表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アウト・サイド・チルドレン  作者: 土斑猫
壱夜・あやなとつきな
5/34

 つきなは、薄暗い通路を歩いていた。


 ここは、あやなの住むマンションの中。


 時刻は、夜の11時程。現代人が眠りにつくには、些か早い。にも関わらず、周囲に人の気配は全くなかった。マンションと言うからには、他にも住人がいて然りであろうに。


 けれど実際、つきなは他人に見つかる可能性を全く排除していた。

 言われていたから。


 「このマンションに、他の住人はいない」、と。


 奇妙な話ではある。けれど、それはれっきとした事実。

 静まり返る空間を一人歩きながら、つきなはあやなの言葉に嘘がない事を実感していた。



                              ◆



 今、このマンションにあやなはいなかった。「建物の中は、好きに出歩いていい」と言って出かけたまま、まだ戻っていなかった。


 あやなは、15歳の少女だった。世間常識的には、この時分に一人で出かけるには、些か難のある年頃と言わざるを得ない。けれど、そんな事をあやなは気にしていなかったし、つきなもまた、意に介していなかった。


 あやなには、そうしなければならない理由があるからそうするのだし、またそれに異を唱える筋合いもつもりも、つきなにはなかった。


 強いて言えば、自分を一人にしていく事が不満と言えば不満だったが、それとても、些細な問題。

 これから、自分達が紡いでいく刻に比べれば、塵芥に等しい事だった。


 静まり返る通路を、つきなは歩く。目指すのは屋上。今夜は、良い月夜なのだ。

 つきなは、月を好んだ


 このマンションは、街とは離れた立地に建てられている。余計な喧騒も、街明かりの邪魔もなく、月を愛でる事が出来る。


 それだけでも、ここはつきなにとって居心地の良い場所と言えた。


 通路の端に、階段が見えてきた。あそこを登れば、屋上。足を速めた、その時――



「やほ~」



 何処からともなく、声が聞こえた。


 つきなは鬱陶しげに顔をしかめると、その視線を声の方に向けた。そこは、今通ってきた通路の奥。誰の姿もない。けれど、何かの気配は、確かにあった。



「何の、用?」



 あからさまに不機嫌な口調で、そこにいる何かに、問いかける。



「何って~訳じゃないよ~。ただ~、どんな具合かな~って~」



 その言葉に、ますます顔をしかめるつきな。

 あやな以外には、ほとんど関心を持たない彼女としては、珍しい事と言えた。

 険のある声で、つきなは言う・



「……用がないなら、入ってこないで。ここはわたしとあやなの場所」

「うひゃ~、怖い怖い~」



 返る声は、おどけた様な響き。その眠たげな気配も相まって、真剣味はまるでない。けれど、



「だけどね……」



 不意に、声の調子が変わる。



「あまり、情を深めるのは、お勧めしないな」

「………」



 その言葉に、つきなは答えない。

 ただ、その視線にこもる険が強くなる。けれど、声は構わない。



「”その時”が、辛いよ。特に、あの娘がね」

「……あなたに、言われる事じゃない……」



 静かにざわめく、つきなの髪。

 一瞬、張り詰める空気。

 けれど、



「はは~。それもそうか~」



 響く声が、急に間延びする。元通りの、欠伸でもしている様な不抜けた声。

 それが、言う。


「君なら~間違いはないか~。過剰干渉だったね~。ごめんごめん~」



 どこまで本気で言っているのか分からないが、とりあえず余計な進言は止めたらしい。つきなのまとっていた、ざわめく様な気配が消える。



「まあ、上手くやってよ~。ボクも、あんまり干渉はしないからさ~」



 ならば、最初から余計な言を挟まなければいい。そう思ううちに、声が遠ざかる。



「じゃあね~。おやすみ~」



 そんな言葉と共に、気配が消えた。

 沈黙が戻る通路。つきなはそのまま、階段に向かう。


 扉を開ける音が、酷く大きく聞こえた。吹き込んでくる、暑い風。嬲られる髪をそのままに、つきなは屋上へと踏み出す。

 空が、近かった。

 見上げた夜天。その中天。夏の星座達を傅かせ、白い細月が煌々と輝いていた。



「……久しぶり」



 久方ぶりに、間近で見る彼女。そう呼びかける。

 答えなど、在る筈もない。けれど、つきなは降り注ぐ光をそれの意思と思う。



「見つけたよ。やっと……」



 旧知の友にそうする様に、語りかける。



「ずっと、探してた……」



 細びた月の、光と語る。



「もう、諦めてた……」



 星が、一つ流れる。それもまた、(彼女)の意思。



「でも、届いた……」



 落ちる星を掴む様に、手を伸ばす。

 指の遥か遠くを流れた星は、そのまま空の果てへと消えていく。



「意地悪……」



 呟く言葉に、けれどそこに負の想いはこもらない。

 ただ、少しだけの皮肉を混ぜる。



「あの娘は、受け入れてくれたのに……」



 呟きながら、視線を下ろす。

 その先にあるのは、離れて輝く夜の街の光景。


 月の光に比べて、ギラギラと品のない輝き。恐らくは、その中にいるのであろう、かの少女に想いを飛ばす。



「……でも、足りない。わたしの願いには、まだ……」



 想う彼女の姿を追い求め、つきなは街を見つめる。

 そんな事、叶う筈もないと知っていても。



「貴女は、受け入れてくれる?わたしを、本当の意味で……」



 思う姿を虚空に描き。ここにはいない、彼女に問う。



「ねえ。あやな……」



 答えは、返らない。求める声は、薄闇に溶けて消える。

 つきなの願いを笑う様に、星が一つ、流れて消えた。



                              ◆


 

 熱と湿気のこもった風が、髪を揺らす。



「……ウザイ……」



 頬にかかるそれを鬱陶しげに払いながら、あやなは苛立たしげに呟く。


 時間は、夜中の午前3時。


 辺りはひっそりと静まり返り、彼女以外に人の気配はない。


 大抵の人間が、一人で通るのを嫌がりそうな道。それを、あやなは気にする事もなく歩いていく。

 と、



 チリン



 何処かで、鈴の音が響いた。



「!」



 あやなの足が、ピタリと止まる。


 殺気立っていた目が、鋭さを増す。見つめるのは、眼前に満ちる闇の先。


 数歩先に外灯が一本、ポツンと建っている。それが降らす光の中に、人影が一つ。


 あやなより、少しだけ背の高い人影。丈の長い夜色の外套を羽織ったその姿は、まるで影だけが地面から伸び上がっている様に見える。



「今夜も、収穫はなかった様だね」

「……君か。何しに来たの?」



 声がけられたあやなが、つまらなそうに息を吐く。



「つれないね。久しぶりに会ったって言うのに」



 変声前の少年の声で、影が話す。ふん、と鼻を鳴らすあやな。



「君に会ったって、お腹が膨れる訳じゃない」



 そう言って、あやなは再び歩き始める。影との距離がだんだん縮まり、そして交錯する。すれ違う瞬間、影が言った。



「“あれ”にはまだ、手を付けてないみたいだね」



 歩みが止まる。

 あやなの視線が、影の方を向いた。


 そこに立っていたのは、一人の、少年。


 あやなと、さして背格好は変わらない。細身の身体は黒い外套で覆われ、白い顔の半分も、長い髪で覆われている。後ろで束ねられた長髪が、まるで大きな黒蛇の様に外灯の光の中で揺れていた。


 光の中で揺れながら、少年は言う。



「どうしてだい?あれだけ、欲しがってたものじゃないか?存分に、楽しめばいいのに」



 淡々と響くその声の中に、すこしからかいの色が混じる。



「……余計なお世話だよ」



 返す声には、更にこもる苛立ちの気配。



「“あれ”はもう、あたしの所有物(もの)。それをどうしようと、あたしの勝手」

「ふうん……?」



 くくっ



 声に、明らかな笑いが混じる。



「“あれ”は不変だよ?待ったところで、熟成なんかしないんだけどね」

「……余計なお世話だって、言ってる……」



 ますます剣呑さを増す声。けれど、少年は動じない。



「まぁ、いいか。どうも、向こうにも逃げる気はないみたいだし」



 その言葉に、あやながピクリと震える。



「どうして、そんな事……」


 先までとは違う、不安気な声。その響きの中には、恐れの気配すら漂う。



「鎖を付けたんだろ?君が」

「でも……」



 どうにも、らしくない所作。少年は、苦笑を漏らす。



「やれやれ。まるで恋人の動向を不安がる一少女だね」

「茶化さないで……!!」



 憤慨するあやなに向かって、少年は言う。



「逃げようと思えば、いつでも逃げられるさ。それをしないという事は、彼女にも思う所があるという事だよ」

「思う所って、何さ?」

「そこまでは知らない。僕は神じゃないからね」



 あくまで、淡々とした物言い。けれどそれが、かえってあやなの心を凪いでいく。



「とにかく、早く帰ってあげる事だね。多分、待ってると思うよ。君の事」

「あたしの事を……?」

「まぁ、本来の目的からしては、彼女が自身の意志で君の側から離れないのは望ましい事ではあるか」

「………」



 うつむき、黙り込むあやな。彼女に向かって、少年は言い聞かせる様に言う。



「努々忘れない事だね。君が彼女を欲した本来の理由を」

「それは……!!」



 思わず顔を上げた先。そこにはすでにその姿はなく、ただ一枚の落ち葉がくるくると舞っているだけ。



「ためらっちゃいけないよ。”その時”が来たなら……」



 周囲を見回すあやなの耳に、どこか遠く、そんな声が聞こえた。

 大きく息をはいて、あやなは毒づく。



「うるさいよ……。ただの、”見届け人”のくせに……」



 けれど、もう答える声はない。



 チリン



 そして最後に、鈴音が一つ。



                              ◆



 それからしばし。あやなはマンションの自室の前にいた。



「ただいま……」



 戸を開けながら、いつもの様に暗い廊下に呼びかける。


 今までは、それに何の返事も得られなかった。それを、期待する事もなかった。

 けれど――


 暗い廊下に、明りが灯る。

 そして、



「お帰りなさい……」



 廊下の奥。リビングの戸口に立ったつきなが、そう呼びかける。



「………」

「どうしたの……?」



 玄関で立ち尽くすあやなを見て、怪訝そうに首を傾げるつきな。



「ただいま」



 そんな彼女に向かって、あやなはもう一度そう言った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ