことはできないが、立つこともままならない状態よりはよっぽどマシだ。これならまだ戦いようはある。
「これで腰を据えて戦える。小賢しいやり方はなしだ。本気でやろう」
「驚いタ。凄い足の力だネ。なるほど楽しくなって…………」
異変を一番早く察知したのはオリドだった。次にマーマンが気づいた。何かをオリドに告げている。やや後になって俺も気づいた。上昇を続けていた水位がなぜかどんどん減少しているのだ。理由は分からないが俺たちにとって有利に働くのは言うまでもない。
「……ここはいったん撤退だネ。相手は強敵だからサ。下の階層でまた会おウ」
「ギーギギィィ。ギッギッ」
「……『あいつ』の仕業だヨ。他に水位をいじくる奴はいないはずだからネ」
オリドはマーマンに合図をして水に沈むと、とてつもない速さで水中を泳ぎ撤退する。追いかける暇さえなかった。もっとも、今は深追いしない方がいいだろう。元人間のマーマン、オリドか。今回は四天王以外にも厄介な敵がいるみたいだな。




