狩り
狩場に入ると狩人の口数は極端に少なくなる。村に居る時の柔らかな雰囲気は消え、誰の眼付も鋭くなる。
狩りに初めて付いてきた少年は、漂う緊張感に身を小さくして列に並んでいた。
「うじか」
トム爺さんが小さく呟き、森の中の獣道を指さした。センに一度振り返る。センは獣道の先に目を向けて、小さく頷いた。
「せこな」
トム爺さんが、センと少年に指示を出した。他の狩人は弓を準備し、互いの位置を確認している。
狩場に入ってから、彼らの使う言葉は人里に居た時とは異なるものになる。それは日常生活の中で生まれる『穢れ』を、狩場に持ち込まない為の作法である。狩りは人里のものではない実りを、村に持ち帰らせていただく行為である。神聖な狩場を汚さないために、狩人たちは敬意と礼儀を尊び、戒律厳しく行動するのだ。彼らの使う言葉は狩り言葉と呼称され、村の中で使われる言葉は忌み言葉と呼ばれ、口にすることはない。
センたちに言われた『せこ』とは、獲物を追い出す役のことである。センは少年の肩を叩き、獣道の先を指さした。獣道を迂回するように歩き出すセンに、少年は慌ててついていく。
「せこって?」
小さな声で尋ねてくるのは、トム爺さんに狩りの最中は言葉を発するな、ときつく言われているからだろう。
「追い立て役」
センの声も小さくなる。狩人たちの居る場所を確認しながら、獣道の先へと歩いていく。
狩りの基本は追い立て狩りだ。せこと呼ばれる追い立て役が、ぶっぱと呼ばれる待ち構えた狩人の方向へと獲物を追い立てていく、巻狩りと呼ばれる手法である。
木々の生い茂る森の中を、センは足音を立てずに進んでいく。後ろを歩く少年は足音高い。センはある程度狩人たちから離れると、少年に太い木のそばでしゃがむように手で指示した。
「ここで待て。俺があっちの樹で声を上げたら、同じように声を出せ」
「声って?」
「あそこの茂みに獲物がいるから、ぶっぱの方に追い立てるんだ。俺の方から、こっちに追い立てる。お前の声で驚いて、獲物はぶっぱの方に行く」
センは森の中を指しながら、少年にゆっくりと教える。少年はセンの指示に頷いて、森の中を見た。
「獲物がいるの?」
「ここは風下だから、声を出さずに動かなければ、獲物に気付かれない。俺はあの茂みの裏に回るから、それまで待て」
センはしゃがみこんだ少年に指示を出すと、立ち上がりトム爺さんに手を振った。狩りの総指揮者、しかりと呼ばれる立場のトム爺さんは、センの動きの意図が理解できたのか、狩人たちに弓を引くように指示する。狩人たちの準備が整ったことを確認すると、センは中腰になって動き出した。
センは生来から五感が優れている。その鋭敏な嗅覚は目的の茂みの中に、獲物となる獣が潜んでいることを嗅ぎ取っていた。耳を澄ましても動きがないことから、もしかしたら寝ているのかもしれない。
風向きに注意しながら、所定の位置に付いたセンがゆっくりと立ち上がる。樹のそばでしゃがみこんでいる少年に目を向け、手を口に添える。
「ほおいほおい」
突然大声をあげたセンに少年は、一度びくりと体を震わせたが、慌てて立ち上がると同じように声を上げた。
「ほういほうい」
センの声に驚いた獣が、茂みから飛び出してきた。走り出した先に少年がいることで、逃げる方向を狩人たちがいる方向へと変える。その鼻先へ、狩人たちから放たれた矢が襲う。茂みから飛び出したのは三羽の兎だった。そのうち二羽が矢に貫かれて動きを止める。残りの一羽は慌てて向きを変えると、森の奥に駆け逃げていく。
「よし」
トム爺さんがセンたちに手を振る。センは少年に近付くと、狩人たちの方に戻る、と指示を出した。少年は上気して赤く染まる頬で、倒れた兎を見つめている。初めて自身の参加した狩りの成果に、興奮しているのだろう。狩人たちは手早く兎に近付くと、後ろ脚を持って逆さに吊るし持った。地面に穴を掘ると、兎の首を腰に差していた山刀で切り裂いた。赤々とした血が首から地面の穴に垂れる。獲物の血抜きは手早く済ませておかないと、肉に臭みが残ってしまうのだ。
センはその手捌きをじっと見ていたが、トム爺さんに肩を叩かれ、少年に指示を出した。
「一回小屋に戻って獲物の処理する。おきゃくが来るかもしれないから、早くな」
「おきゃく?」
「狼のこと」
兎の血抜きが終わると、センは地面の穴を塞いで狩人たちの後に続いた。むかいまって、と呼ばれる狩りの見張り役をしていた狩人が、トム爺さんに手を振る。
「相変わらず、センは勘がいいな」
トム爺さんはその言葉に頷いて、穴を埋めて後ろをついてくるセンと少年に目を向けた。
「初日から獲物が取れるのは幸先がいいな。罠を張れる所は見つかったか?」
「今回もセンの勘に頼ろうと思う」
「おいおい」
狩人たちの言葉に、トム爺さんが呆れたように首を振る。
「あまりセンに頼るなよ」
「俺達より勘がいいからな」
他の狩人よりも五感が優れるセンは、年少ながら狩りの中心を担っていた。センの参加した年から、狩りで獲れる獲物の量は目に見えて増えていた。センは特に潜んでいる獣を発見する能力に長けている。今回の狩りも、獣道を発見したのはトム爺さんの経験からだが、その先の茂みに兎が潜んでいることを発見したのはセンである。狩人の経験の長いトム爺さんをして、センの五感に頼っているのは事実である。
朝に出発した狩人たちは、昼過ぎには休憩小屋に戻ることになった。狩人の二人は兎の毛皮を剥ぎ、解体を始める。少年はしばらくその作業を見ていたが、途中で顔を青くして水場に走っていった。センは兎から剥がれた毛皮に付着した脂肪をこそぎ落し、夕食用の鍋に取っておく。獲物の肉はさちのみと呼ばれ、加工して村に持ち帰る食料となる。毛皮の裏に付いている脂肪はにたと呼ばれ、今夜の煮込みとなる。
解体時に取り出された兎の内臓も、狩人たちの食事になる。食道から直腸までの内臓は、両端を糸で縛ってて筒状にしたものを焼いて食う。肝臓は、解体時に取られた頭部と、骨をすりつぶして作った団子の鍋の出汁になる。
兎の肉は熟成させないと味が悪いため、小屋の中の床下にある冷暗所で保存される。腹を良く冷やさないと肉が臭くなるため、特に冷えたところに腹を開いて吊るされる。
狩りが済んだ後の処理の方が手間も人手も掛かるが、今夜からの食事を作る、という行為の為、誰もが真剣に作業していた。
「こうやってな、命の恵みを頂いて生きていくんだ。わかるか?」
トム爺さんは青い顔の少年に、優しく言葉を掛ける。
「冬が終わる頃になると、脂肪を蓄えた獲物が獲れる。その恵みを村に持ち帰って、命を繋ぐ。狩りは遊びじゃないんだ」
冷暗所は大人でも腰を曲げないとは入れない狭さである。処理の澄んだ兎を少年に手渡し、トム爺さんは奥を指さした。
「あそこに吊るしてこい。出来るな?」
少年は腹を裂かれ肉だけになった兎を見て大きく頷くと、冷暗所の中に潜り込んだ。トム爺さんの指示に従い、震える手で兎を吊るす。仕留められた二羽の兎を吊るして戻ってきた少年は、未だ青い顔をしていたが、兎の解体を見ていた時の怯えを振り払っているように見えた。
「よくやったな」
トム爺さんは少年の頭を優しく撫でると、夕食の準備をしている他の狩人たちに目を向けた。
夕食まではまだ早いため、今からまた森に入り、今度は獲物をとる罠を張りに行く予定である。
センは兎の肝臓と頭を、山刀で細かく砕いている。その血塗れな俎板を見た少年は、また顔を青くすると、水場に走っていった。