出発
狩りの日は早く起きる。
元より日が昇ると始まり、日が沈むと終わる村の生活においても、狩りの日の朝はやはり、早いものと言えるだろう。
センは家族の中で一番に起きると、まだ夜中の静けさに包まれた村の中を狩人の小屋へ歩いていた。小屋に向かう途中、各家から出てきた狩人たちと合流する。トム爺さんは眠そうに欠伸をしながら、センに手を挙げて挨拶してきた。
「早いな」
「そうかな」
センは物心ついたころから、昼間よりも夜のほうが好きだった。暗い景色は昼のあふれる色彩を抑えて視界が冴えわたり、眠りにつく者が多い夜のほうが、昼間よりも雑多な音が少ない分、耳に優しい。そして、夜の静かに広がる匂いが好きだった。昼間は太陽の温気によって、匂いが拡散してしまうのだ。
そんなセンを見て、トム爺さんが薄く笑った。
「お前は不思議だな」
言葉の意味が分からず、首をひねるセンに、トム爺さんは狩人の小屋の前にいる少年を指さして言う。
「あいつをよろしく頼むぞ」
初めての狩りを前に、昨夜は眠れなかったのだろう。少年は目を赤くしたまま、狩人たちが来るのを、今や遅しと待ち構えていた。うずうずと動かしている指の動きからも、早く出かけたい、という思いが伝わってくる。センは自分が初めて狩りに着いていった日のことを思い出し、小さく笑う。自分も同じように、興奮して眠れなかったものだと。
「わかった」
短く答えたセンに、トム爺さんは肩をたたいて答えると、大股になって狩人小屋に近付いた。
「よく寝れたか?」
「…あんまり」
もじもじと答える少年の頭を、トム爺さんが優しく撫でた。
「わしも昔そうだった」
「そうなの?」
「ああ。今日は移動日になる。歩けば疲れて良く眠れる。明日の狩りには、元気になっとる」
鷹揚にそう言うと、トム爺さんは他の狩人たちに振り返った。
「朝日が昇る前に森に入るぞ。森の休憩所まで行って、そこで明日からの予定を決める」
狩人たちは声を立てずに頷くと、各々の荷物を取りに、狩人小屋に入っていった。
朝陽が昇る前に、村から半里(二キロ)程離れた森の入り口に辿り着いていた。夜が明ける前の静かな寒さに、吐く息は白いが、歩行によって体は暖まり、汗ばんできている。村の南東に広がる丘陵が、昇る朝日によって赤白く切り取られ、姿を現していた。その丘にある道をまっすぐ進めば、海に面した港に通じていると言う。センは昔、村に来た行商人から聞いた話を思い出しながら、丘陵の先の消えゆく星空を見つめていた。
「ここから森に入る」
トム爺さんが、狩人一同に振り返って口を開いた。
「木を切り出すための道があるのは知っているな?」
寒さと歩行による紅潮から、頬だけでなく顔中を赤くしている少年に尋ねる。
「うん」
「その先に入る。そこからは道がなくなる」
「うん」
「道がない森を歩くことは、とても疲れるものだ。わかるか?」
「…」
「平らではない道になる。森、というよりも山を歩くようなものだ。初めての時は勝手がわからずに、疲労困憊になることが多い。だから、必ず無理をするな」
トム爺さんは噛んで含めるように、ゆっくりと少年に話しかける。これは初めて狩りに着いてくるものがいる際、必ず話して聞かせる訓示のようなものだ。少年以外の狩人たちは、森に入る前に自分の荷物を改めて確認していた。
「そして、森に入ったら口を聞いてはいけない」
トム爺さんが人差し指で自分の唇を押さえながら続けた。
「え」
「森は人の暮らす里ではない。里の言葉は使ってはいけない。ただ、いきなりは無理だろう。おいおい教える。みんなの話す言葉を聞いて、ゆっくり覚えていけばいい」
少年は不安げに狩人たちを見まわした。森に入る前の狩人たちの表情が、変わっていることに気が付いたのだろう。緊張している。
狩人たちは口を開くことなく、荷物の点検を終えていた。その顔には、村にいた時とは異なるものが浮かんでいた。狩人の顔だ。と、センは思った。村から森に入る時に浮かべる、硬い表情だ。
「なに、難しく考えることはない」
トム爺さんが少年に優しく言う。
「獣は耳がいい。人間の声に反応して逃げてしまうんだ。だから、必要以上に声を出してはいけない。そういうことだ」
「わかった」
頷く少年に、センを指さして言葉を続けた。
「センについて行け。わしが先頭を歩く。わからないことはセンだけでなく、全員に聞いてよい。ただし、狩りが始まったらセンに付いていてもらう。だから、センの言うことを聞けばよい」
「わかった」
「森の中では、簡単に道に迷う。方向を見失う。いいか。危ないと思ったら大声を出して助けを求めていい。ただ、普段は声を出すな。獲物が逃げる」
静かな狩人が優秀な狩人だ。最後に小さくそう言うと、トム爺さんは改めて森の前に立つ狩人たちを見た。
「準備はいいな」
「おう」
代表に答えた狩人に頷くと、トム爺さんを先頭に狩人たちは森に入っていった。