55話 無限領域へ到達せよ その2
私はしばらく与えられた部屋で、脱出方法を考えていました。
呪いの指輪のせいでヘルヘイムに位置は丸わかりです。
どうにかして対策を考えてみたのですが、良い案がありません。
や、やはり、指を切り落とすしかないのでしょうか。
すごく悩みましたが、これ以外の方法を思いつきませんでした。
私の武器は杖なのですが、料理用に包丁も持ち歩いています。
ところで、私の治癒魔法では傷を塞げても欠損部位の完全再生は不可能です。
だから覚悟が必要なのです。これからの人生、ずっと左手の指が四本。
もっと優れた治癒魔法の使い手であったならと実力不足を後悔しました。
「う……うぅぅ……」
呻き声のようなものを漏らしながら懊悩していたその時。
扉をノックする音が聞こえて我に返りました。
返事をするとメイドの人が恭しく頭を下げて入ってきます。
「お食事の準備ができました。ご案内致します」
ダイニングルームに案内されると、そこには豪勢な食事が並んでいました。
領主様の屋敷だけあって、すごく美味しそうです。
パーティーでは私が料理係と自負していますが、ここのコックさんには勝てそうにありません。そのノウハウを少しだけでも分けて欲しいです。
メイドの方に案内されるがまま椅子に座ると、ヘルヘイムも後からやってきました。私の対面に座ると、じっとこちらを見ています。うう。視線が気になります。
「表情が暗いね。遠慮せずにたくさん食べたまえ」
「……神よ。この食事の恵みを、心から感謝します」
そうして二人きりで食事が始まりました。
ヘルヘイムが時々話を振ってくれるのですが、会話は弾みません。
ですが、彼について気になることがあったので、無視もできないのです。
なぜ、少しでも人間を好きでいられる人が、魔王軍などに加担するのか。
私は淡い期待を抱いてしまったのです。それが幻想だと分かっていても。
ヘルヘイムはもしかしたら、分かり合える相手かもしれない、と。
「あなたは……なぜ魔王軍にいるのですか? 人間のことが好きなんでしょう?」
「そうだね。話せば長くなるが、端的に言えば私はかつて魔王様に負けてしまった。それ以来逆らえん。その代理であるパーガトリア様にもね」
「魔王が復活する以前の時代から……部下だったのですか?」
「ああ。昔は四天王なんて面倒な立場ではなかったがね。魔王様の死後、繰り上がりでこうなってしまった」
意外です。ヘルヘイムは私が思っていたより古参の魔物のようです。
どこかで聞いたことがあります。魔物にとって強さは絶対的な掟だと。
魔物同士で争いになり、敗者となれば死か服従しかないそうです。
「ここだけの話、反旗を翻そうと考えたことも一度や二度ではないが……魔王様が復活してしまったからな。その機運は永遠にやって来ないだろう。敵わんよあの御方ばかりには……」
「……だからルクスさんを殺すのですか?」
「そうさ。パーガトリア様から命令を受けている。これも運命って奴かな」
そこでヘルヘイムはナプキンで口元を拭き、静かに立ち上がります。
食事は終わりのようです。座っている私に近寄って、両肩を手で掴まれました。
「……だがフィオナ、勇者が死ねば君を殺す必要はないんだよ。さっきの戦いで、私は君が気に入った。君だけではない。君の仲間たちも。ずっと私の傍に居てほしいくらいさ」
「……それはできません」
そう言うしかありません。いくらヘルヘイムが優しくても、新魔王軍は人間を傷つけるでしょう。この国を襲った時のように、他の国にも戦いを仕掛けるに違いないのです。だからどうあっても、その望みを叶えることは不可能です。
「……はは、傷つくな。あっさり振らないでくれよ。これでも繊細なんだ」
部屋に戻った私はベッドに身を預けて天井を眺めていました。
ヘルヘイムと戦う以外の道はありません。どれだけ心が戦いを望んでいなくても。きっと新魔王軍に所属していなければ戦う必要のない魔物だったのでしょう。
そう考えると、少し悩んでしまいます。ですが戦いは避けられぬ宿命。
なら割り切るしかありません。私はユリシーズさんの亡骸に誓っているのです。
人々を傷つける存在とはたとえ誰であっても戦うと。
「……うぅ」
しかし、やっぱり指を切り落とすというのは気が引けます。
荷物から包丁を取り出して左手の人差し指に当ててみましたが、怖いです。
ですがそれでも。脱出するためには仕方ありません。
いざ指を切り落とそうと力を込めた瞬間、頭に声が響きました。
「指を切り落として指輪を外す気か? やめておけ。無理に外したら呪いをかけた相手にバレてしまうぞ」
危ない。もうちょっとで本当に切るところでした。しかし姿がありません。
食事前もパーガトリアが不意に現れたので、今更驚いたりはしませんけれど。
「ああ。儂は今、ここにはおらん。直接会うのは不味かろう。心に語りかけておる」
「心に……? あなたは一体……その、どちら様でしょうか?」
「おお、そういう感じじゃ。要領が良いな。儂はワイルズという爺さんじゃ」
心に語りかけているそうなので、心の声を念じてみたのですが、上手くいったようです。相手はワイルズさんという人のようですが、少なくとも知り合いではありません。
「もう引退したが、儂はお主と同じ冒険者じゃ。たまーにこういう風に、若い冒険者に助言を授けておる」
「は、はぁ……遠隔視の魔法を使っているのでしょうか?」
「そうじゃそうじゃ。『こっちの事情』に首を突っ込む気は無かったのじゃが、あやつがあまりにも不甲斐ないのでのぉ。磨けば光る原石を助けるくらいは良いと思ったのでな」
なんだかよく分かりませんが、天の助けとはこの事です。
毎日、神に祈りを捧げていたおかげかもしれません。
祈った甲斐がありました。
「その……ばれないようにこの屋敷を抜け出したいのですが、何かいい方法はないでしょうか?」
「儂にかかれば指輪の解呪は簡単じゃが、それでは根本的な解決になるまい」
「と……言いますと?」
「今のままではヘルヘイムとかいう魔物には勝てん。お主のパーティーは長期戦に向いてない」
何となく考えていたことを、ワイルズさんはズバッと指摘しました。
たしかに。まさに長期戦に持ち込まれて、私たちは劣勢だったのです。
同じことをしたところで、何度も蘇生するヘルヘイムに勝てるとは思えません。
「だがお主が強くなればその限りではない。本当ならフェニックスなど敵ではないはずじゃ」
「強くはなりたいですけど……そんな簡単な話じゃありません……」
「ふぉっふぉっふぉ。それが出来るのじゃよ。お主には才能がある」
狐につままれた気分になってきました。
そんなに都合の良い話が存在するのでしょうか。
例えあったとして、私にそんな力があるとは思えません。
というより、ワイルズさんは一体何者なのでしょう。
「自分をもう少し信じてみなさい。お主にはもっとたくさんのことが出来る。それに気がついていないだけでな」
「……分かりました。私はどうすればいいのでしょうか?」
「そのまま寝ていればよい。必要な準備は儂が済ませる……ではゆくぞ」
こほん、とワイルズさんは改まったように咳払いをしました。
「これより賢者ワイルズの名のもとに力を授ける。その名を『無限領域』と呼ぶ」




