121話 通事
通訳の人って、大変だと思います。
まあ日常会話とかだとそうでもないですけど。セミナーとかで同時通訳とか聞いてると、専門用語で詰まったりします。ああ、あれは難しいよなあと思ったり、そう訳すかってクスリとなったり。
途中から、開き直るようで用語をそのまま復唱するようになると、かえって通じたりするから不思議です(その部分だけですけどね)。
──最初に補足です。
ミストリアの基本通貨1ミストは小金貨1枚です。
小金貨には金10パルダ=約7gが含まれますが、通常の交換レートは1ミストで金13パルダ程になります。金本位で考えると、1ミストはおよそ5万円に相当するものとお考え下さい。
ただし、人件費や食品の物価は低く、鉱工業製品や衣料は高いです。
特に鉄は、大量生産が効かないため、日本の5倍以上の価格です。
6時20分。
特別査証を提示して、王都内郭に入った。
無料の乗合馬車に乗り込み、街を進み始める。
車窓では白々と夜が明け始め、街路が僅かに明らむ。
そこかしこに広々とした緑地があり、その中に白亜の建物が建っている。
内郭だけあって政府の上級庁舎や、大貴族の邸宅らしい。
豪華ながらも密集した外郭の雰囲気は一切なく、別天地のようだ。
ここに入るには、王都に入る資格を持つ者からさらに厳選された者──
平民などは、金を払って特定地区以外下車不可の観覧馬車に乗る以外はない。
斯くも清らかな景色でありながら、これほど残酷な格差を見せつけられる所もなかろう。この仕事が終われば、再び縁がない場所へ戻るに違いない。
6時45分。
迎賓館前に到着した。馬車を降り、僅かに腐食した青銅の柵を回り込む。
横目で殿舎を見るが、昨日ここに入ったという実感が全くない。
あれは……通用門前の公園に面した辻の角の側。
僅かに不自然な魔界分布を感じる。
何かがあるというよりは、自然な揺らぎすらない平坦さというべきか。
魔導具か。人間が隠れている認識阻害結界だ。
感知魔術込みで眼を凝らしていくと、通用門前の公園に面した辻に男が立っているのが見えた。アリーで言うと10歳の頃の段階だが、劣っているわけではない。アリーの方が異能なのだ。それにしても流石は黒衣旅団だ。もう手配ができているのだな。
軽く手を振り、門の前に立つ。警備の歩哨に特別査証を見せて中に入った。
【おはようございます】
迎賓館の西離れの前室には、ルンガさんが居た。
【おお、ラルフ殿。おはよう。朝食は摂ったか?】
【ルンガさん。自宅で食べてきましたけど】
【ここの食事は結構イケるぞ】
【そりゃあ、国賓をもてなす施設ですから】
【ベスターさん。おはようございます】
横の部屋から出て来た。しっかり軍礼服を着込んでいる。
【おはよう。昨日の魔術は凄かった】
【ああ、まあ昨日の状況が、俺に向いていたと思います】
【謙遜は不要だ。とにかく正使様を協力してお守りしような】
【はい】
こういう時、お守りするのは、我ら武官の仕事。通事が出しゃばるな! とか言いそうなものだが。素直な人らしい。まあ、俺の方は期限が決まっているからと言うのもあるかも知れない。
奥の間から、7時きっかりに副使のメディナさんが出て来た。
【おはようございます】
【ラルフ殿、おはよう。外務次官殿との打ち合わせが9時からとなった。今から資料を下調べして欲しい。ただし、そこからは、ずっと我らと行動を共にして戴くことになるがよろしいか?】
俺が、秘密を漏らさないようにするためだ。
【承知しております】
【では、中へ】
ソファセットに座り、資料を見ていく。
統計データだ。
プロモスから、ミストリアへ大量のミスリルが輸出されている。
我が国にも、ミスリルを含め多種の鉱山が有るが。去年は、約500ガルパルダ※(約360トン)も輸入している。金額にして72万ミストに昇る。
ミスリルの相場は、1ダパルダ(0.7kg)当たり1ミスト44スリングか。ざっくり鉄の200倍、金の50分の1の価格だ。
それに対して、関税が掛かると。
スパイラスを訪れたプロモス外交使節の主議題は、ミスリルの関税率と輸入上限、プロモス側から言えば取引量上限を決めることだ。
この去年の実績は、1割2分か……。年々上がっているな。一昨年までは1割だったのか。
【メディナさん。不勉強で申し訳ありませんが、この関税率は諸外国と比べて高いんですか? どうでしょう?】
【ふむ。一概には言えぬが。ミスリルを産出する国としては、さほど高くはない】
昔、ミストリアでもミスリルが大量に産出した時期があったと聞いている。今も採れているはずだが、需要に見合う供給ができないのか。原価が見合わないのか。輸入量も増えている。
【やはりミスリルが採れない国とかは、無税なんですか?】
メディナさんは、片目を持ち上げる。
【そうだな。比較的そう言う国は多い。国内保護をする必要がないからな】
【わかりました】
再び、つらつらと10分ほど、資料を見て返却した。
むう事前勉強が足りてない。ああ、そう言えばギルドに……あったなあ。でも行く暇がないな。まあ、通事だから不要ならば良いのだが……。
その後、迎賓館で朝食を出された。俺の分も用意されていた。育ち盛りでもあるし、食べられなくもない。ということで正使様とは別室だったが武官の皆さんと相伴した。
まあ朝食なので、メニューは、ありふれたパン、ミルク、卵、サラダだったが、品質が良いのだろう。かなりおいしかった。
9時になった。
迎賓館内にある会議場に赴く。
俺の仕事は、会議相手のミストリア語をプロモス語に訳すことだ。
正使様とメディナ副使に随って、絢爛豪華な部屋に入る。
質の良い褐色のマホガーン材の机、磨き抜かれた金具。最高級の調度に目が詰まったふかふかの絨毯。
そこに交渉相手が待っていた。
白く染められた革のソファの前に、30歳程に見える白い肌の男性が立って待っていた。その横には50歳がらみの渋い男性。
年配者の方が立派そうに見えるが、事実は若い男性の方が我が国の外務大臣だ。伯爵だったはずだが、なかなか男前だな。顎髭が渋い。
進み出て、正使様の前に跪く。
「クローソ王女殿下。お国に参って以来ですが、一段と麗しいご尊顔を拝し奉り、光栄に存じます」
おっ、ラーツェン語だ。
ミストリアから西方の国では、共通語としてよく使われる。
訳そうと思ったが、正使様は肯いたので思い留まる。
【これはテルヴェル卿。ミストリアの外務卿自ら出迎え戴き痛み入る】
おお。やはり、正使様はラーツェン語を解されるようだ。しかし、回答はプロモス語だ。
喋ることができないのか? それとも正使は国の代表だから、公式の場では自国語しか喋らないのか?
外務卿へは、ミストリア側の通事、横に立った細身の男が通訳している。
正使様が右手を差し出すと、男がその手に口づけした。
「殿下の伯母上であられるウォルケス侯爵夫人のジョアナ様はご壮健であらせられます
【それは重畳。一度お目に掛かりたいものだ】
年配の方は、片脚を引いて跪礼した。
こちらが外務次官だったわけだ。
双方席に着き、給仕が注いだ茶を喫されている。
「昨晩は、なにやら物騒な目に遭われたとこと。ご無事で何よりでした」
知っていたのか。
【外務卿は、昨晩の襲撃に対し、ご無事で何よりとおっしゃいました】
【警備を厳に願いたい】
外務卿は横から通訳を受ける。
「はっ!」
彼は恭しく会釈した。
「では今年も両国の実りとなる話し合いとなるよう、期待しております」
【今年も実りある話し合いを期待するとのことです】
【妾もだ】
「これより、我が輩と次官は中座しますが、1つ気になることが」
【中座されますが、質問があると】
【なんでしょう?】
「その者は、我が国の貴族子弟服を召しておりますが、如何なる者でしょうか?」
俺か! こっちを睨んで居る。
「僭越ながらお答え致します。通事急病のため、ミストリア冒険者ギルドより派遣されました。代理でございます」
ミストリア語で答える
「左様か」
外務卿は、一瞬考えたが、立ち上がると正使様へ向き治った
「では失礼致します」
恭しく礼を捧げて、次官と共に部屋を辞して行った。
【うむ。では妾も中座致す】
正使様は立ち上がると武官と共に、部屋を後にされた。
「ふう。さて、お偉方は退場されたので、実務方の仕事を始めるとしよう。私は経済貿易省審議官のパエッタ子爵だ。そして、こちらは、外務省の……」
「ゼルク南方課長です。よろしく」
彼らは、当然のようにミストリア語だ。
【交渉相手の経済貿易省審議官のパエッタ子爵様と、外務省ゼルク南方課長様とのことです】
プロモスはミストリアから見て南西の方にあるから、彼の担当なのだろう。
【私は、派遣使節副使メディナと申します】
「では、それぞれの紹介も終わったところで、現在の状況の説明から始めよう」
ミストリアの経済概況、鉱工業生産の状況や今後の見通しなどを、昼食を挟んで長々と説明をされた後。本日の会議の終了予定時刻の30分前、午後2時半になって、ようやくミストリア側から、ミスリルの関税率案を提示された。
「以上説明をした状況を鑑み、我がミストリアの来年の税率は、2割5分とする予定だ」
【2割5分!?】
メディナさんが、俺が訳す前に反応した。数字ぐらいは分かるようだ。
【2割5分は、昨年の倍。プロモス側としては俄かには承服しかねる】
わからない。
ミストリア側に何の得がある?
意図を分析すべきか。
「承服しかねるかどうかは、当方の感知するところではない」
【審議官は、プロモスの意向は関知しないと】
メディナ副使が反論しようとしたところ、審議官は手を突き出して制した。
「時刻は、既に残されていない。本日の議事をまとめるが先決と心得るが」
そのまま、発言を許されず、議事内容を取りまとめに移行されてしまった。
議事録をそれぞれが書いたものを、俺がミストリア語からプロモス語に訳し、プロモス語をミストリア語に彼らの通事が訳し、それぞれの責任者が確認を取って署名をしたところで散会となってしまった。
†
【メディナ。ご苦労であった。首尾はいかがか?】
正使様への報告が始まったが、メディナさんは顔を歪めている。
【ミストリアは、難題を吹っかけて参りました】
【関税率か? 如何程と申したか?】
【2割5分と……】
【むう。昨年の倍以上ではないか。どういうことか?】
正使様が綺麗な眉間に皺を寄せた。余りに整っているので、ああ動くんだ、普通の皮膚みたいだなと間抜けなことを思った。
【申し訳ありませんが、ミストリア側の意向は私にも分かりかねます】
【それは困ったのぅ】
【私が、口を挟むべきではないかも知れませんが】
【いや、通事だからこそ分かることもあろうし、そなたはミストリアの者。参考になるやも知れぬ。申してみやれ】
【はっ! では。少なくとも今日の相手方は、プロモスとは交渉したくないのではないのでしょうか?】
【なんだと?】
【ミスリルを輸入する側が、自ら入手経路を絞る利点は考えられませんが……】
普通の物なら集中購買で廉価に購入と言う線も、なくはないだろうが。
どこかの国の属国になるのでもなければ、戦略物資ではあり得ない。
ガルパルダ:1立方ヤーデンの水の重さ。1000ダパルダ、700kg強。
お読み頂き感謝致します。
ブクマもありがとうございます
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訂正履歴
2018/09/27 ミスリルの相場の記載を間違えました。金の200分の1→鉄の200倍、金の50分の1。併せて前書きに補足を追加しました。
2021/08/25 誤字訂正(ID:800577さん ありがとうございます)
2022/07/23 誤字訂正(ID:1346548さん ありがとうございます)
2025/05/20 誤字訂正 (コペルHSさん ありがとうございます)