433話 災厄VI ラルフ 怒りに震える
温和な人を怒らせてはいけませんよね。
いつの間にか、俺は王都上空に居た。
いや。何をしたかは憶えている。
もう一度、聖都上空に残された時に戻ったとしても、同じことをやるだろう。
しかし。なんというか、意識が希薄になっていた。
俺は鼻を突く焦げ臭さに、大地を見下ろす。
王都は、光の薄衣に包まれていて健在だ。
だが、その周り。
この上空まで、臭いを煙と共に吹き上げていた。
城壁の際から数百ヤーデン(数百m)の範囲は、見る影もない。
大地が一部溶けていた。魔導障壁が竜の息吹を弾いて、こうなったのだ。麦畑が痕形もなくなっていた。
───オッテ キタカ
黎き竜の念が流れ込んでくる。
すぐそこに浮かぶ巨竜を意識していなかった。
【よくも、王都を……ルークを撃ったなぁぁぁぁあ!!!】
叫んだ後に、突如肚が熱くなった。手足がわなわなと震える。
何年も自覚することのなかった感情の高まりが、全身を駆け巡った。
ルークが、あれほど不安そうに声音を上げたことはない。その状況に息子を置いてしまった、自分自身に腹を立てていたのかも知れない。
長く息を吐くと、沸騰した怒りがようやく冷えていく───
躁状態に入ったようだ。
俺の魔導抵抗が、大幅に下がり、体内循環の魔束密度が上昇していく。
両の腕を突き出すと、魔束が短絡して大気を電離させ始めた。
【衝撃波!】
脳裏に浮かんだのは、上級魔術ですらない術式。
だが、魔界強度が恐るべき勢いで高まって発動すると、音速の数倍で黎き竜の土手っ腹に突き刺さって、表皮が陥没する。
数瞬遅れて大気が白く沸き立ち、筋雲が俺と黎き竜を繋いだ。
───ゴゥフ……
意外に効いているらしい。
【衝撃波!】【衝撃波!】……。
多用しても、威力が落ちない。さらに撃つ度に数百ヤーデンも後退していく。
物理が効くなら。
───ナメルナ!
一気に魔力が増大していく。
数ある魔術の内、未だ発動したことのない呪文が口を突く。確信と共に。
「……ਛਉਛਨ ਜਙਢਙਨਭਯਙਣਣਠ ਡਖਕਕ ਮਉ……ਨਅਪ ਗਇਨਨਉਨਗਅ」
ブレスが放たれたのと、俺の魔術発動はほぼ同時だった。
俺に向かって来る恐るべき光条は、上方に逸れ、嘘のように虚空に消えた。
───ナンダト
理解できなかったのか、信じられなかったのか。黎き竜は再度ブレスを撃ってきた。しかし───
再び光条は曲がり、上方に消えた。
───ガァァァア
混乱に陥ったか、めったやたらにブレスが放たれた。だが、何物にも当たることはなく、虚しく消滅した。
───ナンダ コレハ?
吸い込まれた虚空がジジと鳴ると、球状に赤黒く光が明滅する。
───お前を滅ぼす珠だ
───ナンダト……
脳幹の凍える感覚が霧散した。躁状態を超え、周囲が光に溶け込でゆく。
極大魔術すら児戯に思える全能感が去来する。
【冥始虚淵!!!】
音もなく光もなく、それは飛んだ。5つ。
───ヌゥゥゥ!
不意に黎き竜の四肢の先が消えた。
そして腕と脚が開いて、虚空に磔けられていく。
「グギェエアグァァアァァアァァアアッァ……」
†
「あぁあ……行っちまいやがった」
ラルフは、俺達を置き去りにして跳んだ。
王宮内魔導障壁中枢区画の天井は透けていて、夜空があからさまだ。
星々を遮る大きな塊と、月よりも明るい光が対峙していた。
黎き竜とラルフだ。
はっきりと視認できる。
【よくも、王都を……ルークを撃ったなぁぁぁぁあ!!!】
ラルフの叫びが身体を震わせ、背筋を怖気が駆け上る。
うぁぁ……。
「はっはは。ラルフのヤツ怒っているぞ。あいつが怒っている所なんて初めて見た……って、何やっているんだ? おっさん」
グレゴリー卿は、天井を見上げながら魔導具を構えていた。
「見てわからないのか? バロール。 災厄の終末を記録しているんだよ」
「そりゃあ、分かるけどよ。今かよ!」
「ああ、何百年後かの後進には言葉では足らぬだろう」
むう。おっさんは、この極めて不利な状況においても、負けるなんて思ってもいないらしい。俺もだが。
「いいのか? 始まるぞ」
おおぅ。
慌てて、見上げる。
やばい。凄まじい勢いで黎き竜の魔圧が上がっていく。息吹だ!
「ラルフ!」
避けろぉぉお。
動かないラルフに向けて、恐るべき魔界強度を纏った光束が迸った。
だが。
あぁ?
消えた。消え去った。
そして、第2射、第3射と信じられない頻度で、ブレスが放たれる。それらも嘘のように、虚空の一点に吸い込まれるように消えていく
いやいやいや。そんな馬鹿な。
「おっさん、ブレスが……」
「魔術師は、眼で見たことだけを信じろ。いつも、バロールはそう言っているんじゃないのか」
「いや、そうだけどよ」
上級魔術師筆頭だけのことはある───落ち着き払った返事にそう思ったが、流石に魔導具を構える腕が震えていた。
「あれが、ラルフの魔術として。どういうことなんだ? 空間魔術なのか?」
「わからんが、そうだろう。消える寸前に、ブレスが曲がったように見えた」
「ブレスっていうのは曲がる物なのか?」
「知らん。空間の方が曲がっているのかも知れん。どういう術式なのかは知らんが、亜空間にでも魔束を吸収したんじゃないか?」
「そんなことができるのかよ」
「そういえば魔素が噴き出る場所を、竜脈と言うが。竜脈が有るなら、その逆が有っても、不思議ではない」
いや、十分不思議だろう。
「流石は年の功だな」
「黙れ、バロール。さっき爺と呼んだのは忘れていないぞ」
むう。
「おお! 竜が!」
竜の四肢が広がっていく。そして───
「おっさん……信じられないが。黎き竜の魔力が減って行っているように感じられるんだが」
「ああ。幸か不幸か私にもそう見える。それにしても、竜を磔にするとはな」
磔。
そうだな、あれは磔だ。磔柱はないが。
じたばたと竜は身動いでいるが、数分経っても逃れられないようだ。
ラルフのヤツ、半端ねえな。
それに。
「間違いない。みるみる魔力が減っている」
「ああ、そのようだな」
まさか、このまま勝ってしまうんじゃ?
そう思った途端、魔力が弾けるように見えたが、それっきり黎き竜が消えた。
王都を押しつぶすように圧していた魔界も失せていた。
「おおっ!」
目映い光球が、四方へ飛び散った。
お読み頂き感謝致します。
ブクマもありがとうございます。
誤字報告戴いている方々、助かっております。
また皆様のご評価、ご感想が指針となります。
叱咤激励、御賛辞関わらずお待ちしています。
ぜひよろしくお願い致します。
Twitterもよろしく!
https://twitter.com/NittaUya
訂正履歴
2022/09/03 呪文のルビ修正、くどい表現変更




