105話 絆が紡ぎ出す力
手を伸ばす。さっきの衝撃で剣を落としてしまったからだ。足の負傷が思っているより酷くて、上手く立ち上がれない。地面をなんとか這いずりながら、剣の柄を掴もうと必死に手を伸ばす。
その時だった。温かい何かが、俺の手を覆った。フィオナの手だ。フィオナの小さくて温かい手が、俺の手に重なっていた。治癒魔法の光が放たれると、俺の傷が少しずつ癒えていく。完治には時間がかかりそうだが、痛みはかなり和らいだ。なんとか戦えそうだ。
「フィオナ、いつもありがとう。これでどうにか……」
フィオナが、俺の手を離さないように強く握りしめた。治癒魔法が続いている。フィオナの顔を見ると、俺をじっと見つめていた。
「ルクスさん……死ぬ気なんですね。『無限領域』の力を使って」
俺は何も言えなかった。
「駄目……ですよ。一人で死ぬなんて。そんなこと、絶対にさせません」
「でも……どうすればいいんだ。もう他に勝つ手段がない」
「ルクスさん一人にだけ背負わせません。私も……一緒にやります」
フィオナの言おうとしていることが、なんとなく分かった。一か八かの賭けに違いないが、生き残る可能性はまだゼロじゃない。そう言っているんだ。そもそも、なぜ無限領域の力が危険なのかというと、領域から引き出せる力があまりにも高純度だからだ。高純度の魔力は物質の崩壊をも招く。
そこで、領域の力を使う者はその量や純度を制御する。希釈する、と言ってもいい。俺はそれが出来ないから封印しているのだ。
だがそれにはもう一つやり方がある。もし無限領域の魔力を二人に分散して引き出せばどうなるか。魔力は希釈され、肉体が崩壊する純度では無くなるかもしれない。
しかも、それが領域の制御の得意なフィオナと一緒なら。死なずに済むかもしれない。人数が多いほど、このやり方なら制御は簡単になるだろう。でも今まで試したことのない方法だ。成功するかどうか、賭けには違いない。
「私が無限領域の力を使っても、治癒魔法か氷系魔法にしか使えません。ルクスさんに頼るしか……ないんです」
でも、失敗したら俺だけじゃなくフィオナまで犠牲になるかもしれない。それに魔王がそんな隙だらけのやり方を見逃してくれるのか。甚だ疑問だ。魔法一発撃たれただけでおしまいになりかねない。実戦で通用するなら、賢者ワイルズが教えてくれていても良いような方法じゃないか。
「なんかよく分からんが、俺は乗ったぜ。二人だけには背負わせん!」
這ってきたバーボンが、その大きくて分厚い手を俺たちの手に重ねた。
「やろうとしてることは察したわ。賭け事は嫌いじゃない。やりましょう!」
クレアの長く細い指が更に手の上に重なる。そう言われたら、やるしかないじゃないか。三人の力を借りて、俺が無限領域の力を使いこなす。それがこのパーティーの勝ち筋なんだ。
俺は剣を拾うと、立ち上がり、魔王を見据える。みんなの手が重なった右手で柄を握って相対する。魔王はそんな姿が滑稽に映ったのか、高笑いをした。
「もう無駄だよ。何をしても意味がない。お前たちでは私に勝てん……絶対にな」
頭の中で呪文唱えると、カチリという錠前が外れるような音が脳内に響く。これで無限領域へアクセスする封印が解けた。俺の身体がぼんやりと光の魔力を纏いはじめると、それがフィオナ、バーボン、クレアの三人にも流れ込む。
「ここまで私を追い詰めた褒美をくれてやろう。我が血肉となるがよい」
灰色の竜の腹が真っ二つに割れたかと思うと、歯と舌を剥き出しにした巨大な口にも似た形状となった。灰色の竜は腹から俺たちに飛びこんで、逃がさないように玉座の間ごと俺たちを食らった。
竜の腹の中は猥雑な混沌とでも言うべき空間が広がっており、俺たち四人に闇が絡みついて来る。光の魔力纏っていなければ、すぐにでも胃の中の食べ物のように溶けるか、分解でもされていたのではないだろうか。とはいえ、それも時間の問題だろう。このままではいつか闇に飲み込まれる。
「みんな、聞こえるか! 絶対に手を離すな!! 俺は……ここにいる!」
全員で一本の剣を掴んでいる感覚から、すぐ近くにいるのは確かなのだが、前が何も見えない。やがて俺の魔力が一気に増えて纏う魔力が爆発的に巨大化する。無限領域から流れ込んでくる魔力の制御ができてない証拠だ。
それでも死んでないってことは考えが合っていたってことだ。全員に魔力を分配すれば、少しの間は無限領域の魔力にも耐えられる。俺はその魔力を剣に注ぎ込むように集中する。その切っ先は腹の中から、魔王へと向けられていた。
「聞こえ……てま……す! ……――ルクスさん!」
「やる……気だな! ……行くぜぇ!!」
「いつでもいい……わよ! 準備……出来て……るわ!」
わずかにみんなの声が聞こえた気がした。みんなの剣を握る力が強くなるのが分かる。何も分からなくても、その気持ちが伝わってくる。俺を支えてくれる。一緒に戦ってくれるんだ。どんな危険な戦いでも、臆することなく共に立ち向かってくれる。こんなに良い仲間とは早々巡り合えないだろう。
はじめは何でもない出来事だった。フィオナが元々いたパーティーから追い出されて、ちょっと面倒を見ようと思っただけだった。そうして日々を過ごしていくうちに、バーボンと出会い、クレアと出会い、そして今、ここにいる。
俺は、まだみんなと冒険を続けたい。一緒に色々なものをみて回りたい。これが終わりなんかじゃない。これはきっと新たな旅の幕開けなんだ。悪いな、魔王。この戦いは絶対に勝たせてもらう。俺は力のある限り、最後の一撃を叫んだ。
「聖天光波――――無限剣!!」
魔王の体内を食い破るように、膨大な光の刃が剣から放出される。その爆発さながらの魔力のおかげで、俺は剣を危うく手放しそうになった。みんなで剣を持っているから握り続けることができている。
今度は視界が光で埋め尽くされる。魔王の下半身である灰色の竜は、その一撃で完全に消滅してしまった。竜の腹の中にいた俺たちは気がついたら魔王城の外で寝そべっていた。
「か……勝ったのか、俺たちは……」
頭の中で呪文を唱えながら、立ち上がる。カチリという音と共に再び『無限領域』の力を封印した。フィオナも、バーボンも、クレアも眠ったように倒れているが生きている。
瓦礫の山となった魔王城の中まで歩くと、そこには消滅せずに残された魔王の上半身が仰向けに倒れていた。
「……お前たちの勝ちだよ。やれやれ。また負けてしまったな……」
そう呟いた魔王はいつも通りの平板な話し方で、まったく悔しそうに聞こえなかった。
「私はもうじき二度目の死を迎える。時間が無いから……ひとつだけ言っておきたい」
「……分かった。最期の言葉だ、何でも言っていいよ」
「私は生まれながらの魔王だ。魔物を統べ、破壊を振りまく負の力の化身。結局はそこから逃れられなかったようだな……もし」
「もし……?」
「もし。今まで散々積み重ねた罪を償えたのなら。魔王としての生き方も、何もかも捨てて。お前と愛し合うことができたのかなぁ……は。我ながら世迷言なのは分かっている……」
確かに、それは難しいだろう。魔王はあまりにも人間を殺しすぎた。何があってもそれを許すことはできない。俺の仲間だって殺されたのだ。
そんな魔王を好きになるなんて不可能だろう。俺が好きというのが未だに信じられないけど、魔王もそれを分かっているから力ずくで屈服させ手に入れようとしたんだ。
でも。よくよく考えてみたら、今の俺は勇者でも何でもない。ただのCランク冒険者、ルクスだ。勇者としては魔王を許すわけにはいかないが、ルクスとしてなら。少しだけ違う選択肢もあり得るかもしれない。
「魔王……これはルクスとしての答えだよ。本当に罪を償う気があったのなら、いくらでも付き合ってやる。きっと一生かかっても帳消しにならない、大変な道のりだけど……少なくとも俺の命が尽きるまでは、一緒にいてやる」
それくらいなら、死んでいった仲間も許してくれるだろう。魔王は目を見開くと、僅かに氷の表情を崩して微笑んだ。
「……そうか。その言葉……覚えておく。再び復活できたら……その手を使わせ……て……もら……う」
魔王の身体が一気に光の粒と化して消滅する。儚い雪のような光が舞い飛び、その一粒が俺の手のひらの上に落ちると、雪のように解けて消え去った。




