狩場休憩所到着
木を切り出す林は、四半里(一キロ)も進まないうちに道がなくなり、草木が茂る森に姿を変えた。
森の地面は林と異なる。凸凹に盛り上がった土と足をとる木の根。人が入らない森という世界では、道がないという単純なことからわかるように、地面の整地がなされていない。先頭を歩くトム爺さんが鉈で茂みを掻き分け、道を切り開きながら進んでいく。時折後ろを歩く狩人と交代しながら、方向を確認するために、目につく木の皮に付けられた紋様を確認しながらの、ゆっくりとした進行だった。先年の狩りの時に付けた紋様が薄くなっていれば、改めて紋様を刻みなおす。これは年初めの狩りで行われる、例年の儀式の一つと言えた。
「大丈夫か」
森の中で立ち止まるたびに、センは振り返り、後ろをついてくる少年に声を掛けた。はじめのうちは意気揚々と歩いていた少年は、半刻(一時間)もしないうちに顎を出し、息も絶え絶え、といった有様だった。
何もこれは、少年の体力が少ないせいではない。初めて歩く森という環境に慣れていないこと。そして、目的地が何処にあるのか、何時になれば着くかわからないという精神的圧迫から、常よりも早く体力を消耗しているのである。
「うん」
頷くのもやっと、といった体の少年を見て、センはトム爺さんに手を振った。
「もう少し進んだら休憩にする」
トム爺さんは短くそう言うと、先頭で鉈を振っていた狩人の肩を叩いた。水場が近くにある。という紋様が木に刻まれていることを確認した狩人は、進行方向を変えて進み始めた。
森の中にある狩人の休憩所に辿り着いた時には、夕暮れの時間になっていた。
休憩所、と呼んではいるが、寝床となる小屋と焚火場があるだけの、水場に近い空き地である。木に覆われた狩場の森の中で唯一の、人が暮らせる場ではあるが、背丈の高い茂みに囲まれているため、慣れた者以外には辿り着けない陰所である。
狩人たちは小屋に荷物を置くと、すぐに休憩所の整備を始めた。冬の間に傷んだ箇所はないか、焚火場に火を入れる前に、積もった埃と土を払う。センは先年から、その身軽さから屋根の上に上がり、雨漏りしそうな場所がないかの確認を任されていた。
トム爺さんは地面にしゃがみこんだ少年に声を掛ける。
「疲れたか?」
「うん」
少年は素直に頷いた。
「狩りは明日からだ。今日はここの整備をして、早くに寝る」
「うん」
「近くに水場があるな。そこから水を汲んで、あそこの水壺に入れておけ」
初めて狩場に来た者に任せる仕事を少年に言いつけると、トム爺さんがセンを見上げて言う。
「天井に穴は開いてるか?」
「少し」
「塞いといてくれ」
センは頷くと、屋根から降りて小屋の中の道具箱を取りに行った。
休憩所の整備が終わった時には、すっかり日が暮れていた。
村から持ってきた保存食を齧りながら、焚火で沸かした水を飲むのが、今日の食事である。
トム爺さんは硬い干し肉を齧りながら、明日の狩りに向けての準備の最終確認をしていた。腰に下げた袋から、色とりどりに塗られた小石を取り出し、焚火の明かりに照らしながら小石の表面に刻まれた紋様を確認している。
「それは?」
「ゲア婆さんの作ってくれた呪い石だ」
尋ねる少年に、トム爺さんは石に刻まれた紋様を見せながら答える。呪い石は不思議な力を持つ石だ。紋様が力を持つとも言われており、ゲア婆さんのような術師ではなくても、簡単な術を使うことができるようになる物である。
「さわってもいい?」
「…駄目だ。これは遊び道具ではない」
普段は柔和な表情なトム爺さんが、厳しい表情になって言った。これも初めて狩りに付いてきた者に、トム爺さんが教える訓示の一つである。呪い石は特定の手順さえ守れば術が発動できる道具であり、過去に遊び半分で扱い惨事を招いた者も多いのだ。
「時期が来れば扱い方を教えるからな」
身を竦めた少年の頭を撫でながら、トム爺さんは優しい顔に戻った。
「明日から狩りだ。今日はよく眠れ」
「うん」
少年は頷くと、自身に割り振られた寝床に移動した。寝床と言っても、地面に茣蓙を敷いて、その上に寝具となる布で丸まる、簡易なものだ。小屋の真ん中に設けれれた火床を囲むように、狩人たちは円を描いて眠る。夜番として見張りに付く者は、小屋の入り口で欠伸していた。