260話 不敵な侵入者
人気のないところに入って行くとちょっとドキッとしますよね。
えーと……
本館の寝室で寝たはずだが、気が付くと、辺りが白い空間に居た。
天界──
まただ。また忘れて居た。
ここから下界に戻ると、天界のことはすっかり忘れてしまう。違和感は覚えるが決して思い出すことはない。強力な記憶改竄を受ける。
忘れて居る方が幸せと言うこともある、ここに来るといつも怒りが噴き出すからな。
「ああ、ラルフ君」
悪寒がして振り返ると、豹頭の天使が居た。
「お久しぶりですね、ソーエル審査官」
「いやあ、そんな恐い顔しないでよ。今回は何か頼もうって訳じゃない。ラルフ君に知ってもらいたいことがあってね」
「ローザの腹に居る子のことですか?」
「さっすが、察しがいいねえ。ああ、下界での君も気が付いているようだけど、余剰ポイントを君の……性別は言わない方がいいよね? ああ、はいはい。その子に移し替えているんだよ」
天界では霊格ポイント、下界では霊格値のことだ。
「なんで、そんなことを?」
「いや、まあ、そのうぅ」
余程、都合が悪いことらしい。
「もちろん、ラルフ君のためだよ。この前の報酬ポイントは、分割で渡しているけど、あまり急に多量のポイントを付加すると、どうしても精神の器が歪むんだよ」
どう考えても、建前だな。歪みってのも嘘ではないようだが、真の理由が別にあるに違いない。俺にポイントを与え過ぎると、何かしら彼らにもまずいことがあるのだろう。
「そうですか。それで、霊格ポイントを、別の霊体に移し替えることが許される法的根拠はどこにあるんですか? 俺は知りませんが」
断言しよう。下界に関する天界法において俺が知らない条文はない。
それを一番よく知っているのが豹頭天使だ。何やら顔面が強張って見えるが。
「きっ、緊急避難的超法規措置だよ」
「恣意的判断による違法行為ですね」
「うっ、うう……」
「でも、上層部も承知済みで、訴え出ても握りつぶされると……」
「ラルフ君、16年で性格悪くなったよね」
「審査官のご指導の賜です」
「はぁぁ、言語能力を与え過ぎたかな」
いや大した能力は使っていませんがね。
「それはともかく。他の個体に移し替えるのは、ポイントを100分の1に圧縮できるから楽……じゃなくて効率がいいし、遺伝ということで欺瞞工作しやすいんだよね。だからさあ、もう少し邪魔しないでよ」
「別に、邪魔する気はないですよ。霊格値が高い子が生まれれば、妻も喜ぶでしょうから」
「そっ、そう……それは良かった。下界で起きることは、こちらから直接的な関与はしにくいからね。じゃあ、2人、3人と……」
なんだと!
「お訊きしますが」
「うっ、何かな?」
「ローザが身籠もったのは、ポイントを移し替える器を用意するため……ではないですよね?」
確率を弄る程度の介入はやるはずだ。
ごくっ。
「そんなことはないよ」
なら、なぜ生唾飲み込んだ!
「そうですか。安心しました」
まあ理由はなんであれ、子ができるのは嬉しいことだからな。
「うん。伝えたいことは、以上だよ」
はっ!
無意識に夜具を少し捲っていた。
魔導暖炉が朱く燃えていて、それほど寒くはない。まだ、夜明け前か。
ああ、ここは寝室だ。
今からおよそ5時間前に眠りについたのだ。寝室に居るのは当たり前だ。当たり前だが違和感はある。
さっきまで、どこか別のところに居た気がするが、夢か?
夢を見ていた気がするが、全く思い出せない。
右腕を動かすとローザに当たった。規則正しい寝息が聞こえてくる。
また、なにか喪われた気がするが、不思議に昨日までの嫌悪感がない。ただ無心にローザの腹を撫でていた。
†
昼過ぎ。
公館から、本館に戻ってくると、何やら微かな結界のようなものを通り抜けた感覚があった。
なんだ?
なんでこんなものが?
決まっている!
館の中の変事を、俺に悟らせないためだ!
公館全体を魔感応で探ると、見知らぬ反応があった。急いで2階に昇る。大股で廊下を通り、足が止まる。
ソフィーの部屋の前──
ノックすると、中から扉が開いた。
「御館様?」
パルシェが立ちはだかった。
ふぅ。とりあえず無事だ。
「お兄様? お通しして!」
ソフィーの声だ。
「はっ、はい」
少しの逡巡のあと、パルシェは身を引いて通してくれた。
少女?
妹と向かい合っているのは、白いドレスを着た少女だった。
しかし、この人物の反応は、尋常ではない。常人を遙かに超える魔力を秘めている。
「ソフィアの兄、ラルフェウスと申す」
「こちらは、お友達のルーナさんです」
友達?
少女と言っても、8歳の妹とは同じ年の頃とはとても見えない。少なくとも中等学校以上だろう。もっとも見た目の歳ではないだろう。エルフだからな。
それにしても、ソフィーとどういう接点があるのか?
ルーナと呼ばれた少女が立ち上がると、こちらを向きドレスの裾を軽く持ち上げ優雅に挨拶した。
そして、可憐な容貌を笑顔に変えた。
「そう警戒する必要はない。ご同輩」
同輩だと?
ルーナとは月の別名──
そう思った刹那。ソフィーの微笑みが凍り付いていた。パルシェも動きを止めている。正確に言えば、時間が数十倍遅く流れるように感じる。
魔術か
「賢者 月殿?」
ディアナ自体は比較的ありふれた名前だ。無論変名だろう。
「如何にも。流石はラルフェウス卿、この程度では動じぬな」
月は、賢者の中で最古参だ。記録を調べた限りは30年以上の在職期間がある。しかも、今の俺と同じように特命が与えられており、超獣対策特別職でありながら、ここ10年は出動記録がない。それどころか公式行事にも出席しないため、本当には存在しないのではないか? そう言う噂が根強く存在している。
しかし、この魔力に魔界強度は、紛れもなく相当高位の魔術師だ。
「妹に何の用だ?」
「賢者と知ってなお、遠慮のない物言い。これでも卿の先任なのだがな」
少女のものとは思えぬ不敵な微笑みを浮かべる。
「家に侵入した者に向ける礼はない」
「ふふふ。卿の妹殿にちゃんと許可は貰ったよ。どちらかと言えば、私の家にいらっしゃいと誘われたぐらいだ」
「それで? 妹に何の用だ」
「ふむ。取り付く島はないか。まあいい。ここで卿とやり合う気はない。有り体に言えば私の後継者の調査に来たのだよ」
「後継者?」
「そうだ。卿の妹だよ。この兄にしてこの妹あり。心当たりがあるだろう?」
「何の話だ?」
「ふふふ。そんなに恐い顔をすることはない。後継を強制するつもりはないし、候補は卿の妹だけではないからな」
「悪いが信じられないな」
「まあいい。このお嬢さんの能力も把握できた。疾く去るとしよう」
賢者月は悠然と俺の横を通り過ぎると、扉も開けずどこかに消え失せた。
時の歩みがまともに戻った。
「それで、お兄様は私にどんな御用なのです? ああ、お茶が冷めてしまいますわ」
妹も、パルシェも何も動じてはいない。
2人とも、俺と話していたと記憶が偽られているのだ。
つい10秒前まで、別の人間がこの部屋に居たことを、憶えていないようだ。
確かに痕跡はなかった。カップの縁に付いた紅以外は。
†
執務室に戻ると、すぐさまスードリが来た。
「申し訳ありません」
「どうした?」
「姫様の警備に手落ちがありました」
「特に被害は出ていないが」
「それは御館様のご対応があったればこそです。警備としましては問題がございます。本館正門より姫様が少女を親しく伴われましたので、身元不明でしたが手出しできなかったと申しておりました」
「対応は……結果論だが、それで良い」
やはり堂々と正面から来たのか。
「御館様は、あの少女が何者かご存じなのですか?」
「ふむ、スードリにも知らぬ事があるのだなあ」
「ご冗談を」
「俺も名前しか知らぬ。賢者殿だ」
「賢者。ですが、賢者と言えば……まさか、そう言うことですか」
「そういうことだ。多分もうここに来ることはないと思うが、来たとしても手を出すな」
「はっ! 徹底致します」
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訂正履歴
2020/02/26 館に戻ってきた時の心の描写を追加
2022/01/30 誤字訂正(ID:1897697さん ありがとうございます)




