115話 ドロテア夫人の秘策
女性って大体勘が良くてやられちゃうんですけど。経験を積まれて臈長けたおばさまとかは適わないなあって思います。親戚に何人かいらっしゃったなあ。
「おかえりなさいませ」
修学院が始まって3日目。
昼になって館へ帰ってきた。
「ご昼食は出来ておりますが……何かございましたか? あなた」
おっと顔に出ていたか。
訊きたいこともあるが、俺から話した方が、話しやすいか……
「来てくれ」
執務室へ入り、ローブを脱がせて貰う。
「まったくローザには隠し事ができないよな」
「ずっと視てきましたから」
「ははっ。それは少し恐いなあ」
「まあ……」
「うん。座ってくれ」
「はい」
ソファに座って、今日学院であったことをローザに話した。
「要するに、その若い女教師と、お二人で長く語り合ったと……妬けますね」
ん? ローザさん?
「まあ半分冗談ですが……」
えーと、後の半分は?
「そうですかぁ。なにやら癪ですが、その女教師の言うことが少し分かる気がします」
「ほう。わかるのか……どんな感じだ?」
「数学ですかねえ」
「数学?」
「ええ、私。ラルフェウス様の中等学校の時。数学のノートを見たことがございますが」
呼び名がラルフェウスに変わってしまってる。過去の話だからか。
「俺のノート?」
いつの話だろう?
俺が中等学校に入った頃には、既にローザは卒業してたし。
家でか?
「それはそれは、綺麗なノートでございました」
「そうかぁ?」
褒められてる?
「全く書きし損じもない、問題と解答のみが書かれていました」
褒めてない!
「うぅぅ、まあ確かにそうだった気がするけど、それが?」
そうだ。先生に、よく言われた。
答えだけではなくて途中の式展開も書きなさいと。そうでなければ、減点しますよと。
でも、大凡の問題は、内容を理解した段階で解が頭に浮かぶんだよなあ。
どちらかと言えば途中の式を、一々書き下す方が面倒臭いというか。
「つまり、ラルフェウス様は、一般人が悩み抜くような問題も、造作も無く解に辿り付いてしまわれる、そして正解なのです」
ふむ。
「それで?」
「魔術師が自分で使う魔術であったり、中等学校の教師が理解できるレベルならそれでもよろしいでしょうが、学者としては、どうでしょうか?」
むう!
「皆に啓蒙していかねばなりませんから……ふふふ。笑っていらっしゃる。ご自分でもお気付きなんですよね」
「ぼんやりとはな。でもローザに言って貰うと、確信が持てるよな。まあ、もちっと本腰入れることにするさ」
「はい。ご奮闘下さい旦那様。では本題の方ですね」
ふむ。
「なんだわかってたのか、ローザ」
「私を喋りやすくしてくれたのでしょう?」
「ああ。で、ダンケルク夫人に会ったのか?」
「はい。お目に掛かりました」
この前、俺が会った時、ローザに子爵家館に寄越すように言われてたので伝えた。今日午前中に伺ったはずだ。
「それで、なんと仰った」
流石に勝手に結婚して! とか叱責された訳ではあるまい。嫌みぐらいは言われたかも知れないが。
「あれから、ダンケルク家の方へ、ラルフェウス様の縁談が10件以上も寄せられているそうです」
「むう……」
そっちの話か……。
「今のところ、申し込みは男爵家と子爵家ということで、ダンケルク家が仲介していることにして、思い留まらせることができたと仰っていらっしゃいました」
そうだな。
上位の階級から申し込まれれば、断るのも容易でないだろう。大いに助かるな。
「しかし、今後もそうとは限らないし、第一面倒臭い。それゆえ夫人は決心されたそうです」
「ほう、なんと仰った?」
「はい。私をダンケルク家、ドロテア夫人の猶子としたいと!」
「猶子! なるほど、それはまた……」
驚いた! 結構驚いた。
ディアナ嬢が駄目なら、今度はローザということだ。
まあ、俺のことを考えてくれているというのは、嘘ではないのだろうけど。
それに、夫人としては、俺との縁を今後もより強く繋ぐことができる。
俺にそこまでの価値があるとも思えないのだが……。
まあ、それはともかく。
猶子となったローザと俺が結婚したとなれば、他の貴族達がさらに縁談をごり押しすればダンケルク家に敵対することが明白だ。
同格以下は縁談を申し込めはしないだろうし、万一伯爵以上の家格を持つ者もおそらく二の足を踏むだろう。まあそんなことはないだろうが。
狙いや効果は理解できる。
だが、問題もある。ローザは平民だ!
それを相続権がない縁組みである猶子とは言え、一族に入れるというのは血統を何よりも重んじる名門貴族にあるまじき、いや有り得ない行為。
だからこそ、夫人から考えがあると聞いた時も、その線は思い浮かべなかった。
元々の狙いの俺も、准男爵家の出だ。
子爵から見れば平民と変わらないだろうが、俺の方は将来を期待しているだろうし、既にある実績もある。それに、猶子の配偶者だからな、問題は軽微だ。
だが、ローザはなあ。
「……思い切ったことを仰ったな。ドロテア夫人は」
少し大胆すぎるのではないか。夫人はともかく一族から反対されるのではないか。
「はい。その並々ならぬ、お気持ちは伝わってきました。それと……」
「ん?」
「これは、マーサさんから聞いた話なのですが」
「ああ」
「ドロテア夫人は、先代子爵のご長女で爵位を継がれたそうで」
「そうなのか」
亡夫は、婿養子か。ここはお妾さんの館だったと聞いてたから、逆だと思っていた。
「お子様は何人かいらっしゃいますが、夫人にお子はできず、全ては夫と妾のお子様だそうで」
「ご嫡男もか?」
ローザは静かに肯いた。
そうか。
なぜ立派な嫡男が居て、年配の夫人が子爵位を継承させないのか不審だったが。なるほど、それならば、一族の者は、ローザの猶子縁組みに異議は唱えにくいよな。自分たちこそ血脈ではない、義理の関係なのだから。
「そうだな。俺にとっては悪くない話だとは思うが。それ以前に、ローザはそれで良いのか?」
貴族の猶子になったとしても、既に俺に嫁いで居るのだから、ローザ直接に利点は正直ない。ああ、俺がもしも複数妻を持ったら正妻と主張しやすいかも知れないが、別の妻など持つ気はない。
「私は、畏れ多きこととは思いますが。あなたのお心に従います」
麗しい表情に翳りは見えない。
大事なことで俺に嘘を吐かない。
ローザは、俺のことを第一に考えてくれているだろうし、利点もない代わりに欠点もないということか。あとは……。
「あと、マルタさんはなんて言うと思う?」
「母は、おそらく私の気持ち次第と言うと思います」
ふむ。そうか。猶子は養子と違って縛りも緩い。マルタさんとの縁を切れとも言われないしな。
「わかった。少し驚いたが、ローザが本当に良いのであれば、俺に異存は無い」
「分かりました」
「で、義母さんへはどう連絡する?」
「私が同意すれば、ダンケルク家より手紙を書くと言われました」
至れり尽くせりだな。
「もちろん私の方からも手紙を書きます」
「ああ、俺からも書こう。俺の方の両親へもな。しかし……」
「何でしょう?」
「いや、大事になったものだなと思ってさ」
「それは、あなたのことですから、何の不思議もありません」
「そうかなあ」
「そうですよ。昔はシュテルン村の御館と教会の方々しか、あなたのことを知らなかったけれど。今や、あなたは王都でも注目集めている人物なのですから」
ローザは、幸せそうに微笑んでいる。
知名度は望んだわけではないが……。ローザが喜んでいるなら悪くはない。
「ああ、腹が減ったなあ」
「そうでした、アリーがテーブルを叩いて待っていますね。間違いなく」
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訂正履歴
2022/07/23 誤字訂正(ID:1346548さん ありがとうございます)