388話 女は強し さらに母は……
文豪ユゴーの言葉。「女は弱し、されど母は強し」
そうかなあ。
女は強し、さらに母は……いや、一層母は……一際母は。まあいいかあ。
12個目の魔石ができあがった。
翳していた両腕が力なく下がる。溜息1つ肩から力が抜けた。
地下工房には、誰も居ない。
素材となる魔結晶を受領してから、1週間。
光学魔術で刻み込む極微細紋章が、充血した網膜に焼き付きそうで嫌になってきた。大体同じ意匠ばかりだし。
集中が途切れると、時間の感覚が蘇ってきた。
3日ほど満足に寝ていない。昼夜無く、俺は働いた。
思えば、昔もこのようなことがあったような? いやしばしばあったような気もするのだが、どうにも思い出せない。
記憶力に関しては、鉄壁の自信がある。おそらくは思い違いだろう。
そんなことが頭を過ぎるのも、約束の出荷日が迫っているからだ。まだ8個ばかり作らねばならない。
しかし、根を詰めすぎると思わぬ間違いを起こす。今回の魔導具は、万にひとつも不具合が許されない。
一段落付いたところを見計らい、俺は地下の工房から地上に戻った。
窓の外は、星が瞬いている。居間へ行くと誰も居なかった。
はぁ……。
脚から力が抜け、落ちるようにソファーに身を沈め、目を瞑る。
何分か過ぎたろうか、扉が開いた。
「おとうさま」
「ん、んん……」
レイナの気配だ。とことこと歩いて目の前に来た。そして靴を脱いで座面に手を突くと俺の隣によじ登った。
「ねてるの?」
つんつんと俺の顔をつつく。
「いや、寝ては居ない」
「ぁあ、おきてた……おゆうしょくたべた?」
「うーん。食べていないな」
「わあ、だめなんだ」
「なんだ、夕食に呼びに来てくれたのか?」
「ううん。だいぶまえにたべたよ。あのね、おかあさまがね。おとうさまはつかれてるから、おそばへいっちゃ、だめっていうの」
少なからず心配を掛けているようだ。
「そんなことはない。いつでも来て構わないぞ……?」
レイナは座面に立ち上がった。
髪に小さな手の感触が来た。
「レイはね、おとうさまをなでなでしたかったの」
ふむ。十年以上誰かに撫でられたことはなかった。心地よいものだ。愛娘なら一入だ。
「そうか、ありがとうな」
「うん」
レイナは抱き付いてきた。甘い香りを吸い込む。
「まあ!」
目を開けると、プリシラが居間に入ってきた。
「申し訳ございません、旦那様。レイナ、こちらへ来なさい!」
「そう怒るな。レイナのお陰で、少し楽になったぞ」
ん?
寝間着姿だったレイナを隣に降ろして、立ち上がろうとすると、プリシラが立ちはだかった。
「どちらへ?」
「ああ、工房へ……ん」
「今夜は、このままお休み下さい」
「いや……まだ」
「旦那様が、世界のために働かれているのは存じております。でも、世界などどうなっても構わないのです」
おいおい。
「どうか、今はお休み下さい」
「おかあさま、ないてる?」
レイナが母を見上げている。
プリシラの頬を大粒の滴がいくつも流れていた。
そうだった。
この妻も、2人に劣らず女傑だったのだ。
それを見ているレイナも顔が歪んできた。
「わかった。今日は3人で寝るとしよう」
† † †
プリシラに叱られてから、徹夜をやめた。
愛娘に泣き顔をさせてはならぬと、やり方を改善して能率を追求した。そのお陰なのか納期を守ることができた。
それからも俺は別の政務に追われつつ1ヶ月半程過ごして、今日を迎えた。
「旦那様の事は、私にお任せあれ」
アリーは本館玄関で、戯けながら片脚を退いて、皆に礼をした。
「頼んだわよ。アリー」
「アリー様、お願いします」
何やら釈然としないが、まあ良い。ローザは安定期に入ったが、まだ腹の膨らみは目立っていない。
「父上、行ってらっしゃいませ」
「うむ」
「おとうさま。おにんぎょう、かってきてね」
プリシラが苦い顔をした。
「ああ。わかった。ルークは何が良い」
息子に顔を向ける。
「そうですね。お帰りになったら、異国のお話をして下さい」
「ははは。わかった。何か俺が見繕う」
馬車の扉が閉まり、走り出した。アリー以外の家族が総出で手を振ってくれている。
今回は、教皇領に向かう。
「いやあ。ルークは旦那様にそっくりだよね」
「そうか」
「可愛いし、頭が良い。魔術も凄いよね?」
「そうだな」
「エリちゃんは仕方ないとして、変な虫が付かないようにしないとね」
虫って。
エリス・ディオニシウス嬢か。
俺には淑やかな態度を見せるが、勝ち気で活溌な少女になりつつある。執事とメイドを引き連れて、3日と空けずウチの館に来ているそうだ。
ルークが、授業を受けている時は、昼寝をしているようだが。
「まだ5歳だぞ」
「いやいや。危ない危ない。だって3歳の時に王様から、お祝いが届いたにもかかわらず、この前は倍くらいになったじゃない」
この前というのは、ルークの誕生祝い宴のことを言っているのだろう。たしかに離れの玄関ホールが贈り物で一杯だった。
大部分は、ルークを我が家との関係造りの糸口にしたいのだろう。
訳の分からない話をしている内に、都市間転送所に着いた。
いつも物々しい警備をしているが、今日は輪を掛けて厳戒態勢だ。
ウチの車列が敷地内に入り、大型転送器の検問前まで行くと警備員に取り囲まれた。
「うわぁ、たくさん寄って来たよ」
「では、行ってくる」
馬車を降りると、顔見知りの係員が恭しく近付いて来た。
「ラルフェウス卿とお見受け致しますが、現在は特別警戒を行っております。身分証をご提示願います」
「うむ。役目大儀!」
用意していた、冊子を手渡す。
「確認致しました。内門を開けよ。賢者様はこちらへ。車列は別途ご案内致します」
「了解だ。レプリー、先導の指示に従え!」
「はっ!」
門を通り抜け、転送される時には来ることはない真新しい建屋に入る。
薄暗い通路を抜け、何人もの歩哨の間を通って、やや開けた部屋に入った。白い幕に裏から魔導具から投影された映像が4つ見えている。1ヶ月前には何度も通った場所であり、俺が指揮して設えた部屋だ。
「では、お願い致します」
「ああ」
俺と出迎えた係官は、操作卓の両端にある拳大の魔石に掌を被せる。ちりちりと不快な刺激が来た。それが数秒で収まると、足下から身体を振るわせる重低音が押し寄せ、次々と小光源が灯っていく。
正面。とある部屋が天井からの俯瞰で映っている幕に、我が車列が入って来たのが見えた。
「新型転送器の起動を確認。賢者様ありがとうございました」
「ついでだ。接続も俺がやろう」
「では、お任せ致します」
椅子に掛け、別の魔石に手を被せる。制御卓に複数の目的地が表示された。
「こちらは、スパイラス。カゴメーヌ応答せよ。繰り返す、カゴメーヌ応答せよ」
『こちら、カゴメーヌ。感度良好です……その御声は、御館様ですか?』
「ああ、そうだ。フロサン、久し振りだな。元気か?」
『はい。元気にしております。ああ、こちらの転送器起動を要請致します』
ミストリアは、特定安全保障連盟を通じて、公称5千ダーデンもの距離を転送可能な国家間転送技術と、この世界のどこであったとしても通話可能な通信技術を供与すると宣言した。
それを使って、すっかり通信と長々距離転送魔導具技師と化したカゴメーヌに派遣しているフロサンと話し、これからプロモスまで一気に転送しようとしているのだ。
距離で言えば、プロモスどころかその先の教皇領まで一挙に転送可能だが、試運転を依頼されているので、発着の両方を実施することになっている。
長々距離転送は、消費魔力の効率を上げるため魔石への紋章刻印密度増大を除けば、既存技術の延長線上にある。
都市間転送が実用化して百数十年。それが今日まで国境を越えなかった理由は、技術ではなく安全保障の問題だ。
国家間転送が実現することになれば、兵員を他国へ瞬時に送ることが可能になる。
その点に、多くの国から懸念が示された。対策として、転送が行われる発着の両国が転送器を起動し、両国が互いを指定しないと転送できないようにした。それでようやく認められた。
『御館様。カゴメーヌの転送器が起動致しました』
「ご苦労。それでは接続先をスパイラスに設定して貰ってくれ」
『了解です』
「接続先設定、カゴメーヌ」
こちらの操作は完了だ、後は……
間もなく映像魔導具に変化があった。
転送器が光り始め、垂直の境界面が現れた。いつものように七色の水面のようだ。
「フロサン。聞こえるか? こちらは異常なしだ。そちらはどうか?」
『……こっ、こちらも異常ありません』
ん? 何か言い淀んだ気がしたが。
「では、そちらで会おう」
通信を切った。
「準備完了だ。行ってくる」
「はっ! 我らは、ここで見守っております。賢者様、お気を付けて」
「ああ、ありがとう」
通路を抜けて、馬車が待つ部屋に出た。
「あなた?」
窓からアリーの顔が覗いている。
「うむ。問題ない。先に俺が行って確認する。少し待て」
昨日、最終事前会議で決めた件だ。
一昨年末から、国内での転送試験は、何度も実施して成功しているが、国家間の転送は初めてだ。とりあえず確認が必要だろう。
小型転送器と同じように歩いて、境界面を通り抜ける。
むう!
スパイラス側とほぼ同じ、石畳の大きな部屋だ。転送所は何度か来ているが、この部屋は初めてだ。俺は大いに驚いた! 無論部屋にではない。
【これは、女王陛下。お目に掛かれて光栄に存じます】
意外過ぎる待ち人に、慌てて跪礼をする。
【うむ。ラングレン卿。久しいのう】
麗しい尊顔がしてやったりと、笑っている。
新転送器の視察か。
まあ、ここはプロモス王国王都カゴメーヌ。女王陛下がいらっしゃったとしても、ありえないことではない。クローソ殿下が、母王は新しい物好きと言っていたが、驚いた。
それにしても。フロサンめ!
何か通信が変だったが、これを黙っていたのか。彼を見付けそちらを見遣ると、頭上に手を挙げて謝ってきた。
どうせ黙っていろと言われたのだろう、断り切れないよな。
ん! 視界の端──
【陛下? 陛下!】
周囲の者が止める間もなく、エレニュクス女王陛下は境界面の向こうに消えていった。
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訂正履歴
2021/10/09 描き込む→刻み込む等細かに変更
2021/11/30 誤字訂正(ID:209927さん ありがとうございます)
2022/08/19 誤字誤記訂正(ID:1844825さん ありがとうございます)




