オディロンの動揺
一面に広がる赤い花の絨毯にしばし見惚れる三人。危険な深山にあってこれほど幻想的な光景を目にすることができるとは……
「ベレンちゃん後ろ!」
慌てて地に伏せるベレンガリア。先ほどまでベレンガリアの首があった位置に、この世のものとは思えぬ雰囲気を纏った蝶がひらひら、ひらひらと舞っていた。
『風壁』
とっさにマリーが空気の壁で包み込もうとするも、その蝶はひらりひらりと身を躱し三人の視界から消えてしまった。
「危なかったわ……オディロンありがとう……」
「うん……『赤い花が咲いていたら決して背後を見せるな』ってアステロイドさんが言ってたからね。ここからはお互いの背後をカバーしながら慎重に動くよ。」
眼下には山あいの盆地、その一面をどこまでも埋め尽くすように群生する赤い花。あの花の名は確か……
「彼岸花……あの世の花と言われておりますね。私の故郷、北の山岳地帯でもごく一部にこの花が咲く場所があります。地獄に咲く花、とも呼ばれ誰も近付きませんが。」
「山岳地帯……マリーの故郷にもいずれ挨拶に行かないとね。で、あの花も確か危ないんだったよね。」
「ええ、多少触れるぐらいなら問題ありませんが、 万が一傷口に触れてしまうと命の危険があります。オディロンは先程の傷がまだ完全には治っておりませんので注意してください。」
「そんな花の蜜を吸って育つ極楽揚羽だから危険な毒を持ってるんですかね?」
「そうかも知れませんね。さあ、ゆっくりと降りましょう。足元にご注意くださいね。」
このような険しい道をペガサスのマルカはものともせず付いて来る。そもそもが魔物であるためだろうか、ベレンガリアの後を何の疑いもなく追従している。
「いたっ! 極楽揚羽があそこに!」
©︎遥彼方氏
オディロンが指差す方向には一匹の蝶がひらひらと舞い踊っていた。それはまるで、自らの楽園を来訪者に見せつける支配者のようでもあった。所詮は虫の魔物、などとはとても言えない流麗にして絢爛な艶姿。森のサファイアと謳われるのも無理からぬことなのだろう。
「綺麗……」
ベレンガリアは思わず溜め息を漏らした。
「ええ。捕まえるのが惜しいぐらいです。」
「そう言えばいつだったか、父上と酒場に行ったんだよね。その時、たまたま吟遊詩人が来てね。こんな詩を歌ってたよ。」
『ひとつ ひらひら ひがんばな
ふたつ ふらふら ふたつはね
みっつ みごとな みやまちょう
よっつ よりそう よるのかげ
いつつ いならぶ いろくれない
むっつ むげんの むらさきば
ななつ なもなき なきあげは
やっつ やまぎわ はためいて
ここのつ このはね こごえちるまで
とおで とおくへ とびつづけ』
「それってここ最近売れてきてる吟遊詩人ノアじゃない? 結構いい唄を歌うらしいわね。それよりオディロン、よく覚えてたわね。やるじゃない。」
「口ずさみやすい詩だったからかな。ローランド王国では珍しい形の詩だったし。さあベレンちゃん、そろそろ盆地に降りるよ。油断しないでね。」
三人と一匹の目の前にどこまでも広がる赤い絨毯。この中を夢幻の如く飛び回る 極楽揚羽。
背中側は青紫に輝き、腹側は夜の陰を思わせる漆黒。目の前にいるはずなのに、どこか幻想的な風景だった。
「じゃあやるわね。」『風斬』
ベレンガリアが地を這うような風の刃を放てば、彼岸花が見る見る刈りとられていく。あれだけもの花があっては歩くことすらままならないのだから当然の判断であった。
「ちょっともったいない気もするけどね。ベレンちゃん、その辺にしておこうか。全部刈らないようにね。」
「朝までかかっても全部なんて無理よ。さあ、三人で包囲するわよ。」
「足元にご注意くださいね。」
じりじりと、 極楽揚羽を取り囲む三人。しかし蝶は我関せずとばかりに舞い踊っていた。
『風壁』
『風壁』
『風壁』
三人が三人とも同じ魔法を唱え、空気の壁を作った。そしてじわじわと範囲を狭め、 極楽揚羽を追い詰めていく。
だが……
「マリー後ろ!」
さしものマリーも目の前の幻想的な蝶に目を奪われていたのか自分の首筋に止まった別の 極楽揚羽に気付いていなかった……そして一刺し……
「くっ『風壁』っ!」
マリーのとっさの魔法で 極楽揚羽は捕まえた。もう一匹もオディロンとベレンガリアが捕獲した。しかし、マリーは……
「マリー! マリー! しっかりして!」
「オ、オディロン……早く……奥様に……」
そしてマリーはオディロンの腕の中で意識を失った。二人の足元、刈られて倒れた彼岸花……からは土に埋もれた無数の頭蓋骨が覗いていた。大小様々なそれは数多の魔物がここで息絶えたことを示していた……