36話 再誕する魔王
水を打ったかのように静まった玉座の間。
それぞれの胸中は俺が勝手に推し量るしかない。でも驚いてるのは確かだろう。
静寂を破ったのはフィオナだ。恐る恐る、割れ物を触れるように繊細に。
「ルクスさんが……あの勇者様って。本当なんですか?」
「……そうだな。ずっと黙ってたけど、俺が勇者クルスだよ」
フィオナはそれきり言葉を失って再び沈黙してしまった。
なんとなく気になってクレアの方を見る。俺を憎んでる、か。
パーガトリアは魔法陣を起動させながら高らかに叫んだ。
「さぁ、憎悪の対象である勇者は目の前にいますよ! クレアさん、好きに暴れていいんです! 感情を解放しなさい!」
「俺を憎んでるのか……理由は知らないが、命ならくれてやってもいい」
いつ死んでもいいと思ってた。
家族のように大切だった仲間を失い、愛する人とも離れた。
俺に残されたものは何もないと思っていた。
「でも、今は死ねない。少しだけ待ってくれやしないか?」
魔王の復活なんて馬鹿げた真似は阻止しなくちゃいけない。
パーガトリアを倒すまでは死ぬわけにいかなかった。
クレアの返答は、パーガトリアに投げつけた火球だった。
敵が展開した魔力障壁に弾かれるが、クレアは構わず火球を放ち続ける。
「……待ってあげるわ。ようするにあいつを倒せばいいんでしょ?」
「ありがとうクレア……恩に着る!」
「役に立たないですね。勇者に対する暗殺者になると期待したのですが……でも構いません! 時間切れですからね!」
パーガトリアの宣言と共に、魔法陣から闇が煙のように噴き出した。
それは玉座の間を埋め尽くすように猛烈な勢いで溢れ出していく。
「こいつに飲み込まれるのはヤバい……! みんな俺の近くへ来てくれ!」
ダンッ、と勢いよく片足で床を踏みつけると魔法陣が浮かび上がる。
青白い光で描き出されたそれは結界となって闇から身を守る。
光系魔法。聖なる結界を形成する『破邪聖域』だ。
「る、ルクスちゃん。何がどーなってんの……!?」
「最悪の事態だ。魔王が復活するんだってよ……!」
噴き出した闇は次第に集まり凝縮されて人間の形を成す。
雪のように白い肌と闇色に染まった艶のある長い黒髪。
頭からは角を生やし、人間でないことを克明に伝えている。
そいつは一糸纏わぬ姿で魔法陣の中央に立っていた。
まるで姫君みたいな美貌の内に孕んだこの殺気は忘れもしない。
かつて俺たちが倒した魔王アンフェールが、今ここに復活したのだ。
「久しいな、パーガトリア。私が死んでどれほどの月日が経った?」
「二年でございます。魔王様、無事に復活されて何よりでございます」
パーガトリアはその場で跪いていた。
俺の心臓は早鐘を打っている。またあいつと戦うのか。
かつては仲間がいた。でも今度は一人だ。果たして勝てるのか。
アンフェールは冷たい目で俺を見ると、感情の無い顔で微笑んだ。
「勇者よ。死後の世界から見ていたぞ、お前のことを。さぞ苦しかっただろう」
「ああ、今も苦しいよ。一人で魔王を倒さなきゃいけないからな」
魔王が笑っているところを俺は初めて見た。
以前に戦った時はずっと無表情だった。
何を考えているか分からない不気味さをよく覚えてる。
「私はずっと考えていた……私が生まれた意味を。理由を。使命を」
「少し変わったな。昔は世界を滅ぼすのに理由は不要だって話してただろ」
「覚えてくれていたのか。そうだな……それが摂理だと思っていた」
以前の奴は世界を滅ぼすために魔物を率いて各国を侵略していた。
滅びをもたらすのは魔物の摂理と言ってな。
「今は違う。勇者、お前を見ていて考えが変わった」
「どいつもこいつも人のことを監視しやがって……何が楽しいんだ?」
はっきり言って魔王の思想なんて俺は興味ない。
魔王は鷹揚に手を広げて言葉を紡ぎ出す。
「おかしいとは思わないのか、勇者よ。世界を救ったお前に対する仕打ちを」
「……何だ。俺を懐柔でもする気か。そんなことしても無駄だぞ」
「そんなつもりはない。お前はかつてこの世界が好きだと言っていたな」
そうだ。それが俺の戦う理由。
どれだけ裏切られても、嫌いになれない。
「お前は目が曇っている。人間が支配する今の世界は歪んでいるぞ」
「……なんだと」
「お前はお前を拒絶する世界をそれでも好きだと言うのか? これほど虚しいことはないな」
たしかに故郷に帰った俺は、身分の低さから蔑まれ嫌われた。
世界を救った勇者と言っても扱いはそんなもんだ。
貴族や王族にとって俺は成り上がりを考える都合の悪い存在だった。
「そこで私は考えた。歪んでいるなら創り直せばいい。私とお前で」
「魔王……何を言ってるんだ……お前は……」
「創造は破壊から生まれる。私が滅ぼし、お前が創るのだ。新たな世界。真の平等な世界を。お前にはその資格がある」
魔王の言葉を聞いて、アンナが俺の横に飛び出した。
いてもたっても居られないといった様子で。
「騙されちゃー駄目だよルクスちゃん! 相手は魔物だよ! どんだけ美人でも!」
「……こんな時にボケるなよ。俺は魔王に協力なんかしないよ」
だいいち、魔王は俺の仲間の命を奪った相手だ。
そんな奴に手を組めと言われたところで、はいそうですかは無理だ。
前向きな考え方をすれば、もう一度敵討ちができて嬉しいくらいなんだ。
「魔王様、お言葉ですが説得は困難かと……相手はあの勇者です」
パーガトリアは跪いた姿勢で魔王を諫めると立ち上がって構える。
思考の読めない魔王と違って、あいつは俺を完全に殺す気だ。
「そうか。それは残念だ……私は勇者に惚れているというのに」
「魔王様……今何とおっしゃいましたか?」
戦闘態勢に入っていたパーガトリアはやや狂ったトーンの声で尋ねた。
俺も耳を疑った。惚れてるって、あの惚れてるって意味でいいのかな。
「勇者には前回の戦いで私に欠けているものを感じた。私は勇者クルスが欲しい」
「ま、魔王様……お戯れを。まさか人間と魔物が恋に落ちるなど……」
「そう不思議な話では無いだろう。正反対の存在だからこそ惹かれ合うのだ」
誤った認識を助長させるんじゃねぇよ。
なんか相互に想い合ってるみたいな言い方したけど全然違う。
俺は別に魔王のことなんて好きじゃない。むしろ嫌いな方だ。
「それが最期の言葉でいいのか。だったらそろそろ戦わせて……」
「頑張って考えた口説き文句なのに通用しなかった。今日は退くぞ」
「は……? はぁ……よろしいのですか?」
「復活したばかりで私も万全ではない。勇者を手に入れるのは次の機会にする」
魔王が本調子じゃないのは俺も感じてる。
殺気や威圧感は以前のままだが、今こそ倒すチャンス。
だが、魔王とパーガトリアを飲みこむように闇が現れた。
あれは闇系魔法の能力。異空間を形成して転移する魔法だ。
「次に会う時も断れば、私は『力』でお前を手に入れる。それを忘れるな」
それが魔王の捨て台詞だった。厄介なことになったもんだ。
ともあれ新魔王軍を率いているパーガトリアと復活した魔王は王都から去った。