405話 ヴィノーラ御料地
栃木県に御料牧場があるのですが。明治の頃からあるのかと思っていたら、昭和44年開場なのか。意外。(千葉県から移転)
馥郁たる香気をあげるカップを置く。
カチッ。佳い音色を上げる。
夕食後の団らんだ。
家族揃ってソファに座って居る。
最近に流暢になってきたレイナの語り口を、みんなで聞いている。
「でね、イーヴァちゃんが、このこがいいなあって……」
この子とは、先日買ってきた人形だ。レイナ《娘》が自分の膝の上に抱え、髪を梳いてやっている。
かなり気に入っているようだ。
「ほう……」
「こんな、おにんぎょうはみたことない。どこにつくらせたのってきくの」
レイナは得意そうだ。
「ほう。なんと答えた」
「おとうさまが、とおいところでかってきてくれたのよって。そしたら、いいなあ、いいなあって。うふふ……」
作らせたと訊くならば、貴族の子だろう。
レイナの横に居るルークの方を向く。
「あっ、はい。イーヴァ・フェイルズ嬢は、エリスの友達です」
エリスとは、賢者バロール卿の愛娘だ。それにしてもルークは、俺の考えたことが、よく分かるな。少しうれしい。
「ほう。フェイルズといえば、ダイナス卿の娘か?」
「はい。ナディさんのところで時々」
ローザが肯いた。
ダイナス卿とは、俺と同時期に成った上級魔術師だ。俺はそれほどでもないが、妻達は交流があるようだ。
「年齢は?」
「たしか、4歳かと」
ルークの1歳下か。
「ふむ。それで、もうエリス嬢には人形を渡したのか?」
「あっ、はい。父上にくれぐれもよろしくと言っておりました」
「ああぁ……おにいちゃん。うそついた!」
「んん?」
「エリちゃん。そんなこといってなかったもんね。おにいちゃんにだきついて、ありがとう、ありがとうっていってただけだもん」
「レイナ!」
「そうなのか?」
「いえ。レイナの居ないところで、ちゃんと父上にもお礼を伝えてくれるようにと」
必死な目だ。
「うむ」
「レイナ。そろそろ、湯浴みをしましょう」
プリシラが腰を上げた。
「えぇぇ。まだ、おにいちゃんといっしょにいるの!」
「レイナ」
プリシラはにっこり笑っているが、圧があるな。
「はぁい」
レイナは両手を挙げると、気を利かせたルークがソファから降してやった。
「父上にご挨拶なさい」
「おとうさま、おやすみなさい」
「うむ。お休み」
プリシラに手を牽かれて居間を辞して行った。
「父上」
「何かな?」
「明後日、東洋から来た魔術師に会うと聞きました」
アリーの方を向くと、ゆっくりと顔を背けた。
喋ったな。別に構わないが。
「ああ。その通りだ」
「僕は、東洋の人間を見たことがありません。ご一緒させて貰えないでしょうか?」
「ほう……」
その横に居たローザが、編み棒を置いた。
「ルーク。旦那様はお仕事なのです。しかも、国の代表である大使としてお会いになるのですよ」
「分かっておりますが……だめでしょうか?」
自重というならば、効き過ぎているほどに効いている息子だ。
それに、外務省から新たに得た情報では、レーゼンの大使は相当気難しい男のようだ。それでもまだマシで、イーズの大使はまともに喋らないらしい。
そこに、ルークを連れていくのは、案外悪くはないかも知れぬ。
「ふむ。アストラには私から話しておく、準備せよ。あとは挨拶ぐらいはできるようにするのだ。文言は教えてやる」
「やったぁ! ありがとうございます。父上」
†
「旦那様の邪魔は、決してしないこと。いいわね、ルーク」
「はい、母上」
ローザは、ルークのコートの前袷をしっかり締めてやっている。
いよいよ、ヴィノーラ御料地に向かう日となった。
玄関で、本館の主立った者達が送ってくれている。だが、プリシラとレイナは居ない。ついさっき、兄が自分を置いてどこかに行くと分かって、自分も行くと大泣きしたからだ。10年ぐらい前に同じような光景を見た気がするが、親父さんも同じような気持ちだったのだろうな。
「おねえちゃん。大丈夫よ、私が付いているから……」
アリーが言い添えたが、ローザの表情は好転しなかった。自分が付いていきたいのだろうが、今は大事な時期だ。
俺とアリーが後ろ向きに、そしてルークとフラガが前向きで馬車に乗り込み、王都本館を出発した。まず向かう先は王都城外の事業所だ。
フラガの表情が硬い。
まあ、強張っているのは顔だけでなく、膝も腰も直角で、背もたれに付いていない。
「初めて一緒に乗ったね」
うれしそうに、ルークが彼に話しかける。
「はっ、はい。私のような者が、御館様の馬車に同乗させて戴いてよろしいのでしょうか?」
「よいから、乗せて貰っているのでしょう? ねえ。父上」
肯く。
「ありがとうございます」
「フラガ、今から緊張していたら、いざという時に動けないわよ」
「はっ、はい。アリー奥様」
いや、アリー……ほらみろ、余計緊張したじゃないか。
微笑ましい旅程は、15分足らずで一旦終了した。
城外を東に伸びた街道を逸れて、事業所の敷地に入るとアストラ以下の随員が待機していた。挨拶を受けて後続馬車に乗車させると、3台の馬車を亜空間に収納した。
「何度見ても素晴らしいお手並です。御館様」
バルサムだ。
「ふふっ。では行ってくる」
「はっ! くれぐれもお気を付けて」
見送りのバルサムが、いつもより数割増しの渋い表情で略礼をした。今回は騎士団を同行させないからだ。
「うむ」
【光翼鵬!】
瞬く間に、事業所が足下に小さくなるほど上昇した。一路北へ進路を取る。
御料地までは120ダーデン程。空を飛べばあっという間だ。
地上は、風が流れるように後ろへ去っていく。8月も目前となって、落葉樹が紅く色付いており、なかなかの景観だが、それを愛でて時間を取ると、中に居る者達が可哀想だ。何も見えないからな。
そこそこ急ぎつつ、田園風景の上空を20分も飛行すると、丘陵地と平地の境に白亜の大きな館がいくつも見えてきた。あれが御料地に違いない。その周りには、広大な牧場や森林が広がっている。
ほう。
敷地の一部は、結界が張られているようだ。
高度を落として、敷地の手前1ダーデン程度、人気のない街道脇に降下した。馬車を出庫して俺も乗り込むと、何事もなかったように車列は走り出した。
「外に出たということは、もう御料地の近くにいるのでしょうか?」
「御料地の門まで700ヤーデン(600mあまり)だ」
「はぁ……つい先程まで、城外の事業所に居たのに。信じられません。でも外は」
フラガは、口を開けたまま、窓の外をしげしげと眺めている。
「そうか、フラガは初めてだよね。父上に運んで貰うの」
「はい」
しばらくして、停車した。
「失礼致します」
御者台との窓が開いて、上から声が降りてきた。
「ヴィノーラ御料地の入り口に到着致しました。ただいま先頭車のパレビー殿が降りていって門衛に進入許可を求めております」
「うむ」
「着いたね」
「はあぁ。王都から120ダーデンと聞いておりましたが、このような短時間で」
「僕も父上みたいに、速く飛べるようになるかなあ」
ルークが、キラキラした目で見てくる。
「ああ、成れるとも。父が空を飛べるようになったのは15歳だ。ルークは既に飛べるようになって居るからな」
「飛んでいるというよりは浮いているだけですし、外を飛べるようになりたいです」
ルークには、俺かセレナが立ち会わねば飛行魔術を許可していない。そして、今のところ、戸外では禁止だ。人目に付くことになれば、大衆が過剰に反応するだろうからな。
「まあ、来年には、エルメーダに行って訓練するといい」
「はい」
馬車が再び走り出し、門を通り抜けて柵を越えた。
「凄く広い。ここは牧場なの?」
「放牧地みたいね。ほら遠くに牛がいるわよ」
「でも、そんなに草が生えていないよ」
ルークの言うように、黒褐色のよく肥えた地面が見えている。
「旦那様?」
俺に頼るな。
「遠く……あそこに柵が見えるだろう。あの向こうが放牧地で、この辺りは採草地だ」
アリーとルークは、首を捻った。
「その2つは何が違うのですか?」
「一緒じゃないの?」
「この辺りは平坦だから、明確な差はないかも知れないが。放牧地は牛や馬などの家畜が草を食べて過ごす場所だ。採草地は、家畜が冬の間に食べる牧草を栽培する場所だ。そこで放牧すると、家畜が食べてしまうからな。分けるのだ。今の時期は……そうだな3回目の収穫が終わったから、この辺りはもう草がないというわけだ」
「なるほど。流石、旦那様は物知りねえ」
「はい。すごいよねえ」
横のフラガも大きく肯いた。
「てっきり魔術にしか興味がないかと思った」
おい!
「シュテルン村でもそうだったぞ」
「そう……だっけ? 領地も貰ったから、私も勉強しないとね。ちなみに旦那様。御料地って離宮ではないのよね?」
めげないやつだ。
「うむ。基本的には王宮で消費される食物を生産する農園と牧場だ。ただ狩り場もあるから、王族が滞在されることもあるようだ」
聞いた話では、国王陛下はそれほどでもないが、王甥殿下はよく来られるようだ。
「牧場はわかったけど、農園って?」
「もう少し西には麦畑、北の森林の手前には果樹園があるぞ」
さっき、空から見た光景を話す。
「へえ……」
やがて中門が見えてきた。
そこも通り抜けると、のどかな牧場には変わりないが、魔界強度が変わった。
ここからは、魔術結界の中だ。
ふふふ。
急にルークがそわそわし出した。何かまでは分かって居ないようだが、感知だけはしているようだな。
むっ!
突如、騎乗の馬が疾駆して近付いて来た。
あれは───
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訂正履歴
2022/02/05 誤字訂正、少々加筆




