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かみさま

作者: 藤堂由貴

ばくばくとうるさい心臓を大きく深呼吸

することで落ち着かせる。その深呼吸さえ、震えていたけれど。

そんな私を気にすることなく、司会者が声を上げる。

「では、審査の結果をお伝えします。今年の冬の音楽コンテスト、最優秀賞は......」

動悸が一層激しくなる。二十だ。二十と言え。ごくりと喉を鳴らす。

「エントリーナンバー十八番、志藤真美さ

んの『人間賠償』です。おめでとうござい

ます!」

ぎゅっと拳を握る。目の前の満面の笑みで優勝杯を貰う彼女が憎らしい。また、ダメだった。

コンテストが終わり、八時を過ぎて暗くなった帰り道をかつかつと足音を響かせながら歩く。あのコンテストに挑戦し続けて四年。最優秀どころか、未だ賞にすら入れない。

なぜだろうか。今日優勝した彼女にだって決して劣ってないはずなのに。悪いところがあるなら言ってほしい。声は低音も高音も出るよう努力してきた。作詞や作曲だって歴代の優勝者や、最近の流行りを調べ

て勉強しているのに。

本名か芸名か分からないあの子の名前と笑顔を思い出し、思わず眉間に皺が寄る。

それに気づいて軽く頭を振ると、ふと視界の端に地味な建物が映った。バー、だろうか。決して綺麗ではないし、とても分かりにくい場所にある。客なんてほとんどいないんじゃないだろうか。実際、近所なのに今まで気づかなかった。普段なら寄ろうとも思わないが、オープンと書かれたプレートに私の足はそちらへ向かっていた。

「いらっしゃい」

からん、と控えめにベルが鳴る。初老のバーテンダーがこれまた控えめに声を掛けてくる。客は一人で内装は外見同様であったが、今の私にはぴったりだと嗤ってカウンターに座った。

「メアリー・ピックフォード」

カクテル名を淡々と告げる。度数は十八。以前友人と飲んだ時に気に入ったものだ。度数は高くはないが、好きなものを飲めば、この苛立ちも収まるだろうか。

「羨望」

突然、横から声がした。横目で見ると、私と同じくカウンターに座っている男がこちらを見ていた。一応言っておくが、知り合いではない。

「......なんですか。突然」

「カクテル言葉だ。君が頼んだものは羨望という意味がある。何を羨ましがってるんだ?」

私はカクテル言葉なんて知らない。たまたま頼んだものがそういう意味を持っていただけだ。けれど、妙にぴったりなカクテル言葉に、隣の男に心を見透かされたような気分になった。

男の手元にはグラス。まだ飲んでいないのか、それとも二杯目以降なのかあまり減っていないように見える。

いつもならアルコールが入っているかもしれない男の言葉なんて聞かないし、軽くあしらうが、今の私にそんな余裕はなくて。私のことを何も知らないこの男に愚痴を言うくらいならいいか。そんな感情が沸き上がるくらいには精神が疲弊していた。

「羨望......。そうね。羨ましいわ。優勝したあの子が憎らしいほど」

無視されるとでも思っていたのか、男は私が言葉を返すと少々意外そうに眉を動かした。ちょうど運ばれてきたカクテルを口にすると少しだけ気分が良くなる。

「ほお。何かの大会か?」

興味深そうに尋ねる男に、何だと思う、と逆に尋ねた。男は顎に指を持っていき、しばし考えるようなそぶりをしたが、やがて口角を上げると、音楽だろう、と正解を答えた。まさか当てられるなんて思わなかった私は目を丸くする。

「どうして」

わかったの。そう言い終える前に男はカウンターの下を指さす。

「ギターケースだろう、それ。それにわずかだが君の声が掠れている気がしたんだ。泣いたのかとも思ったが、目元は赤くないし、ここに来たときの君は悲しみに暮れているというよりは苛立ちを抑えているような雰囲気だったからな。大会直後にここを見つけて寄ったというとこだろう」

まるで私の今日の行動を見ていたようだ。男の観察力と推理力に舌を巻く。一体何者なんだろうか。推理力なんてからっきしな私からすれば同じ人間とは思えない。手品を見せられたような気分になった私は彼に称賛を贈った。

「すごいわ。全部当たりよ! あなたが言った通り音楽コンテストの帰りなの。私、歌手になりたいのよ。大会で優勝すれば歌手としてデビュー出来るから、もう四年も挑戦したわ。けど、だめ。未だに賞にすら入れない。わからないわ。どこが悪いのか。優勝したあの子にだって、私は決して劣ってないはずなのに」

彼とアルコールのおかげで高揚していた気分が、話すにつれて下がっていくのを感じた。

最初は審査員に聞きに行ったこともある。けれど誰に聞いても、言い方は様々だったが、答えはどれも「覚えてない」だった。その言葉は多少歌に自信のあった私を打ちのめすのには十分で。その日はずっとベ

ッドで泣きじゃぐった。

四年前の記憶が心にどす黒い靄をかける。それを振り切ろうと話を続けた。

「作詞も作曲もたくさん勉強したわ。でもね、だめなの。あの子は優勝した曲をどれくらい考えたかって聞かれて、三か月もかからなかったって言ってた。私は一年かけ て考えてきた曲だったのに。神様は人を平

等だと言うけれど、私はそうは思わないわ。だってほんとに平等ならこんな差が生まれるわけないじゃない」

言い終わってから失敗したと感じた。こんな話をしたってあの靄はさらに侵食してくるだけだというのに。

私が後悔と自己嫌悪に陥っている間も、男は自分の手元のカクテルを持ったまましゃべらない。推理をするとき以外は案外寡黙な男らしい。そんな男から視線を外して、一言、溢した。

「所詮、神に愛されなかった女なのよ」

男は相変わらず、何も言わない。馬鹿らしいとでも思っているだろうか。でも、そうでも言わなければ私がおかしくなりそうだ。

何も言わない男に焦れて、私は一人でしゃべる。

「私は愛されなかったのよ。どんなに努力してもそれが報われないもの。あーあ、馬鹿みたい」

全部無駄だったかのように感じた。今まで努力してきたことも、親に無理に音大へ通わせてもらったことも、何もかも。

もう、やめてしまおうか。音楽なんて。

私のその思考を遮るように、男が突然言葉を紡いだ。

「そうだな。君は確かに神に愛されなかっ

た。けど今からは違う。君は愛される」

そこで一度言葉を止め、二席空いていたその距離を詰めてきた男は、私の前で真顔で宣言した。

「今から俺が神だ。君に祝福を与えよう」

私はその瞬間、きっと間抜けな顔を晒したと思う。アルコールが入っていたのもあるかもしれないが、瞬時に彼の言葉を理解することができなかった。

時間にしておよそ十数秒。彼が何を言ったか理解した瞬間、笑いがこみ上げた。

「ふふ、あはは! それはいいわね! 最高よ、あなた!」

「あなたではない。神様と呼べ」

「あははは! そうね、ごめんなさい、神

様!」

やはり真顔でそう宣った彼に収まりかけた笑いが再発して、私は痛む腹を押さえながら返事をした。こんなに笑ったのはいつ以来だろうか。少なくともここ数年は必死になりすぎて笑ってなかった気がする。

「ふふふ。ね、神様、私どうして今日まで

祝福を受けられなかったのかしら?」

なんだか楽しくなって、冗談めかして彼に尋ねた。彼は神妙に頷いて一言。

「人間を見るのに飽きてたからだ」

もう面白くて堪らない。なんて雑な神様だ。表情は最初から変わっていなくて、それも私の笑いを助長する。

彼は、声だけは心底面倒くさそうに続けた。

「考えてもみろ。この国だけで一億人以上いるんだ。同じようなもの見たって飽きるさ。その人だけの特別な展開でもあれば面白いがな」

同じようなもの。その言葉が妙に引っかかった。すっと笑いが引っ込んで、ゆっくり瞬く。そこで気づいた。私が今まで作ってきた曲はどれも、誰かと同じようなものばかりだった気がする。昨年優勝したあの人はこんな歌を作っていたから、こういう風にしよう。そればかり。そうか、それじゃあダメなんだ。何曲も聞く審査員は、神様のようにきっと飽きてしまったのだろう。じゃあ、どうすればいいのか。ふと、彼

の先程のセリフが過った。

――その人だけの特別な展開でもあれば面

白いがな。

私だけの、特別な......。ちらりと彼を見ると、私が黙り込んだことを不思議に思ったのか、こちらを見つめている。ぱちりと視線が合った瞬間、頭に閃光が走るように曲が浮かんできた。

私のストーリーなんてなにが特別かわからないけれど、彼との出会いは絶対に私だけの特別だという自信があった。それをふんだんに詰め込んだ、私だけの曲が。

がたっと音を立てて、椅子から立ち上がる。彼は緩慢な動きで私の動きを追う。

なんてことだ。彼は本当に私の神様だ。

私はしゃがみ込んで彼より目線を低くすると、彼にお願いをした。

「ねえ神様。私に祝福をくれるって言ったじゃない? だから私に名前を頂戴。新しい人生を歩むための名前を」

突拍子もない話に少しだけ目を視線を丸くした彼に薄く笑って、私はもう一度「お願い」と言葉を滑らせた。困ったように彼は沈黙して、俯いた。五分、十分と過ぎ、それでも粘り強く待っていると、先程のように緩慢な動きで顔を上げた彼はぽつりと呟いた。

「小泉華」

「こいずみ、はな......」

自分の新しい名前を繰り返すと、とても晴れやかな気分になる。

神様は困ってたから、もしかしたら適当に言ったのかもしれない。けれど、私は深い海の底から引っ張り上げられた気分になった。

来年は、この名前で参加しよう。どうしようか、なんでも出来るような気がしてきた。だってこれは神様に貰った新しい人生なんだから。

「ありがとう、神様。とっても嬉しい。じゃあ、私、行くわね。さっき最高な曲を思いついてしまったの」

何も言わない神様に一方的にそう告げる。カウンターの下に置いてあったギターケースを掴み、代金を支払ってドアに手をかけた。

「君が」

私に向けられたであろうその言葉に、動きを止める。神様は、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「もしも君が憶えていたら、来年の今日、ここにおいで。待ってる」

ぶわっと目頭が熱くなる。次いで鼻の奥がつんと痛んだ。それでも私の口は弧を描いていた。

「ええ、きっと」

震える声で返事をして、今度こそ私はバーを出た。

――一年後。

例の音楽コンテストに参加した私は、大きく深呼吸をする。大丈夫、震えてない。

司会者が私を呼ぶ。しっかりとした足取りで、私は審査員、観客の前に立つ。ギターを構え、あの日の神様のように高らかに言った。

「エントリーナンバー八。曲名は『かみさ

ま』。よろしくお願いします」

すうっと息を吸い、想いとともに吐き出した。あとはほとんど覚えていない。ただ、気づけば運命の時がやってきていた。

「では、いよいよ最優秀賞の発表です」

優良、優秀で私の名前は呼ばれなかった。呼ばれるならもうここしかない。早まる鼓動を感じつつ、私は結果を待った。

「冬の音楽コンテスト、最優秀賞は――」

その名前を聞いて、私は唇を噛みしめた。

十時を過ぎ、暗くなった道を街灯を頼りに私は走っていた。ずいぶんと遅くなってしまった。まだ神様はいるだろうか。いや、そもそも神様は来てくれているのだろうか。でも、会いたい。今は神様にどうしようもなく会いたいのだ。

一年間、この日の為に近付かなかったあのバーへ走る。だが、私は愕然とした。無いのだ。去年確かにそこにあったはずのバーが。代わりに売り出し中という看板が、残酷にもそこにあった。

あんまりじゃないかと私は呆然と立ちつくしてしまう。必死にここまで来たのに。

絶望にも近い感情が心を覆い、目に薄い膜が張った時だった。

「遅い」

そう後ろから聞こえたのは、会いたくてしょうがなかった声で。私は勢いよく振り返った。

そこには去年と全く変わらない出で立ちで、神様が立っていた。その姿を目にした瞬間、今度は先程とは正反対の意味を持った涙が溜まる。瞬いた瞬間に零れた雫を見た神様は焦ったように弁解した。

「いや、そこまで怒ってない! どっちかというと去年よりだいぶ遅いから心配しただけだ! 言い方が悪かったな、すまない!」

あまりにも神様が焦るから、私は笑ってしまった。去年のあの寡黙さはどうしたのだろうか。

「ふふ。怒られたから泣いてるわけじゃないわ。神様に会えてうれしくて泣いてしまったの」

おろおろしていた神様はぴたっと動きを止める。暗くて分かりにくいが頬がわずかに紅潮しているように見える。

今、私、告白めいたことをしなかっただろうか。そう思った瞬間、私は自分の顔にも血液が集まってくるのが分かった。

互いに無言になる。この空気から抜けようとした神様が私に尋ねた。

「あー、その、大会はどうだったんだ?」

私ははっとして唇を噛んだ。そうしないと大会を思い出してまた泣きそうになるのだ。

緩く首を横に振る。そう、今年も私は賞に入れなかった。

神様は話題を間違えたとばかりに髪を荒く掻く。なんと声を掛けていいか分からずに途方にくれている神様に小さく笑う。

「あのね、神様。聞いてほしいの」

「......なんだ」

口角を上げ、私はそっと囁くように紡いだ。

「私ね、確かに賞に入れなかったわ。けど

ね、今日の大会で歌った曲、審査委員長が気に入ったらしくて、発売、されるの。もちろん、たくさんの新人さんを集めたCD の中の一つとしてだけど」

目を見開いて唖然とした彼にしてやったり、と微笑む。今日の大会のあとで審査委員長と発売についてのあれこれを話していて、こんなにも遅くなってしまったのだ。

神様を驚かせることができて、まだ歌手にはなれてないとはいえ自分の曲が発売されるという事実ににやけが止まらない。しかし、私の顔はすぐに朱に染まった。 神様が優しく笑っていたのだ。困り顔、 焦った顔、驚いた顔は見たけれど、笑顔を見たのは初めてだった。

「やったな」

彼が紡いだのはそのたった一言だったけれど、誰のどんな称賛より、私にとっては価値のあるものだった。乾いてきていた瞳に再び涙を溜めて、私も最高の笑顔で頷いた。

「ええ。最高の気分よ」

指先で目尻を拭って、私は彼の手を引いて走り出す。驚いた声が聞こえるけれど、それを笑ってそのまま走る。

着いたのは人気のない公園。ぱっと手を離すと、彼は「疲れた」と言いながらベンチに座った。私は走って火照る体に満足し、持っていたギターケースから相棒を取り出す。彼はそれを見てわずかに口角を上げ

た。

「タイトルは?」

即座にそう尋ねてきた彼に苦笑する。まったくもって察しが良すぎる。

「ふふ。さすが神様ね。じゃあ、聞いてください。『かみさま』」

私は、歌った。たった一人の観客の前で、想いを伝えるために。

歌いながら、私は思った。やっぱり、彼は私にとっての神様だ。きっと世間はこんな私を笑うのだろう。けど、いいじゃないか。私を救ってくれたのは紛れもなく、目の前にいる彼。彼にとっての私がただの憐

れな女というだけでも、私は彼に救われた。だから彼を神様と呼ぶ。宗教って、こういうことでしょう? 彼が本当は何の力もないただの人間だとしても、私にとっては最上の神様。それでいいじゃない。

歌も終盤に入る。最後のフレーズを今までで一番想いを込めて歌う。

「私に気づいてくれてありがとう。救って

くれてありがとう。あなたの気まぐれはこ

こまでで、明日はもう会えないかもしれな

いわね。それでも私は、あなたを想うわ。

世界中の誰よりも深い祈りを捧げると、誓

います」


おわり



読んで下さりありがとうございました。この小説は私が高校時代に書いたものです。

誰かの何気ない一言が、誰かを救う。とても素敵だと思いませんか。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なんか少しだけ元気が出ますね。 [一言] 仕事が忙しいので、帰宅中に一作だけ読もうと思い、偶然にも本作品を読みました。少しだけラッキーって感じです。自作期待してます。
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