オディロンの決断
オディロンは昼過ぎに仕事が終わったために、ギルドに報告をし報酬を受け取る。銀貨で三枚。併設の酒場でなら定食が百人前ほど食べられる金額だ。反面、高い酒ならば一杯すら飲めない程度でしかない。
それから併設の訓練場で体を軽く動かす。オディロンは剣も槍も得意ではない。だから魔法を主体として活動しているのだが、さりとて冒険者稼業で最後にものを言うのは逃げ足の早さだ。強力な魔物と遭遇してしまっても、逃げ切る体力さえあれば生き残る確率は格段に上がる。
そして自宅へと帰る。いい汗をかいたが、自らの魔法ですでに身ぎれいにしている。
「ただいま。」
街の外れに購入した自宅だ。さほど立派な家ではないが、到底オディロンの歳で買えるような価格ではない。彼の妻に対する想いが窺えると言うものだ。
家の中に妻であるマリーはいなかった。が、心当たりはある。オディロンの実家に行ったのだろう。夕食に呼ばれているとは聞いていたが、マリーのことだ。オディロンの母であるイザベルとのティータイムを楽しむために早めに訪問したのだろう。あの二人は仲が良いのだから。
ならば自分もと、家を出たオディロン。
一辺が三キロルほどの正方形状の街、クタナツ。オディロン宅は南西部だが、実家であるマーティン家は北東部のやや東あたりである。一人でのんびり歩くのも悪くないだろう。
途中で寄り道をし、母とメイドにお土産を買う。少し奮発して南の大陸産、紅茶の茶葉だ。
「ただいまー。」
オディロンの結婚後に引っ越しをしたため、ただいまと言うほど慣れ親しんだ実家ではないが他に言いようもない。
「はーい! オディロン、久しぶりね!」
マーティン家のメイドであるベレンガリアだ。オディロンとは同級生である。オディロンより遥かに高い身分だったのだが、何の因果かここでメイドをやっている。
「やあベレンちゃん。マリーは来てるかな?」
「ええ、来てるわよ。今みんなでお茶してたの。オディロンも飲む?」
「うん、いただくよ。」
ベレンガリアの後ろに続いて居間に立ち入るオディロン。
「母上、ただいま。」
「おかえり。相変わらず身ぎれいにしてるわね。とても仕事帰りには見えないわよ?」
「一度家に寄って着替えたからね。あ、これお土産だよ。みんなで飲んでね。」
「あら、南の大陸産ね。ありがたくいただくわ。」
「では奥様、さっそく飲んでみられますか?」
「そうね、ベレンお願いね。」
「はい、かしこまりました。」
母、イザベルと比べても身分が高かったはずのベレンガリアはそのような素振りも見せずイザベルに忠実だ。
「オディロン、今日もお疲れ様でした。成果はどうでしたか?」
「害虫駆除だからね。安全だったよ。マリーはさっきここに着いたぐらいかな?」
「ええ。ほんの一時間ほど前に。久しぶりに奥様にお会いできると思うと夜まで待てませんでした。」
マリーはオディロンと結婚するまではマーティン家でメイドをしていた。オディロンが生まれた頃も、オディロンの兄が生まれた頃も。それゆえに今でもイザベルのことを奥様と呼んでいた。
オディロンの目の前にベレンガリアが紅茶を置く。鼻腔をくすぐる香りがオディロンの疲れを癒してくれるかのようだ。
「さすがベレンちゃんだね。美味しそうだよ。」
「まあね。感謝しなさいよ?」
「うん、ありがとう。美味しいよ。」
男が一人に女が三人。それでもティータイムは和やかに過ぎていく。
「あぁそうそう。例の情報が入ったわよ。ムリーマ山脈の北東部、ベイソナ盆地と呼ばれる辺りね。」
「そっか……ついに……母上ありがとう。」
「うっわオディロン、まさかマリーさんと二人だけでムリーマ山脈まで行く気なの?」
ベレンガリアが心配するのも当然だろう。
彼らの国、広大なローランド王国を南北に隔てる巨大山脈ムリーマ。ドラゴンを筆頭に数多の危険な魔物が跋扈するエリアとして知られている。
そのような所まで何をしに行くのだろうか? しかもマリーを連れて。
「お骨折りいただきありがとうございます。奥様のご恩にはただただ感謝するばかりです。」
「いいのよ。私だって孫の顔がみたいと思っていたしね。ウリエン達は全然帰ってこないし。」
オディロンの兄ウリエン。この時点で二人ほど子供がいるのだが、クタナツよりはるか南の王都に居を構えており、ここクタナツには十余年も帰ってきていない。よってイザベルはまだ孫の顔を見たことがなかった。
「気をつけてくださいね。マリーさんなら大丈夫とは思いますけど……」
「ありがとうございます。ご心配でしたらベレンガリアさんも同行されますか?」
「いやいやいや! 勘弁してくださいよ! 絶対イヤです!」
魔法なしならばオディロンよりもかなり強いベレンガリアでさえこうである。通常ならば六等星冒険者を中心に五名は欲しいところだろう。
「これは僕たち夫婦の問題だからね。二人だけで行くのが当然だよ。大丈夫。ちゃんと手に入れて帰ってくるよ。『極楽揚羽の鱗粉』をね。」