44話 死を待つだけの日々
同じ牢にいたアランの話によれば、毎日に数回程度、コロッセオでは人間がミノタウロスと戦わされる。
フロウの情報通り、武器は持たされない。それはひどく一方的な戦いらしい。
らしいというのはアランも牢屋に入っているせいで実際に見たことはないのだそうだ。
だが、並みの冒険者ならそれはほとんど処刑のようなものだ。
アランはいつも牢の隅っこに座って、震えながら死を待つだけの日々を過ごしている。
酷な話だ。俺が冒険者を始めたのもアランと同じくらいの年齢だったか。
駆け出しのの頃に同じ目に遭っていたら、きっと死んでいただろうな。
だから彼が恐怖するのも分かる。こんなこと早く終わらせなくては。
「飯の時間だ! さっさと食えよ!」
見張り役のミノタウロスが牢屋まで来て、お椀を三つほど置いていった。
お椀の中にはシチューなんだかスープなんだかよく分からん液体が入っている。
不味そうだな。スプーンで掬って一口飲んでみたが、あんまり味がしない。
まぁ生ぬるい水だと思えば食えないこともないか。
具材はなんかの野菜だと思われる。一体どこから調達してるんだろうな。
魔物の作るもんだから期待しちゃいなかったけど、まったく文化的ではない。
「アラン、これだけで足りるのか? その年齢なら食べ盛りだろうに」
バーボンがちびちび謎の液体を啜りながらそんなことを言った。
アランは少しやつれているようにも見えるし、栄養的には不安があるな。
「い、いえ……お気遣いなく……大丈夫ですから……」
遠慮がちにそう言った直後にぐぅ、とアランのお腹が鳴った。
全然足りてないみたいだな。まぁ生ぬるい水に謎野菜が浸ってるだけだしな。
バーボンは自らの懐をごそごそと探ると、赤い果実をアランに投げ渡した。
「りんごだ。後は乾パンと干し肉ぐらいしか持ってないが……食べるか?」
「い、いいんですか!? ありがとうございます!」
アランはぱっと顔を明るくしてりんごに齧りついて頬張った。
よほど空腹だったらしい。あっという間にりんごと乾パンを食べてしまう。
俺も何か渡そうかなって思ったけど、ポーションしか持ってないな。
「す、すみません……気を遣わせてしまって……」
「いいってことよ。禁酒してると口が寂しくなる時があってな、気を紛らわせるのに偶然持ってたんだ」
バーボンはがしがしと荒っぽくアランの頭を撫でた。
「俺には別れた嫁さんと娘が二人いる。もう別れちまったが……」
「そうなんですか……バーボンさんにはご家族がいるんですね」
「アランを見て娘のことを思い出したよ。上の子がリリーと言うんだが女の子なのに活発でなぁ……手を焼かされたもんさ。そういうところが可愛いんだがな」
バーボンが身の上話をしていると、アランも自分のことを語り始めた。
出身はこのイリオン王国ではなく同じ大陸内にある小国出身なのだそうだ。
「父は幼い頃に亡くなってしまい、顔も覚えてません。でも母は仕立て屋をしているんです。僕は昔から手先の器用さには自信があって……罠の解除や鍵開けが得意でした。冒険者はいいですよね。実力があれば僕でもお金が稼げるんですから……母にも仕送りができるし……」
でも、と言ってアランは急に縮こまった。牢屋の隅で両膝を抱えてそこに顔を埋める。やがてすすり泣く声が聞こえてきた。汚い地面にぽたぽたと大粒の涙が零れ落ちていく。
「……でも今は後悔してます。こんなことになるなら、冒険者になるのは止めておけば良かった。死にたくない。死にたくないよ……お母さん……お母さんのとこに帰りたいよぅ……!」
泣き喚かないだけまだ理性的ですらあると言えた。
あまりに騒ぎが大きければ見張りのミノタウロスが余計な真似をしそうだ。
俺にできることは少ない。牢屋の隅で泣くアランの隣に座って、肩を抱いてやることしか。
それで心の波が少しでも落ち着けばいいのだが、俺にそんな包容力あるのかな。
でも俺に泣きついて気持ちが安らぐのならいくらでも助けてやりたい。
「君は何も悪くないさ。悪いのは新魔王軍だ。きっと……何とかしてみせるよ」
捕まった人たちがどんな心境でいるのか、それを強く感じさせる初日だった。
一刻も早くこの状況を解決しなければいけないと思わされた。
そして、そのチャンスは案外早くに訪れることになったのである。
「朝だ! 起きろ捕虜ども!! 今日の決闘相手を決める、全員立ち上がれ!」
おいおい、起こすのが早いだろ。まだ日が昇るかどうかって時間だ。もう少し寝かせろ。見張りのミノタウロスがでかい声で騒ぐので、俺は仕方なく身体を起こして鉄格子の前に突っ立った。ここで決闘の相手に選ばれれば戦うチャンスが巡ってくるというわけだ。なるべく強そうな顔しとこう。
「お前が新入りのクズ野郎か! 恥もなく命乞いをしたそうだな! 死ねっ!」
見張りのミノタウロスの野郎、何をするかと思ったら俺に唾を吐いてきた。
なんでそんなことするの……悲しいんだけど。俺の扱いだけおかしいだろ。
「あまり目立たない方がいいですよ……かといって隠れると逆に指名されます……できるだけ影を薄くするんです」
隣に立つアランが小声でそうアドバイスした。
それがこのコロッセオで生き抜くための、彼なりの知恵なのだろう。
「どいつにする?」
「うーん。弱い奴がいいな。最近ツキが無くてよぉ、ムシャクシャしてるんだ!」
見張りと一緒に、斧を担いだミノタウロスが牢屋を舐め回すように見ている。
弱い奴を探してるらしいな。へいへいこっちこっち。俺を選べ俺を。
「こいつにするか。ガキは良い声で泣くからな! いたぶると面白いぜぇ!!」
なんとそいつが指名したのは、アランだった。
アランは絶句して声を発することもできず口をパクパクしていた。
鉄格子の一部が開くと、ぬっとミノタウロスの太い腕が伸びてアランを掴む。
「い……嫌だ!! 助けてっ、誰か助けてください! 誰かぁ!!」
アランは悲痛な声で泣き叫んで抵抗した。ミノタウロスがにやにやと笑っているとそれを制する者が現れる。バーボンだ。
むんずとミノタウロスの手を引き剥がし、アランは尻餅をついて牢屋の中に倒れた。凄い力だな。魔物のミノタウロスにも引けを取っていない。
「待ちな。そんな子どもと戦って何が楽しい? 俺とやろうじゃねぇか。とことん付き合ってやるぜ」
「ああ? お前らにそんなことを決める権利はない。俺たちが決めることだ。邪魔するのか?」
「なんだよ。新魔王軍の魔物ってのは臆病者しかいないのかよ。呆れちまったぜ」
バーボンが軽く挑発すると、ミノタウロスの奴はそれでブチ切れたらしい。
鉄格子を両手で掴むと力任せに左右へ捻じ曲げていく。完全に怒っている。
力自慢の魔物だけあってまぁまぁのパフォーマンスだな。
「いい度胸だ。誇り高き魔物の戦士がこうも侮辱されちゃ黙っていられねぇ。覚悟はできてるんだろうなぁ?」
「おう。隣のルクスもそう言ってたぜ。なぁルクス。お前なんか力しか取り柄がない馬鹿だってよ」
「なんだとぉ!? 情けなくも命乞いをしたクズごときが……!!」
今回はバーボンに助けられっぱなしだな。これで話は纏まりそうだ。
わなわなと怒りで震えるミノタウロスは、大声でこう叫んだ。
「ルクスにバーボンだったか!? 今日の生贄はこいつらだ! ぶっ殺してやる!!」
こうして俺とバーボンは狙い通りコロッセオの決闘相手に選ばれ、戦う運びになるのだった。