1節 奈良の空飛ぶ少年(3)
「明日はじいちゃんの命日よ。ちょうど日曜日だから、大神神社にお参りに行こうね。じいちゃんに会えるかも知れないよ」
そう言って、ばあちゃんは神棚の横に掛けられたじいちゃんの写真を見つめた。
「ごちそうさま。今日も美味しかった。大神神社にサスケも連れて行こうね」
ヒロは、サスケにも「ごちそうさま」を言うように教えて、食器を片付けた。
「サスケ、外を走って来よう」
サスケを連れて外に出ると、遠くで幼なじみのマリがヒショウに話しかけていた。
マリは、柔和な黒い瞳と白いきれいな歯が印象的な少女だ。
ヒショウは、マリが飼っている若い雉子だが、まるで人間のようにマリの言葉に頷いている。
ヒロとサスケが駆け寄って声を掛けた。
「おーい、ヒショウ・・・ マリと何を話してるんだい?」
「おはよう、ヒロ。ヒショウじゃなくて、わたしに訊いてよー」
マリは朝陽のような笑顔でヒロに答えて、サスケを抱き上げた。
すると、ヒショウが焼きもちを焼いたように、マリの周りをぐるぐる飛んで小さな声で鳴いた。
「ごめん、ごめん、ヒショウも肩に乗っていいよ」
慌ててマリが片手を伸ばして、ヒショウを自分の肩に乗せた。
ヒロはサスケをマリから受取って、地面に降ろした。
「明日はじいちゃんの命日だから、ばあちゃんと大神神社にお参りに行くんだ。マリも一緒に行こうよ」
「わあ、うれしい!明日の朝、ヒロのおばあちゃんと一緒にお弁当つくろう・・・ そうだ、ヒショウも連れて行っていいの?」
マリは7歳の頃から何度か一緒に行っているが、ヒショウは1歳になったばかりだから、まだ行ったことがない。
「まだ小さいけどサスケも行くから、ヒショウも連れて行こう。」
サスケと一緒に駆け出しながら、ヒロは言った。
「明日のこと、お母さんに話しとかなくちゃ。じゃあ、明日の朝、よろしくね」
マリはヒショウを空に放して、ヒロに微笑んだ。
翌日は、朝から晴れていた。
ヒロが新聞配達を終えて、家に戻った時には、ばあちゃんとマリが歌いながら弁当を作っていた。
「マリは、ほんとうに歌がじょうずだねえ。そのうえ可愛いから、将来は歌手になれるね」
ばあちゃんは、マリが生まれる前から、マリの家族と仲良くしている。
マリの父親は、神社の近くにある古い農家の長男で、広い田畑に米や野菜を植えている。
母親は、子供達から慕われている小学校の教師で、シラカワ先生とよばれている。
「ありがとう。でも、わたしは、お母さんのような先生になりたいなあ・・・」
誉められたのが嬉しくて、マリは弾んだ声で答えた。
「先生になりたいなら、もっと学校で勉強しなきゃあ・・・」
サスケと戯れながら、ヒロが話に割って入った。
マリが、勉強より友達と遊んでいるのが好きなことを、ヒロは知っている。
「うーん・・・ そうだ!もっと勉強が好きになるように、大神神社にお願いしようっと」
マリは、大事なことに気づいた自分に満足して、また明るい声で歌い始めた。
弁当の支度も終わり、皆でにぎやかに朝ご飯を食べて、家から歩いてバス停に行った。
バスに乗って七つ目の停留所が奈良駅だ。
他の乗客に見えないように、ヒロがサスケを風呂敷で包んで、抱いてバスに乗った。
ヒショウはバスの上を飛んでついて来た。
奈良駅から電車で南に向かって八つ目の駅が三輪駅だ。
今度は遠いので、ヒショウは電車の屋根上に乗って行くことにした。
「ヒショウが心配だから、見てくるよ」
ヒロはサスケをマリに預けて、ホームに降りてヒショウを探した。
すると、ドアが閉まって電車が動き出した。
ばあちゃんとマリが心配してホームを見ると、つむじ風がクルクルッと電車の屋根上に舞い上がって行った。
ホームにいた駅員達が目を擦り、何か話をしていたが、電車はどんどん駅から離れて行った。
「電線に触って、ちょっと服が焦げてしまったけど、ヒショウは上手に屋根に乗っているよ」
次の駅に着いてドアが開いたら、ヒロが左の袖を黒く焦がしたまま戻って来た。
「ヒロ、他の人達が驚かないように気をつけなさいよ」
小さな声で、ばあちゃんが周りを見ながら注意した。
電車は、田畑や街の中をのどかに走った。
左側には小高い山が見えている。
時々、遠くに古い寺や神社が見えた。
「大神神社は、日本で一番古い神社なの。だから大神神社は、八百万の神の故郷なのよ」
三輪駅に着く頃、ばあちゃんが話してくれた。
電車がゆっくりと三輪駅に止まると、ホームにヒショウが降りて待っていた。
駅を出ると、すぐに立派な大神神社が見えてくる。
神社の境内には、参拝客や観光客が大勢いた。
皆で本殿のすぐ前まで行って、お参りした。
ばあちゃんは、ずうーっと目を瞑って熱心に祈っていた。
突然、ヒショウが神社の裏山に向かって飛んで行った。
ヒロとサスケが追いかけて行き、ヒショウが留まった岩の下に洞があるのを見つけた。
すぐにサスケが中に入り、みんなが続いて中に入った。
最後に、ばあちゃんが洞の中に入って、あっと声を上げた。
「ここは、私が初めてじいちゃんを見た場所だよ。子供の頃、故郷の清正公神社の裏の洞を覗いたら、向こうに神主の修行をしている少年が見えたのよ。手招きするから、進んで行ったら、ここから大神神社が見えたの。その時の少年がじいちゃんだった。」
ヒロが洞の中を見渡しながら、ばあちゃんに訊いた。
「どうして、この場所だったって分かるの?」
「その少年が洞に入って来て、わたしの名前を訊いたのよ。ユリコって答えたら、じいちゃんが壁に名前を刻んだの。ほら、ここに残っているでしょう」
ばあちゃんは、少女の頃に戻ったような瞳で、その消えかけた文字を見つめていた。
「じゃあ、この洞の奥に行けば、じいちゃんに会えるかも知れないね」
ヒロが言うより先に、サスケが奥に向かって駆け出した。
サスケに続いて、皆が進むと、空気がスッと入れ替わり、目の前に洞の出口が見えた。
洞を出ると、そこは、ばあちゃんが少女の頃に来た清正公神社の裏ではなく、きれいな小川の流れる山あいの集落だった。
「不思議だねえ。ここは、六十年前の塩迫みたいだよ」
ばあちゃんは、懐かしそうに周りを見渡した。
「あの後、じいちゃんは時々、大神神社の洞を抜けて、わたしに会いに来てくれたけど、塩迫に出てしまうことがあるって言ってたのよ。じいちゃんは、神様の抜け道って呼んでいたけど、出口が時々変化するみたいだね」
「山も小川もきれいねえ。おなかが空いたから、ここでお弁当を食べましょうよ」
マリが草原の中の小さな岩に座って、弁当を広げた。
みんなも座って、弁当を食べ始めた。遠くで海がキラキラ光っているのが見えた。
「昔のことだけど、この塩迫の山から金がとれたそうよ」
ばあちゃんが子供の頃に聞いた話を始めた。
そこへ、山の上からカラスの群れが近づいて来た。
驚いたヒショウが、さっき出て来た洞に飛んで戻った。
「ヒショウ、逃げなくても大丈夫だよ・・・」
マリが後を追って洞の中に入った。
サスケはカラスに向かって吠えた。
ヒロが振り返ると、辺りの空気がゆらゆらっと揺れて洞の入り口が見えなくなった。
「ばあちゃん、マリとヒショウが消えちゃったよお・・・。どこに行っちゃったのかなあ?」
「うーん・・・ 神様の抜け道から、西ノ迫に出たこともあったって、じいちゃんが言っていたから、そっちに行ってみよう」
ばあちゃんが、坂道を急いで下りて行った。
ヒロとサスケも後に続きながら、ばあちゃんに訊いた。
「西ノ迫って、どこなの? その前に、ここは日本のどこなの?」
「ここは、わたしの故郷、九州の津奈木村よ。坂道を下りて平地に出ると、川があるのよ。その先の国道を北に歩いて行くと、右側の山裾に鉄道の駅が見えるよ。その北側の丘が西ノ迫よ。大昔、天から男の神様が西ノ迫に降り立ち、女の神様が塩迫に降り立ったという言い伝えがあるけど、神様の抜け道がつながっていたんだねえ」
ばあちゃんは急いで歩いたので、息が切れてハアハア言った。
「ぼくとサスケが先に行ってるから、ばあちゃんは急がないで、ゆっくり歩いてきてよ」
サスケを抱きかかえると、ヒロは全速力で駆け出した。
クルクルッとつむじ風が舞い上がり、あっという間に北に向かって飛んで行った。
つむじ風が西ノ迫に着くと、丘の上でマリが心細そうに北の空を見上げていた。
「あー、よかった。マリ、大丈夫だった?」
つむじ風の中からヒロが現れ、マリの手を握って喜んだ。
「何がなんだか分からないうちに、知らない場所に出てしまったの。ヒロ達を探してきてってヒショウに言ったら、あっちの方に飛んで行っちゃった」
泣き出しそうな顔をしてマリが言うと、ヒロはサスケを抱き上げてマリに渡した。
サスケがマリの顔を舐めて甘えると、マリの気持ちも落ち着いてきた。
暫く周りの景色を眺めてから、皆でゆっくりと坂を下りて行くと、遠くからばあちゃんが歩いてきた。
「すぐ会えて、よかったね、マリ。怖くなかったかい?」
「おばあちゃん、神様の抜け道って不思議ねえ。あっという間に、知らない場所に出るんだもの。怖くはなかったけど、ヒショウがあっちの方に飛んで行っちゃった」
マリの指差す方角を見て、ばあちゃんが頷いた。
「あっちには、重盤岩という、この村一番の岩山があるよ。多分ヒショウは、その頂上から村全体を見渡していると思うよ。でも、大分歩いたから疲れちゃったねえ」