80話 マーメイドの忠告
二層目の水位が下がっていくのをじっと待っていると、分かれ道から女性が顔を覗かせた。冗談みたいな話だけど本当だ。明らかに普通の人間じゃない。その女性は美しい金髪をなびかせながら、俺に近寄って手を握った。
そこまで接近を許してようやく気づけた。この女性は人間ではなく、下半身が尾鰭となっている水棲の魔物、マーメイドだということに。本来なら警戒すべきところだが、敵意は感じない。油断を誘うわけでも攻撃してくるわけでもなさそうだ。
「勇者様、これ以上進んでは駄目です。すぐ地上に戻って下さい」
マーメイドは懇願するかのように一言だけ告げると、手を離し、分かれ道へと消えていった。まず頭に浮かんだのはなぜ魔物であるマーメイドが俺に忠告なんてするんだ、という疑問だ。しかもついさっき俺は彼女の仲間であるマーマンを倒したばかりだというのに。
水没していた二層目の水位が下がり切り、ただの通路に戻ると、階段の上にいたクレアたちが降りてくる。俺はついさっき起きた奇妙な出来事を打ち明けると、クレアは腕を組んで溜息を吐いた。
「ルクス、貴方魔物にばかりモテてどうするつもりなの? もしかして人間に興味無いわけ?」
「冗談は止めてくれ。俺は純粋に疑問に感じてるんだ。ただのマーメイドじゃないかもしれない」
バーボンに預けた荷物を受け取りながら、彼はこう言った。
「魔物と冒険者の恋愛話も、ないわけじゃないぞ。だいたい悲恋の話だが……」
「いや……俺は別にマーメイドに惚れてるわけじゃなくて……」
単純に疑問を感じているだけなのになぜか俺はそういう扱いを受けてしまうことになった。これでも俺は魔物退治に関してプロフェッショナルでいるつもりだ。色気には惑わされない。むしろ倒すべき敵に好かれたって情に流されそうになるだけだから、全然嬉しくない。
「ですが……四天王を倒すためにも、私たちは先に進むしかありません」
フィオナの言う通りなんだよな。最後の四天王が何者かについては、まだよく分かっていないが。この迷宮を根城に選んだということから、水棲の魔物かもしれない、という推測ぐらいしか出来ていない。もしかしたら全然関係ない可能性もある。
「行こう。どんな困難が待ち受けていても、俺たちに後退はないよ」
水位を最大限下げたおかげなのか、その後二層目でマーマンと遭遇することは無かった。さっき出会ったマーメイドとも。地図のおかげで二層目から三層目に降りるための階段もすぐに見つけることができた。
運が良いことに今回は水位を操作する魔法陣が水没しているということも無かった。階段のすぐ入り口に魔法陣が設置されている。俺が魔法陣に触れようとした瞬間、階段から何かが高速で飛び出す。狙いは俺だ。慌てて後方へ跳躍して避けると、そいつはびたっと壁に張りついて舌を伸ばしながら牽制した。
「ゲココッ……」
この特徴的な鳴き声。髭を生やした蛙のような身体。ヴォジャノーイだ。マーマンに並ぶ水棲の魔物だな。水中で強いのももちろんそうだが、地上でも動きが俊敏かつ変則的で中々厄介な魔物であることで有名だ。
「こいつが魔法陣を守る門番ってことか……一体なら簡単に倒せそうだな」
バーボンが呟きつつ戦斧を構えると同時。三層に繋がる階段から続々とヴォジャノーイが姿を現わした。全部で十体はいる。俺も剣を抜き放ち戦闘態勢に入る。それが戦いの嚆矢となり、ヴォジャノーイたちが一斉に襲いかかってくる。俺は後衛のクレアとフィオナを攻撃から守るため、体当たりしてくるヴォジャノーイを避けずに真っ向から切り払う。剣は腹部を切り裂き、光の粒を撒き散らす。
俺が攻撃を加えた瞬間、後衛にいたヴォジャノーイが舌を伸ばしてきた。俺は振り払うようにフリーになっている左腕で防御するが、舌が巻きついた。引っ張る力に負けないよう、腰を落として踏ん張る。並みの冒険者ならここで体勢を崩しただろうが、俺はそんなやわな鍛え方はしていない。
すかさずバーボンが戦斧で絡みつく舌を斬ってくれたので、俺は左腕に魔力を込めて手近なヴォジャノーイにぶちかました。光系魔法の初歩、『烈光掌』である。光系魔法に共通の効果である『浄化』は魔物によく効き、一撃でヴォジャノーイを死に至らしめる。
俺がそうして二体倒している間に、バーボンも戦斧でヴォジャノーイ二体を片付けていた。俊敏な動きに惑わされず、冷静に仕留めていく姿はまさしく熟練された冒険者の戦い方だ。俺たち前衛が稼いだ時間のおかげで魔法の準備が整ったらしい。クレアが雷系魔法を発動させ、残りの個体全てに攻撃をしかける。
雷撃は四体のヴォジャノーイに命中したが、残りの二体は素早い動きで壁に張りつき逃げてしまった。垂直な壁を高速で這い回る姿はまるでヤモリか虫のようだ。二体のヴォジャノーイはフィオナを標的に定め、突進をしかける。
「如意伸杖っ!!」
「ゲゴォッ!?」
フィオナを甘く見ていたな。一体は氷でリーチの伸びた杖で叩き伏せられ、フィオナはすかさずもう一体に突きを繰り出す。先端は尖った氷と化しており、ヴォジャノーイに深々と突き刺さった。あれは『如意鋭槍』というフィオナの氷系魔法だな。
最後に杖で叩き伏せられてノビている個体に俺が止めを刺し、これで魔物は全て片付いたはずだ。苦戦することも無く倒せて良かった。バーボンが魔法陣に触れると、重厚な音が響き、三層内に満たされている水が何処かへと排水されていく。
「今のところ、それほど厄介な魔物はいなさそうね。四天王の手下ならもうちょっと強い魔物がいるのかと思ってたけど」
「まだ何とも言えないけど、油断は禁物だよ。俺たちの手の内を知るためにあえて雑魚をけしかけてるのかもしれない」
二層目もそうだったが、三層目は一層目と違って人間の通る道がない。完全に水路のみとなっている。今は水位がゼロになっているから普通に歩けるけれど、もしそうでなければ探索は困難になっていただろう。水位操作の魔法陣に感謝だ。
「……待った、ルクス。気をつけて……その道の先に魔力の反応が複数ある。魔物が待ち構えてるわ」
後衛のクレアが俺を呼び止める。探知魔法に魔物が引っかかったみたいだな。俺たちは各々武器を構え、慎重に道を進んだ。そこは開けた空間となっており、何十体ものマーマンたちが俺たちを待ち伏せしていたのである。
「ギギィ……ギーギッギィィィ!!」
マーマンたちは銛を構え、威嚇するように叫んでいる。例のごとく、一体何を話しているのかはさっぱり分からない。その中に一体、異質なマーマンが紛れ込んでいるのが分かった。普通のマーマンはほぼ全裸に近い格好をしているが、そいつはまるで冒険者みたいな服装で、足も尾鰭じゃない。手はよく見ると水かき状になっていて、顔もどこか魚人を思わせるが、他のマーマンよりよほど人間に近しい姿をしている。
「こいつらが侵入者か……シバルヴァ様が勇者には気をつけろと言っていたけれど、お前がそうなのかイ?」
姿だけじゃない。人間の言語まで知っているのか。ただのマーマンじゃないな。こいつ、一体何者なんだ。
「勇者がどうとかなんて、大した問題じゃないさ。俺たちは四天王に用がある。押し通らせてもらうぞ!」
「数の差にちっとも恐れないなんて勇敢だネ。まぁいいカナ。ここに来る人間は全員、転生宮送りだからネ」
話すマーマンの言っていることはよく分からないが、水のない場所ならマーマンの強みは半減される。例え普通のマーマンより多少強くたって余裕で倒せるレベルのはずだ。剣を握り締め勇ましく先陣を切ろうとした瞬間、この部屋に大量の水が流れ込んできた。どうなってるんだ。三層目に入る前に水位は下げたはずだ。
「驚いているようだネ。知らなかったのかナ? 水位の魔法陣は下げるだけじゃなくて上げることもできるのサ」
くそっ、あいつの仲間が魔法陣を操作して三層目の水位を上げたってことか。厄介な真似をしてくれる。