392話 賢者暗殺さる(1)
風雲急を告げるとはこのことですね。
よし、居るな。
マグノリアでも屈指の宿、フォイジン亭の離れ。
聖都にやってくる貴族向け……要するに、いけ好かない宿だ
赫赫と魔灯が照らす正門に、2人の歩哨が立っている。
情報通り、主人が逗留中ということだ。到着した昨日は流石に気を張っていただろうが、長旅の疲れが今頃出ているはずだ。
もっとも、そのようなことは関係ない。
路地裏に取って返し、懐から取り出した卵型の魔導具の尖りを押す。すると掌の中が眸と光って、持って居た手ごと透けた。
無論驚きはしない、何度も試したからな。数秒もすると、腕も肘から先、肩そして目に映る自分の身体全体が闇に溶け込むように無くなった。
光学迷彩魔導具だ。
路地から出て右に曲がると、正面から来た通行人と擦れ違う。わざと近くに寄ってみたが、こちらへは一瞬たりとも視線を向けることは無かった。こちらが見えないからだ。
分かって居ても、確認は重要だ。もう後戻りはできない。あと30分以内に、事を為さねば、この迷彩が解けてしまう。
足早に角を曲がって、フォイジン亭の脇に回り込む。
ここで、別の魔導具を手探りで取り出す。円筒を中程から捻るとカチッと小さな音を立てた。目には見えなくて不安だが、魔石を入れない状態で何度も試した。大丈夫だ。
鍵付きの縄を取り出し、振り回して塀上部に引っかけ、これを乗り越えた。
庭の向こうに主賓が泊まる離れの建屋が見えた。
よし、行くか……いや待て。
魔灯を手に持った見回りがやって来た。魔術師だ!
ローブを着込んでいる。
腕をゆっくりと巡らせると、灯りがこっちに回ってきた。心臓が跳ね上がるが何事もなく、見回りは歩き去った。
さっき起動した2つ目の魔導具が効いたのかも知れない。魔術師には見えないだけでは不十分、気配を偽ることができるとは、中々良い物らしい。
呼吸を整えて、小走りに壁際へ走り寄る。北の角から3室目。
ここだ。
暑いのか、窓が少し開いていて、中が覗ける。
薄暗く魔灯が点いているが……あれか?!
天蓋付きベッドの夜具が寝乱れているものの、明るい金髪が見えている。同行している側室は茶髪だ。奥の方から水音が聞こえてくる。女がシャワーを浴びているのだろう。
ならば、ベッドに居るのが対象だ。
側室と一戦交えて、疲れて寝てしまったのだろう。
10ヤーデン程壁際を歩き、室内に通じる扉へ向け腕を伸ばす。
……ਉਘਵਖਅਨਰਝ……ਇਭਣ ਲਭ ਹਬਦ……解錠
開いた!
再び室内を窺う。
よし! 寝たままだ。最大の難所を乗り越えた。あとは実行有るのみ!
忍び足で扉へ近付き、中に入る。
回り込んでベッド脇まで寄ると顔が見えた。噂通りの優男だ。薄暗い魔灯の下でも、天使の様な容貌が見えた。懐から取り出して鞘を外す。
やるぞ!
左掌で顔を押さえ、すかさずナイフを胸に突き立てた。
直後、四肢をバタつかせていたが、十分喰い込んだナイフを抜いて、放した右手でさらに押さえる。
むぅむぅと呻き声を上げたが、何秒か押さえ続けると、やがて身動きは痙攣に変わり、そして動かなくなった。
落ち着け、落ち着け。
鞘をわざと床に置き、映像魔導具を取り出して撮影を始める。
おっと! 光学迷彩の魔導具を切る。
干渉して映らなくなるからな。
こうなると整った貌が、仇になるな。瞳が上に寄り、苦悶の形相で固まっている。
怖ず怖ずと首に手を伸ばす。
脈は……ない。
よし、成功だ。
世界最強の男を葬ったのだ。
ラングレン卿は、死んだ。
水音が消えた。
女がこっちに来る。声でも上げられれば、警備のやつらがやってくる。
再び光学迷彩を発動させると、急ぎ外に出て一気に庭を横切る。塀を乗り越えた時、中から悲鳴が聞こえた。
†
フォイジン亭を離れ、用意していた場所へ身を隠した。辺りを窺うが追っ手は来ない。移動して再度隠れて時間の経つのを待ったが、やはり大丈夫のようだ。
もうすぐ日の出という時間となって、約束の場所にやって来た。
あれだ。
運河の脇に駐まっている馬車の扉を符丁通り叩くと、中から開いた。素早く乗り込む。
身形の良い、貴族の執事然とした男の正面に座る。
「首尾は?」
「成功しました」
「そうか……例の物は?」
「ああ、はい」
映像魔導具を取り出して渡す。
魔導具の上に光が映り、ラングレン卿の醜い死に顔が像を結んだ。
「ふふふふ……結構。刃には例の毒を塗ったのであろうな?」
「もちろん抜かりはありません。それに見た通り、頸動脈に触りましたが、完全に死んでいましたよ」
魔導具の光が消えると、男は大事そうに懐に仕舞った。
「良くやってくれた。昨夜、フォイジン亭の近くで見張らせた者に拠れば、確かに真夜中に騒ぎがあったそうだ。10分ほどで静まったそうだ」
「へえ」
そんなことを、やっていたのか。
「暗殺されるなど、不名誉なこと。おそらく病死と公表されるだろう」
なんだと。
「では、私のことは!?」
「心配するな、計画の大功労者だ。主管に報告の上、結社の揺るぎなき地位に推挙されることは、まちがいない」
「そっ、それはありがたいことで」
よし。俺も運が向いてきた。
ゆくゆく主管にも成れるかも知れない。何と言っても結社の最大の障害を取り除いたのだ。
「うむ。では成功を祝して乾杯しよう」
「はい」
男はグラス2つとワイン瓶を取り出すと、なみなみと注いだ。
「では乾杯だ」
手前のグラスを摘まみ、カチリと合わせると、お互いに一気に呷った
ん?
手からグラスが、落ちた。
なぜか、その手が震えている。
目の前が赤くなり、それっきり意識を失った。
†
「ムスペル様。ただいま戻りました」
艶やかな髭を撫で付けた主人は、朝食のナプキンを外して、こちらを振り向かれた。
「ご苦労。笑っているな。もしや上首尾か?」
「お喜び下さい。ラングレンは死亡しました」
「本当か?」
「ご覧下さい」
魔導具を渡すと、映像を確認された。
「ふむ。矢という物は多く射てみるものだな。あれほどの力を誇った魔術師が、赤子のようだ」
「はい。失敗しても、疑心暗鬼となり、今後の人生に影を落とせばとの目論見でしたが。自らの力に驕り、油断をしたのでしょう。故に歴史上、多くの英雄が凶刃に斃れたわけです。正史には書かれては居なくても」
「それで、下手人は始末したのか?」
「無論です。毒を飲ませ、運河に捨てました」
「なにやら、数年前のことを思い出す」
「そういえば、スパイラスでも死骸を運河に捨てたのでした」
「ふふふ……我ら結社の崇高なる理念実現のためには、取るに足らない犠牲というものだ。バズイットという駒は失ったが、これでやりやすくなる。おそらく、新世界戦隊などという滑稽な輩達も、これで瓦解するだろう」
「ミストリアが、これで条約を破棄するとよろしいのですが」
「まあ、そこまで持っていくには、まだ時間が掛かる。入念な世論誘導が不可欠だ」
「はい」
「いずれにしても予想以上の成果となった。ほとぼりが冷めた頃。帰国するとしよう」
安心して下さい。まだ続きます。
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訂正履歴
2021/11/06 誤字訂正、サブタイトルに(1)を追加、少々加筆
2022/08/09 誤字訂正(ID:1346548さん ありがとうございます)




