227話 捨身飼虎
火曜日ですが祝日なので、前倒しで投稿します(明日はありません)
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捨身飼虎とは、仏教の教えで、釈迦の前世で飢えた虎の母子のために崖から身を投げて、自らの肉体を虎たちに饗するという自己犠牲の尊さを訴える話しです。法隆寺にある国宝玉虫厨子に象眼で描かれているのは有名です。
え? 家族じゃなくて、虎のために? と子供の頃に思いました。
まあ今でも、高々人間の体重で養える期間は大して長くないだろうとか、森を切り開いて焼き畑するなよ!(それは現在進行形)とか思う、罰当たりな人間です。
子供……5、6歳の男の子だろう。
白い麻地に蒼い幾何学的紋様がびっしりと刺繍された、分厚い綿の入った外套を着込だ子が、こちらを見上げている。彼我の距離は10m程。
アストラル体の俺が見えるのか?
俺の後ろには空があるばかりだし、第一視線が合っている気がする。
「そこの者じゃ」
ずばり言い当てられた。見えるらしい。
どういう仕組みで見えるかは分からないが、霊が見える体質とかいう類か?
確かに魔感応で感じ取れる霊格値は、500を超えている。
もしかして俺と同類か?
意を決して念を送ろうと思った、その時。
「ベリアル様ぁぁ。こんなところにいらっしゃったのですか?」
堂の中から若い女の神職が出てきて、少年に声を掛けた。
当の少年は、呼びかけを聞き流して、ずっとこちらを見ている。
「ベリアル様。パラース枢機卿がぜひにお越し下さいとのことです。ベリアル様? さっきから何をご覧なのですか?」
枢機卿が敬語を使う対象か。この少年は何者だ?
当代の教団トップである、宗主マーダルム4世は80歳過ぎの壮年。無論この少年であるはずはない。
「ほら! そこに、居るだろう」
俺の方を指差す。
「居る……ですか? はぁぁ私には、空の雲しか見えませんが? 何が居ると仰るのですか?」
「それが分からぬから尋ねておったのだ、直截な。物の怪か邪神の類い、あるいは……」
「まさか聖誕教会にそのようなものが……とっ、とにかく。ベリアル様、奥聖堂にお越し下さい」
「むう。わかった……」
ベリアル少年はこちらが気になるのか、何度か振り返りながら建物に入って行った。
興味が湧いた俺は付いていくことにした。
廊下を歩くと突き当たりの扉を開けて一旦外に出て、ここ一帯では最も大きい建物に入る。ここが奥聖堂らしい
祭壇がある大きな部屋というよりは、ほぼ聖堂全体がこの空間で占められている。
そこに10人程の高位の法衣を纏う者達が詰めていた。
「おお、ベリアル様!」
人垣の中央から薄紫の法衣を着けた年配の男が進み出ると、少年に向けて大仰に挨拶した。
「パラース。何用か?」
むう。枢機卿といえば次代の宗主となる被選挙権と選挙権を持つ者達だ。それを呼び捨てとは。
不信感から、魔感応の魔圧を上げていくと奇妙なことに気が付いた。
年齢がおかしなことになっている。
壮年に見える枢機卿が87歳だが、ベリアルは200歳を超えている反応。しかし、見た目は少年そのものだ。確かにアルフェン族は長命だが、尋常ではない。
霊格値が高いし、俺と同じく転生時に何か有ったかと思っていたが、そうでもないようだ。大司祭の記憶でベリアルと言えば、何十年か過去に亡くなった先々代宗主と同じ名前……。
「はっ。ベリアル様にご指摘戴いた、天文の凶兆についてでありますが。命暦局より、報告がありました」
「それで?」
「やはり近付いて来ているヴァロス彗星の凶相が弥増しており。我が大地にかなり接近するとのことです」
「むぅぅ、宗主は何と仰っているか?」
「ベリアル様の叡智にお縋りしたいと」
基礎学校1年生ぐらいの容貌が、眉間に皺を寄せると軽く何度か首を振った。
「如何致しましょう」
少年はそれには応えず、壁上方の丸窓から陽が射している椅子に腰掛けた。
そして瞑目すると、大きな息遣いから徐々に息を整え、永く吐いた。
なんだ?
椅子の周りの光が粒子に凝集して瞬く。
「ベリアルさ……はっ」
先程裏庭に呼びに来た神職が、枢機卿に制される。
その時だった。
少年が刮目……白目を剥き胸を突き出した。
ヒョォォォォーーーーー。
吸った───
むっ、なっ……足下から浮遊感が消え、ベクトルが生まれると眩い光に包まれた。
重い……
危機感を感じて、そこを離れようと念じてはみたが、数瞬前まで風の如く軽やかに動いていた、アストラルは突如鉛を飲んだように動かなくなった。
光が収まる。
なんだ?
視界が狭まった。いや普通に戻ったのか?
前しか見えなくなった。今までなくなっていた瞼の裏が見えた。まるで眼球で物を見ているようだ。そして、止まっていた鼓動まで聞こえ出す。
服?
視界の下方には先程まで、高みから見下ろしていた蒼い柄の服の袖がある。それが小刻みに震えている。
少年の服──
そう認識したとき、一気に情報が押し寄せてきた。記憶の大波に溺れるように打ちのめされていく。
取り込まれた──
俺は今、少年に憑依した。いや、この絡め取られる感覚は降ろされたと言うべきか。
転魂の秘法?
流れ込んでくる記憶のあらすじを読むと、このベリアルという少年は、12歳にして出家し、厳しい修行の末、神力を身につけ、70歳にて宗主まで登り詰めた。
その後、君臨50年。
衰えが見え始めた身体に見切りを付け、転魂の秘法を使った儀式にて、少年に若返った。しかし、その代償として、100年以上少年の姿のままとなった。
ふむ。
見たままの歳でないことは、分かっていたが。数奇な人生を送ってきたようだ。
呼吸──
長く息を吐いた途端、ずっと痙攣していた腕が止まり、体が見た目通りに軽くなった。
「ベリアル様!」
気が付くと、周りの大人という大人は跪いていた。
えーと。
首を振ると視界が動き、力を入れると腕が持ち上がり指が蠢いた。
意識の底に、ベリアルの意思が沈んでいるのがわかる。
憑依が完了したようだ。
予定とはだいぶ違うが、結果オーライだ!
「汝ら、我が声が聞こえるか?!」
「「「はっはぁぁああ!!」」」
俺に向かい、一斉に平伏す。
「この星は、未曾有の危機に瀕しておる。既に察知はしたようだが、尾を牽く凶星が間近に迫り、このまま放置すれば明後日には衝突し、汝らは言うに及ばず、生きとし生けるもの全てが死に絶えるであろう!」
「あっ、明後日!」
薄紫の法衣の男が進み出る。
「ベリアル様、いいえ、我が神よ! ここに集う者、皆の命を贄と捧げます。何卒お慈悲を持ちまして我等以外を救い給え」
おっ?
法衣の袖から小さなダガーを取り出す。
「救い給え」
「お救い下さいませ!」
「何卒!」
皆々ダガーを取り出すと、それぞれの喉笛に擬する。
「汝らの命をか?」
「はい。捧げます。我等この時の為に、日々過ごして参りました。覚悟しております」
ほぉぉ、捨身飼虎!
方向性は正しいとは言えないが、見上げたものだ。
ミストリアの光神教団の面々は同じ境遇ならどうするのだろうか?
「ははっはは! 足りぬ! 汝らの命は、元は我が作りだしたもの」
「なっ、ならば、如何すれば?」
「祈るのだ! 汝らが大地と呼ぶこの星の民という民の心を一にして祈ることが、唯一我を饗することができる」
「はっ! 承りました。教団、各国の首脳を動員し、できるだけ多くの民が祈りを捧げることを誓います!」
枢機卿は、再び深々と平伏す。
この星にも魔導通信があるらしい。
俺を絡め取っていた澱が沈殿するように、肉体の感覚が引いていく。
神降ろしの効力が切れたのか。
【光輝球】
俺は光を放ちなから、ベリアルの身体を抜け出す。
「かっ、神が天に昇られる……」
俺は、浮遊感に任せて奥聖堂を抜け出した。
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訂正履歴
2022/08/01 誤字訂正(ID:1346548さん ありがとうございます)
2022/09/25 誤字訂正(ID:1897697さん ありがとうございます)




