62話 亜人の住む森
数日の準備を挟んで、俺たちは急ぎ足で北にあるグラナディラの街を目指す。
もっともそれは過程でしか無くて、本当に目的地はその近くの『禁断の森』だ。
アル王子も言っていたが、グラナディラの街はもう壊滅している。
残念だが助けるべき人間もいなければ倒すべき四天王だっていない。
ここでギルドに送られてきた報告について語っておく。
街は見たことも無い謎の植物で埋め尽くされ、もう人の住める環境ではない。
謎の植物は常に大量の毒花粉を散布しており近づくだけでも危ない。
偵察に向かった騎士も全員、その被害に遭ったという。
治癒魔法に心得のある僧侶が同行していなければ恐らく全滅していた。
騎士たちがさらに調査を進めると、新魔王軍配下の魔物と交戦。
死の間際、その魔物は今『禁断の森』を攻めていることを話した。
率いるのは四天王の一人にして『叡智の千年樹』の異名をもつ魔物。
名前をリンボルダというらしい。今のところそれ以上の情報は無いようだ。
「……本当に街全体が植物に覆われてるな。どうなってるんだ、あれは」
望遠鏡で確認してみたが、偵察で得られた情報は信用して良さそうだ。
遠方からグラナディラの様子を覗き見して俺はそう判断した。
「魔法じゃないかしら。植物魔法ならあんな芸当もできると思うけど」
「植物の操作に長けた魔物か……次の四天王はトレントの可能性があるな」
「木に擬態してるでっかい魔物のこと? 確かに異名とも合致するわね」
隣のクレアが頷く。ミノタウロス、フェニックスと来て、次はトレントか。
トレントは魔物の中じゃ大人しい方だ。侵入者のみを襲うタイプが多い。
生半可な剣や弓じゃ歯が立たず、炎が唯一の弱点だと言われている。
「そろそろ先に進みましょうか。私たちの目的地は『禁断の森』なんだから」
リーダー役にも慣れてきたのか、クレアは手をパンパンと叩いて先へ進む。
今回は道なき道しかないような森が目的地なので、馬車ではなく徒歩だ。
俺はぼんやりした返事をしてから後に続く。今回の戦いには懸念があるのだ。
それは不可侵条約が結ばれた亜人の住む領域へ行かねばならないということ。
向かうに際して、何かの足しになるとアル王子から書状を授かってはいる。
内容はまあ要約すると、この冒険者たちは王国が派遣した亜人のための戦力であり、是非使ってあげてほしい。って感じだ。アル王子の署名もちゃんと入ってる。
本当は親書を渡したかったらしいのだがイリオン王国には現在国王がいない。
アル王子が国王になる予定ではあるものの、戴冠式がまだ済んでいないのだ。
今、国には君主がおらず宙ぶらりんの状態になっている。
話を元に戻すが、実績としてすでに四天王の二名を倒しているとも書いてある。
言わずもがな、土崩の怪腕牛タルタロスと黒炎の不死鳥ヘルヘイムのことだ。
書状は四天王退治をスムーズにするためのものだ。
しかし紙切れ一枚渡されてはいそうですかで済むのだろうか。
「ルクス。ひとつ確認していいかしら。もし亜人が私たちを受け入れずに襲ってきたらどうするの。亜人の傾向からすると、その可能性も十分に考えられると思うんだけど」
というより俺もその可能性の方が高い気がしている。
「……そうだな。その時は亜人を殺さず制圧して四天王を倒す」
そう。余計な敵を増やしかねないのが今回の懸念そのものなのだ。
ただ俺たちが襲われるだけなら良いのだが、この国と亜人の関係まで悪化したら申し訳ない。
「はぁー。なんか割に合わないわね。そもそも私たちが受けた依頼って、本来なら都市の奪還でしょ。亜人の土地にまで首を突っ込む必要はないんじゃない?」
先頭を歩くクレアが溜息をついて前髪をかき上げる。
言い分はもっともだな。だがリンボルダも恐らくはSランク相当の魔物。
この国の亜人がどれだけ強いかは俺も分からないが、勝つ見込みは薄い。
亜人は俺たちを嫌うだろうが、多少強引でも助けられるなら助けたい、と思う。
気になるのは、なぜアル王子が亜人を助けたいと思ったのかだな。
俺と同じなのか、それとも裏があるのか。判断がつかない。
ともあれ特別な理由が無い限り、亜人に干渉する必要が無いのも事実だ。
グラナディラの街を覆っている植物だけ何とかすればいいんだ。
四天王リンボルダが『禁断の森』から街まで戻ってきたら、その時に改めて倒せばいい。
「そうですね。けれど……助けられる命があるのなら、助けるべきです」
「でもフィオナ。向こうは差し伸べた手に噛みついてくるような連中よ」
「だとしても……です。正しいと思うからやるんです。感謝されたいわけではないですから」
クレアはフィオナの肩に手を回して、わしゃわしゃと頭を撫でた。
「んもう。人が出来過ぎてるわよ。どんだけ慈悲深いの!」
「い、いえ……そんな。思ったことを言っただけですよ……」
二人がきゃいきゃい騒いでるのを見ると、微笑ましく思えてくる。
俺たちはこれから山を一つ越えなくちゃいけないからな。文字通り。
『禁断の森』はグラナディラの近くと言うものの、山を一つ隔てたところにある。その山こそがイリオン王国と『禁断の森』との境界線みたいなものだな。
俺たちは数日をかけて山を登り、そして下っていく。
幸運なことに魔物と遭遇することもなかった。
いよいよ『禁断の森』の近くまでという場所まで差し掛かる頃。
俺たちは誰かに見られているような奇妙な感覚を味わっていた。
木々の隙間に時々怪しい気配を感じる。
確認してみても勘が良い相手はその正体を掴ませない。
俺が『そいつら』と接触したのは日が沈んでからだった。
夜を越すために薪を集めていると、怪しい気配が近づいてきた。
そいつらは高い木々の上に潜んでいて、最初はゴブリンか何かかと思った。
違う。これは魔物なんかじゃなく狩人のそれだ。それも結構な手練れ。気配の消し方が尋常じゃなく上手い。それでも俺が察知出来た理由は僅かに殺気が漏れているからだ。数は六人か。正確な位置は分からないがすでに包囲されているな。
フィオナたちは夕飯の準備でもしている頃だろう。
俺が一人になるのを見計らっていたのか。
「お前。人間だな。ここから先が私たちの土地と知ってのことか。今から引き返すなら黙って見逃してやろう」
声と共に、木々の隙間から一人の影が躍り出た。女性だ。
均整の取れた顔立ちに長い耳。背中には矢筒。手には弓を持っている。
俺も亜人と会った経験が少ないので何とも言えないが、たぶんエルフだ。
森や自然を崇拝すると言われている亜人の一種。
誇り高く排他的な性格をしており、外敵には容赦がないらしい。
「だが引き返さないなら命は無いと思え。お前とお前の仲間はここで殺す」
冷酷で有無を言わせない強い口調だった。
俺を集めた薪を落とすと懐から書状を取り出して叫んだ。
「待ってくれ! 俺たちはイリオン王国の依頼でやって来た冒険者だ! あなた達の森を襲う新魔王軍の退治に協力したい! 書状がここにある!」
返事は威嚇で放たれた矢だった。
俺の足元に正確に刺さるとエルフの女性が叫び返す。
「そんなものは知らない! お前の選択肢は二つ! 引き返すか、ここで死ぬかだ! 早く選べ!」
やはりこうなってしまうか。
全然嬉しくないけどある意味予想通りの展開だ。
無用な戦いは避けたいところだが、ここは一戦交えるしかないか。