254話 最後の砦
最後の砦って……思い当たらないのですが。
「おかえりなさいませ」
大司教と会った大聖堂から帰ってくると、ローザとアリーに迎えられる。
「ただいま」
「お召し物を」
「ああ、私がやるから! お姉ちゃんは、今が大事な時期だからねえ」
そう言って、ローザに代わってアリーが上着を脱がせてくれた。そんなに負担なら自分で脱ぐが。
まだ昼には時間があるので、そのまま本館の執務室に入る。
「ああ、アリー」
「なんです、あなた」
部屋にはローザ含めて3人だけだ。
「妊婦は適度に運動した方が良いと聞いたぞ」
うんうんと正妻が肯く。
「そうね。いくら私が付いてるからと言っても。そうして貰った方が良いか」
アリーには悪気は全くないようだな。
ん? 机の上に封書が乗っている。
「それは、お義母様からです」
「お袋から?」
それなら、あとでゆっくりと思ったが、何やら薄紫の気のような物が立ち上っているように見えた。封を切る。
時候の挨拶が短くあり、ローザでかした! 祝懐妊と大書されていた。
「よく、ローザを褒めておけと書いてある。改めてこれから大変だろうが、一緒にがんばっていこう」
「はい!」
ローザは嬉しそうにしているから、何よりだ。
「それにしても、お袋も俺宛の手紙に書かずに、直接書けば良いのになぁ」
「ええ……と、別途戴きました」
「ああ、そうか。うんうん」
次は。
……ああ。そうそう。子爵に陞爵おめでとう。
ついでか。
……母は鼻が高いです。子爵まで行くと高過ぎてぽっきり折れそうですが。
何が言いたいんだ?
……あなたの御父様は、凄く喜んでいました。
そうかそうか。よかった。
……息子の出世を心から喜ばれる姿を見て、度量の広さに惚れ直しました。
度量の広さは全く同意だが、お袋さんは何だかな……。
それから。
……ソフィーの教師候補が、見つかりました。
ああ妹の王都留学も終わるのか、可哀想にな。俺も悲しいが致し方ない。
その次は、アリーを側室にした件か。
「何だ? 予定通りって」
「何です?」
思わず手紙に反論したら驚かれた。
「ああ、アリーを側室にしたことだ」
「えっ? 私のことが書いてあるの?」
「ああ、後で読め」
……まあ、ローザさんだけを妻にしたのでは、可哀想ですからね。
何と言うか、ウチの一族の中で最も性格が悪いんじゃないか? お袋さんは。
ん?
「今後も被害者救済に励みなさい。どういう意味だ」
「被害者ですか?」
しかし、手紙の最後がこれとは、単なる嫌みではない気がするな。さっきのあれも気になるし。
便箋をローザに渡すと、横からアリーが覗き込んで居る。
「ああ。ソフィーの件は、本人には内緒にしておけ」
言い終わったと同時にノックがあった。
「失礼致します」
モーガンが、執務室に入ってきた。何やら紙束を持っている。
「お取込み中のところ申し訳ありません。こちらは、本館要員の応募が溜まって参りましたので、まず私どもで選抜致したものです。御館様、お時間のある時で構いませんので……」
「ああ! これってさあ、プリシラちゃんのことじゃない?」
アリーが割り込んできた。
「プリシラ?」
シュテルン村で世話になっていた、バロック家の三女だ。
俺達が王都に来た頃は、時々手紙が来て居たが、向こうで披露宴をやった後は途絶えた。
「旦那様の被害者と言えば、私、お姉ちゃん、ソフィーちゃん、バネッサと来てプリシラちゃんでしょ」
「1人も被害者じゃないだろう」
モーガンが不審な表情になっただろう。不本意だ。
「だって、お義母様がそう仰ってたもの。それで、ソフィーちゃんはともかく、私含めて後の皆は結婚したから、残ってるのはプリシラちゃんよね!」
まあお袋さんが言う被害者とはプリシラかも知れないが、王都から遠く離れたソノールに居る人間をどうしろと?
「んん? プリシラ?」
モーガンが唸った。
「どうした?」
「いえ、少々お待ち下さい」
彼は、一旦机に置いた紙束を再び手に取って捲り始めた。
「ああ、ありました。プリシラ。光柛歴366年生まれ15歳。スワレス伯爵領出身、父の名バロック」
「うわっ! ちょっと見せて」
モーガンから紙束をひったくって、アリーが見ている。
「間違いないわ、これプリシラちゃんの応募よ!」
お袋さんの手紙の謎文はこのことか?
「モーガン。選抜したと言っていたが、プリシラを残した理由は何だ?」
「はい。会計学に堪能だからです」
「ああ、書いてある。ミストリアギルド合同体公認技能検定会計の部2級取得だって。取ったのは今年だね」
「そう言えば算術が得意と言っていたな」
「はぁ……これだもの」
突っかかる言い方だな、アリー。
「プリシラちゃんは、最初魔術を修行したけど挫折して、それから算術の猛勉強を始めたのよ」
「ああ。聞いたことがあるな」
「はぁぁ……じゃあ、何でその2つだと思う?」
「俺が知るわけないだろう」
「だから、お義母様が被害者って仰るのよ」
「何の繋がりがある?」
「決まってるじゃない! 旦那様の関心を引くためよ。2つとも得意でしょ、旦那様は」
「むぅ。そういうことか……まあ、動機はともかく成果が上がって良かったな」
アリーは、うわぁっと呟いて小刻みに首を振った。そして、モーガンの方に向き直った。
「それで、2級と言うのは、どの程度凄いの?」
「当館では、ブリジットが1級を持っております。1級はどのような団体においても会計責任者を務めることができる水準です。2級は1級に準ずるものとされ、1人前の会計士として通用します」
ほう……。
「へえ。詳しいねえ、モーガン。じゃあ、2級って言ってもプリシラちゃん結構凄いんだね」
モーガンな。
アリーが敬称を付けないのは、まだ少し違和感があるが、側室になったことで、館での立場が高まった。そのようにお呼び下さいとモーガンが言っていたから、そうなのだろう。
「15歳では1級の受験要件である、実務経験3年以上を満たすことは不可能でしょうから、現状では取得できる最高の級となります」
「そっか、そっか、モーガンは、何でもよく知ってるわねえ」
「ああ、いえ。執事検定1級の受験資格が、会計士検定2級以上ということで存じております」
「流石ぁ!」
まったくだ。
「それはそれとして、だけど採用は反対! ねえ、お姉ちゃん」
「えっ、うっ……ううむ」
珍しくローザが逡巡した。
だが、アリーは止まらない。
「だってさ。応募してきたのは、旦那様に近付いて、第3夫人に収まろうって魂胆に違いないもん。お姉ちゃん。旦那様はね、妹って存在にとことん甘いんだから、危ないわよ」
ソフィーのことを当てこすっているらしい。
「わっ、私は、旦那様を信頼しております」
そう言いつつも、目線を伏せている。
「モーガン」
「はっ!」
「アリーの意見は無視して、人材の選定を進めよ。才を最重要視し、情実による排除や優遇は厳禁だ!」
「承りました」
答えて、何度か瞬いた。
「ええぇぇ……」
アリーは俺と目が合って、不平の声が鈍った。
さらに睨みつづけると、顔が引き攣って来る。
「この件で、俺はアリーに意見を求めたか?」
「もっ、求めてません……」
「側室といえども、人事への介入は許さん。それと、妻は2人も居れば十分だ。分かったな?」
「……はっ……はい。心します」
「それで良い」
一事が万事だ。
このまま流すのは、アリーのために良くない。
信じてはいるが、これでモーガンも撥ね付ける名目ができただろう。
「公館に行ってくる」
†
「では失礼致します」
モーガンも執務室を出て行った。
はぅ……背骨から力が抜けた。
あれ? 暖かい。背後から体温で包まれた。
「お姉ちゃん……」
振り返ったら、抱き付いたお姉ちゃんに頭を撫でられた。子供の時みたいだ。
「恐かったよう……」
「そうね。おしっこチビっちゃうかと思ったわ」
「お姉ちゃんも?」
「うん」
「私、ちょっと浮かれてたかも」
なんでも、ファフニール家の当主はアレクサンデル様と言う名前で、私の義兄に当たるのだけど。旦那様のことをとても気に入ったらしく、来月に披露宴を内郭にある御館でやってもらうことになった。
それで、少し私も偉くなった気がしていたのかも。
「良いんじゃない。誰でもアリーの立場なら浮かれるわ」
「うん。だけど、本館従業員採用の件は、旦那様がモーガンに委ねたのに、私ったら……」
「今回はともかく……でも。旦那様に、意見をぶつけるのを止めてはだめだわ」
「えっ?」
姉の顔をまじまじと見直す。
「私達の旦那様は子爵様だからね、意見を言う時は命がけじゃなきゃ」
「命がけ?」
「そうよ。旦那様は人事に口出しするなと仰ったけど。妻たる者、何でも、たとえ人事でも旦那様に意見を言うべきだわ。ただし、命がけで」
「うう……」
「旦那様の最後の砦は私達なのだから」
「うん」
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訂正履歴
2020/02/05 細かく加筆、誤字修正
2022/01/30 誤字訂正(ID:1897697さん ありがとうございます)
2022/07/28 誤字訂正(ID:632181さん ありがとうございます)




