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アウト・サイド・チルドレン  作者: 土斑猫
参夜・妖姫
9/34

 その夜、つきなは一人だった。


 白々しい様に、明るいリビング。ソファーの上に身体を投げ出して、光る蛍光灯を見つめていた。


 一人で。たった一人で。


 事の起こりは、数日前の夜だった。





 ガタン



 突然響いたその音に、つきなは振向いた。

 振向いた視線の先で、あやなが床に突っ伏していた。


 団子虫の様に丸まった背が、瘧にでもかかったかの様にブルブルと震えている。両手の指が、引き裂かんばかりに絨毯に食い込んでいた。脂汗が無数に浮いた肌は、蝋の様に蒼白。伏した顔と床の隙間から聞こえるのは、異常な呼吸音と、低いうめき声。そして、苦しげにえづく音。



 「あやな……!」



 近づいて、震える背をさすろうと手を伸ばした。

 けれど、



 「触るなっ!!」



 悲鳴の様な声と共に、差し伸べた手が荒々しく祓われた。荒い息を吐きながら、自分を見つめるあやなの顔。そのあまりに切羽詰まった様子に、つきなはただならぬものを感じる。


 そして、気づいた。

 ”その時”が、来たのだと。



 「あやな……」



 もう一度、その手を彼女へと伸ばす。

 途端、あやなの表情が変わった。


 見た事のない顔だった。何かを堪える様な、何かに怯える様な、数多の激情を内包した顔。

 伸ばした手が、思わず止まる。


 その隙に、あやなは床を蹴って立ちあがる。そして、その勢いのまま外へと飛び出していった。

 つきなに出来る事は、黙ってそれを見送る事だけだった。


 追おうとは思わなかった。あやなが拒むのなら、“それ”を強いる事は出来ない。

 そう。全ての選択権は、彼女にあるのだから。


 だから、つきなは待つだけ。それが、今の彼女に出来る事。


 そしてそのまま、長い時が過ぎていた。



 「………」



 ちらりと、壁に掛かっている時計を見る。

 針は、午前の2時40分を指していた。


 あやなが帰ってくる様子は、ない。ひょっとしたら、今夜も帰ってこないのかもしれない。それでも、探しに行く気にはならなかった。行っては、いけないと思っていた。


 だから、つきなは待つ。彼女が帰ってきた時、明りとともに「おかえり」と一言言うために。



 「あやな……」 



 ポソリとその名を呟き、ソファの上で寝返りをうつ。

 と、


 その動きが、ピタリと止まった。

 ゆっくりと首を巡らせ、窓の外に視線を向ける。


 空には、いつもと同じ様に痩せた月が煌々と輝いている。しかし、今のつきなの目はその月を映してはいない。


 ソファに投げ出されていた身体が、ユラリと起きあがる。漆黒の髪が、風など起こる筈もない締め切られた部屋の中でザワリとざわめく。


 次の瞬間、



 ガチャリ



 玄関のドア。それが、小さな音を立てた。


 振り返る。



 ダァンッ



 ドアが、大きな音と共に弾かれる様に開いた。



 ダダダッ



 響く複数の足音。五つの人影が、開いたドアから雪崩込んでくる。そのうちの一つが、立ち尽くすつきなに突進した。


 無骨な手が細い肩を掴み、その勢いのまま床に押し倒す。



 ドシャアッ



 重い音と共に、床に叩きつけられるつきな。床に広がる黒髪を踏みつけ、転がる彼女に馬乗りになる。



 ジャララッ



 響く、鎖の音。そして、



 ガシャンッ



 気づいた時には、冷たく光る手錠がつきなの両手を束縛していた。



 「終わったぜ。リーダー」



 つきなを拘束した人物が、周りを囲む仲間の一人にそう言った。





 部屋に入ってきたのは、五人の若い男性だった。歳は皆、三〇代前後といった風体。揃って黒いレザージャケットに身を包んだ出で立ちは、妙に物々しい。


 それだけではない。


 ジャケットの厚い生地越しにも分かる筋肉や、隙のない所作。それが彼らが格好だけでなく、かなりの鍛錬を摘んだ人間である事を、如実に伝えていた。



 「殺していないだろうな?依頼は生け捕りだぞ」



 リーダーと呼ばれた男が、つきなを組み敷く男に問う。



 「そんなヘマ、する訳ねえだろ。見な。ピンピンしてるぜ」



 男はつきなを拘束する鎖を掴み、吊るし上げる様に持ち上げて見せる。特に動じる様子もないつきなが、その視線をチラリとリーダーの男に向けた



 「気味が悪い餓鬼だな。普通は悲鳴の一つくらい、上げるものだろうに」



 そう呟く男に、周りに立つ男達が口々に言う。



 「叫んでも無駄な事を、知ってんだろうさ。何せこのマンション、他の住人がいねえんだからな」

 「マンション一棟、餓鬼の専有物か。豪気と言うか、イカれてると言うか」

 「まあ、お陰で仕事はやり易かったけどな」



 「違いない」と皆が笑った。

 そんな仲間達を無視すると、リーダーの男は改めて言う。



 「とにかく、ターゲットは確保した。戻るぞ。もたもたしていると、夜が開けてしまう」



 その言葉に、他のメンバー達が頷く。たった一人を、除いては。



 「なあ、ちょっと待てよ」



 声を上げたのは、つきなをぶら下げる男。


 五人の中で一番歳若いその顔には、好色そうな笑みが浮かんでいる。



 「こいつ、ちょっと“味見”してもいいか?」



 つきなを示しながら、そんな事を言う。

 それを聞いた仲間の一人が、呆れた顔をした。



 「餓鬼だぞ?」

 「女にゃ、変わりねぇだろが」

 「相変わらずだな。お前は」



 悪びれもないその男に、リーダーは溜息をつく。つきながらも、「まあいい」と頷く。件の男は、普段からこの調子なのだろう。下手に咎めて、へそを曲げられる方が面倒だという判断らしい。



 「依頼主からは、生きてさえいればいいと言われているからな。ただし、手早く済ませろよ」



 その言葉に、男は好色な笑みを浮かべてベロリと唇を舐める。



 「あいよ」



 下卑た笑いを漏らしながら、ぶら下げていたつきなを改めて床に押し倒す。



 「じゃあ、お言葉に甘えまして……」



 言いながら、いやらしく動く手をスカートの下に差し込み、白い足を撫でさする。



 「いい手触りだぜ。上玉だな」



 嗤う仲間のあさましさに、他のメンバーは冷ややかな視線を送る。あからさまに嫌悪の色を見せる者もいるが、男は気にもとめない。



 「さあ、いい声で鳴けよぉ」



 言いながら身を屈めると、男はつきなの首筋に顔を埋めた。


 嫌悪の喘ぎも、絶望の悲鳴もなかった。ただ沈黙だけが流れる。

 己の蛮行に酔いしれているのか、男はつきなの首筋に顔を埋めたまま、ピクリとも動かない。



 「おい。いい加減にしろ」



 いつまでも進まない情事に、ついに焦れたメンバーの一人が歩み寄る。



 「さっさとしないと、夜が明けると言ってるだろうが」



 苛立ちを隠さない声で言いながら、男の肩を掴みながら強く引いた。

 途端、



 ゴロン



 何の力もなく、その身体が転がった。



 「!?」



 驚いて手を引くメンバー。その眼下で、仰向けに転がった男の身体が、ビクンビクンと痙攣する。


 見れば、その喉が無残にえぐられていた。破れた気管がヒュウヒュウと音を鳴らし、その度に赤い液体を吹き上げる。男を中心に、見る見る広がっていく血溜り。それから逃げる様に後ずさるメンバー達。その視界の端で、何かが動いた。



 「!?」



 視線を上げた先で、黒い髪が揺れる。

 つきなが、音もなくその身を起こしていた。



 「………」



 狼狽する男達を、何の色も持たない瞳で見回す。その白い顔の中で、唇だけがぬめる様に光っている。その端からツウと流れる、一筋の赤い雫。


 凄絶な光景に皆が息を呑む中、つきなの喉がコクリと動いた。


 容易に察しがついた。彼女が、口の中のものを呑み込んだ事も。呑み込まれたものが、何であるかも。



 「こ、こいつ……」

 「……喰いやがった……?」



 戦慄く男達を、つきなが見回す。黒かった瞳が、蛍緑の光を放ち始めていた。

 その異様が、更なる動揺を場に広げる。



 「落ち着け!!」



 皆が恐怖を抱き始めた事を察したリーダーが、声を張り上げる。

 彼とて、恐怖がなかった訳ではない。けれど、幾つもの修羅場を切り抜けた経験が教えていた。これは、一方的な”狩り”ではない。命を取り合う、”戦い”なのだと。


 戦いの場において、精神の乱れは死につながる。それを熟知しているからこそ、彼は己と仲間に喝を入れる。



 「奴は両手が効かない!!全員で畳み込めば、何の問題も……」

 「……何の、問題も……?」



 リーダーの言葉を遮る様に、静かな声が聞こえた。



 「!?」



 皆の目が、いっせいに動く。視線が集まる中で、つきなが呟く様に言った。



 「これで?これで、大丈夫だと思っているの?」



 メキ……



 何か、小さな音がした。



 「な、何を言っている!?」



 その音に気付かなかったのか。それとも、あえて無視したのか。メンバーの一人が叫んだ。



 「ああ、そうか……」



 メキ……メキキ……



 音が鳴る。微かに。けれど確かに。音が鳴る。



 「貴方達、知らないんだ……」



 ビキンッ



 音が響いた。今度こそ、誤魔化しようのない音が。皆の目が、音の出所へと集中する。ダラリと垂れ下がった、つきなの両手。それを束縛する手錠に、無数の黒い物が絡みついていた。蠱虫(こちゅう)の様に蠢くそれが、髪の毛だと気づけたのは何人か。



 ビキッビキキキッ



 髪の群れに締め上げられた鎖が、軋みながら悲鳴を上げる。それに気づいたリーダーが、今度こそ恐怖の叫びを上げる。



 「殺せ!!生け捕りなど考えなくていい!!叩き殺せ!!」



 しかし、その声が皆に届く寸前――



 バキンッ



 絶望の音が、響き渡った。



 カランッ カラランッ



 乾いた音を立てて、手錠の欠片が散らばる。絶句する男達を、つきなが蛍緑に輝く瞳で睥睨した。



 ザワリ……ザワリ……



 「知らないんだねぇ。わたしの事、何にも……」



 何処か、哀れみを感じさせる声音。薄い唇が蠢く度、その隙間から鋭い牙が覗く。



 「あなた達、わたしを連れに来たの?誰かに、頼まれたの?お金、もらったの?」



 能面の様な顔で、つきなは尋ねる。しかし、男達から返る言葉はない。ある者は呆然と。ある者は青ざめた顔を引きつらせながら、つきなを凝視する。


 彼女自身、それを期待してはいないのだろう。答えを待つ事もなく、言葉を続ける。



 「でもねぇ。それは無理。わたしは、何処にも行かない。誰のものにもならない。ここだけが、わたしの場所。あやなだけが、私の所有者」



 囁く様に呟きながら、つきなはその身体をユラユラと揺らす。



 「だから……」



 小さな口の中で、牙が鳴る。



 「あなた達には、いなくなってもらわなくちゃ」



 ゾクリ



 その言葉の意味する事に、男達の全身に怖気が走った。

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