54話 無限領域へ到達せよ その1
※しばらくフィオナ視点で話が進みます。ご了承ください。
まさかこんなことになってしまうなんて。
私は、ルクスさんたちの足を引っ張ってしまいました。
治癒魔法を何度も行使して疲れていたとはいえ、敵に捕まってしまったのです。
しかもこの魔物は私を人質にしてルクスさんに自殺を強要しています。
でもルクスさんが死ぬ必要なんてありません。なんとか脱出しなくては。
しかし今は空の上です。遥か上空を飛んでいる以上、落ちたら大怪我です。
いくら治癒魔法が使えるからと言って、高所から落下したら治癒の暇もなく即死です。もどかしいのですが、今は大人しくするしかありません。
「抵抗は止めておきたまえ。このまま落っこちて死にたくはないだろう?」
私たちが戦っていた魔物、ヘルヘイムも見透かしたようなことを言っています。
ですがその通りです。私はしばらく黙ったままでいるしかありませんでした。
「そういえば名前を聞いてなかったね。何というんだい?」
「……フィオナです」
「ふむ。フィオナか……君に似合う良い名前だ。美しいよ」
次第に眼下の景色が変わって、アプリコットの街に着きました。
場所は街の外れにある領主の屋敷のようですね。
ヘルヘイムは屋敷の庭に着地して、ようやく私を離してくれました。
庭は塀で囲まれているようです。簡単には逃げられそうにありません。
ヘルヘイムの方を見ると、巨大な鳥の姿から人間の状態へと戻っていきます。
「きゃっ!」
思わず叫んで目を背けてしまいました。
人間状態のヘルヘイムが一糸纏わぬ姿でそこにいたのです。
私には刺激が強すぎます。る、ルクスさんもこんな感じなのでしょうか。
そういえば復活した魔王も全裸でした。魔物は裸が好きなのかもしれません。
「ああ。元の姿に戻ると服は燃えてしまうのでね。すぐに着替えるよ。部屋にも案内しよう」
ヘルヘイムは今まで出会った魔物の中では一番紳士的な気がします。
でも、おしりを丸出しにした状態で言われると何だか滑稽です。
こんなことは口が裂けても言えませんけれど。
「へっ、ヘルヘイム様!? なぜそのようなお姿で!?」
領主の屋敷で働いているらしい、メイドの人も驚いています。当然ですよね。
ですがメイドさんは努めて冷静に服を持ってきてヘルヘイムに着せていきます。
数分後、ヘルヘイムがようやく初めて出会った状態に戻りました。
「これを君に渡しておこう。さぁ手を出して」
何かいかがわしいことでもされるのでしょうか。
ヘルヘイムは私の左手を握って、人差し指に指輪を嵌めました。
こんなものいつの間に持っていたのでしょう。さっきまで全裸だったのに。
「私が魔法で作った指輪だ。これですぐに位置が分かる。逃げられないよ」
その笑顔は、まるで絵画か彫刻かのように整っていて、美しいと感じました。
指輪も金色に輝いて綺麗です。ですがそんなことでは騙されません。
外そうとしましたが、ぬ、抜けない。まるで指の一部みたいです。
「はは、早速外そうとするなんて傷つくなぁ。でも呪いの効力で外せないよ」
――これがうわさに聞く呪いの装備ですか!?
全然嬉しくありません。とはいえ私も聖職者の端くれです。
聖なる祈りで呪いを解きたい。の、ですがそんな能力は私にはありません。
その後、ヘルヘイム自ら私の監獄となる部屋まで案内してくれました。
客人用の部屋のようです。私が普段泊まっている宿屋より、ずっと広くて豪華ですね。それはともかく、私は思いきって気になっていたことを尋ねました。
「あの……この屋敷の領主様はどうされたのですか?」
「死んだよ。大人しいなら生かしても良かったのだがね。あまりに抵抗するのでそうせざるを得なくなった」
私は心の中で祈りました。せめてその魂が、安らかに天へと運ばれるように。
領主様は亡くなったようですが、屋敷で働いていたメイドや執事は無事です。
もちろん街の住民も。死者は最低限に抑えた、というのがヘルヘイムの弁です。
しかし解せません。新魔王軍はこの国に住む人間を皆殺しにすると言っていました。なのにヘルヘイムはその意に沿わないことをしています。なぜでしょうか。
「不思議なようだね。だが簡単な話さ……私は好きなんだよ。人間と、人間の文化がね」
「文化……?」
「そう。特に芸術は素晴らしいね。魔物にはないものだ。君たちを完全に滅ぼしてしまったら、人間の文化は途絶えてしまう。それは私にとって悲しいことだ。だからあまり、殺したくない」
なんとなく分かりかけてきました。
このアプリコットの街は芸術の都と言われています。
ヘルヘイムにとっては宝の山みたいなものなのでしょう。
だから街を占拠する時も必要最低限しか殺さなかったに違いありません。
「独断行動は慎め、ヘルヘイム。いくら四天王と言えど勝手が過ぎるぞ」
その時、怒気を孕んだ女性の声が部屋に響きました。
たしか新魔王軍の側近、パーガトリアという魔物の声です。
見た目は人間にしか見えませんでしたが、ルクスさん曰く魔物なのだそうです。
部屋の中にぼんやりと、パーガトリアの身体が映し出されます。
なんだかぼやけていて時々、身体がブレますね。
本物ではないようです。魔法で鏡のように姿を見せているのでしょう。
ルクスさんがいつか言っていました。
魔王の側近は蜘蛛を使役することであらゆる情報を集めていると。
きっと私たちの戦いも蜘蛛を忍ばせて観察していたに違いありません。
「おや、パーガトリア様。まぁいいじゃありませんか。それでも魔王様は復活できたんでしょう? リンボルダやシバルヴァが頑張って殺しまくったようですからね。本当に皆殺しを考えてたなんて野蛮だな。タルタロスだってもう少しは人間に甘いですよ」
「死んだ奴のことなど、どうでもいい。なぜ戦いを中断した。あのまま続けていれば確実に勝てたものを……人質を取る必要など無かったはずだ」
パーガトリアという魔物は完全に怒っているようでした。
たしかに、私たちは長期戦になってじりじりと劣勢に追い込まれていました。
何回殺せば魔力が尽きるのか分からないほど、ヘルヘイムは魔力量が多い。
考えたくありませんが、戦い続けても勝ち目は無かったかもしれません。
「それは神のみぞ知るでしょう。勇者はかつて魔王様をも倒した人物。私がフェニックスじゃなければとっくに負けてますよ。それに、あいつが本気になれば結果は分かりません」
「本気だと。手加減しているようには見えなかったが」
「勇者は底知れない敵ですよ。力の全貌を掴めないのが怖いところです」
ヘルヘイムはベッドに腰掛けながら、冷静に語っていました。
ルクスさんの実力を疑ったことなどありませんが、やはり勇者様なんですね。
魔物の目から見てもその名に相応しい御方のようです。なんだか誇らしいです。
「……とにかく、勇者クルスだけは確実に殺せ。他の仲間は二の次で構わん」
「承知してますよ。必ず吉報をお届けしますので、枕を高くしてお眠り下さい」
「ふん。せいぜい失敗するなよ。私はぬか喜びが嫌いだ」
そう言い残して、パーガトリアの姿が消えました。
ヘルヘイムはすっとベッドから立ち上がると共に、溜息を吐きました。
「はぁ。パーガトリア様にも困ったものだ。魔王様が変わられて困惑するのは無理もないがね。勇者を殺せとばかり喚くからうるさくて敵わない」
ヘルヘイムは思わず見惚れてしまう、美しい顔を私に向けて笑いかけました。
敵と仲良くするわけにもいきません。私は笑うことができません。
代わりに、私は再び疑問をぶつけていました。
「あの……なぜ、私を人質に選んだんですか? 弱いから?」
「はは、違うさ。君が美しいから、手元に置いておきたかったんだ」
「え……?」
そんなこと今まで言われたことがありません。
私は驚いてつい、一歩後ろへ下がってしまいました。
ヘルヘイムは一体何を話しているんでしょう。
「安心したまえ。何もしないよ。ただ美しいものが好きなんだ。それだけだよ」
そう言ってヘルヘイムは部屋を去っていきました。
人間の姿になったり、人間の文化が好きだと言ったり。
ヘルヘイムは異質な魔物です。なぜ魔王軍に所属しているのか分かりません。