オディロンの家族
『極楽揚羽の鱗粉』
ムリーマ山脈には多種多様な魔物が棲息している。大きなものはドラゴンから、小さなものは蟻やダニまで。その中にあって揚羽とはどのような存在なのだろうか?
人気の魔物である。そこに今回二人だけで行く理由があり、普段からオディロンが一人で行動する理由があった。
かの揚羽は二十歳男性の両の掌ほどのサイズなのだが、森の中を舞う姿は流麗にして絢爛、森のサファイアとも呼ばれている。そして性質は……獰猛で残酷。
『赤い花が咲いていたら決して背後を見せるな』とは先輩冒険者の言である。音もなく舞い寄る極楽揚羽である。首筋にほんの僅かでも違和感を覚えたら終わりなのだ。チクリともせず全身に毒が回り、動けなくなる。そうなるともう手の施しようがない。何日もかけてじわじわと全身の血を吸われて死ぬのが早いか、はたまた餓死するのが早いかである。例外は極楽揚羽より格上の魔物に食い殺されることだろうか。
そんな極楽揚羽ではあるのだが、好事家が値を付けること天井知らずでもある。その美しい姿を標本にしていつまでも飾っておきたいと考える者はそれなりに多く、その鱗粉を欲しがる者はさらに多かった。
鱗粉を原料とした薬には様々なものがある。例えば麻薬。使えばハイになるだけでなく全身のあらゆる感覚が鋭敏になるため、とても口にできないような行為に使用する者もいる。
または痺れ薬。こちらは鱗粉だけでなく極楽揚羽本体も必要だが、良からぬ目的で使う者は多い。
しかし、オディロン達の目的は他にあった。
だがそれだけに、下手に気心の知れないメンバーなどが見つけようものなら、我先にと前後を見失い極楽揚羽の餌になるのが落ちである。仮に入手できたとしても、使用方法や報酬の分配などで揉めるのは目に見えている。
よってオディロンはそんな邪魔にしかならないメンバーとパーティーを組むよりは自分より凄腕の妻マリーと二人だけの方がよほど安全だと考えている。
「せっかくだからベレンも行ってきたら? 私も極楽揚羽の鱗粉が欲しいわ。」
「奥様がそうおっしゃるのでしたら……」
「母上が来てくれたら楽勝なんだけどね。」
「オディロン、このような些事に奥様のお手を煩わせてはなりませんよ。」
「もちろんだよ。僕たち夫婦のことだしね。じゃあベレンちゃんも来るの? 楽しくなりそうだね。」
「仕方ないわね。たまには昔を懐かしむのもいいし。手助けしてあげるわよ。」
ベレンガリアとオディロンは五年ほど前まで四人組のパーティーを組んでいた。しかし魔境にて一人が死亡し、もう一人はそれに恐怖を覚えパーティーを抜けた。その後ベレンガリアはマーティン家のメイドとなり、彼らのパーティー『リトルウイング』は解散となった。オディロンはそれ以来ずっとソロで活動を続けている。
「ありがとうございます。頼りにしてますよ?」
「マリーさんの足手まといにならなければいいんですけどね……」
「さあ、そろそろ夕食にするわよ。今夜はアラン達は遅いから気にせず食べるわよ。」
オディロンの父、イザベルの夫アランは剣術道場『無尽流』の道場主をしている。
「父上も大変だね。せっかく騎士を辞めたのに。」
「それは残念です。旦那様のお顔も拝見しとうございましたのに。」
この夜四人は身分や立場を気にすることなく、楽しい夕食を堪能した。オディロンにしても普段のマリーと二人きりの夕食もいいものだが、たまには大勢でわいわいと楽しむ時間も貴重なひと時であった。
「ご馳走様。やっぱり母上の料理は美味しいね。」
「どういたしまして。じゃあ無事に帰ってくるのよ?」
「奥様、ご馳走様でした。旦那様にもよろしくお伝えくださいませ。」
「ええ。極楽揚羽の鱗粉、楽しみにしてるわね。」
「じゃあオディロン、マリーさん。明日の朝、日の出の時間に南の城門で。」
「悪いねベレンちゃん。頼むね。」
「よろしくお願いします。」
オディロンとマリーが帰るとマーティン家は女二人となる。
「じゃベレン、私はお風呂に入るわね。」
「はい奥様。では私もここを片付けましたらお背中流しに参ります。」
「ええ、今夜はアランが遅くなることだし、ね?」
「はいっ!」
マーティン家の夜はこれからのようだ。それは多分オディロン夫妻も同様だろう。




