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アウト・サイド・チルドレン  作者: 土斑猫
捌夜・歩む光
31/34

 殺意の黒流に囲まれて、それでも光貴(みつき)梨沙(りさ)は互いの身体を離さなかった。互いの温もりを抱きしめ合いながら、彼らは誓う。



 「絶対に、守るからな。梨沙」

 「光貴も……生きて……」



 互いを守るために、腕に力を込める二人。

 つながる想いの時は一瞬。けれど永遠。そして、冷たい(ひらめき)が二人を切り裂いて――


 ――否、その時は、訪れなかった。


 いつまでも訪れない、今際の苦痛。それを不信に思った光貴が、目を開ける。



 「な……?」



 思わず、息を呑む。


 視界が、真っ赤に染まっていた。ただし、血の紅ではない。


 それは円。煌々と輝く、複雑な模様を内包した朱い朱い真円。それが、クルクルと回りながら、殺到する髪の群れを阻んでいた。



 「これは……!?」



 突然の事態に当惑するつきな。その耳に聞き覚えのない声が響く。



 「悪いがね。それをさせる訳にはいかないんでね。引いてもらうよ」



 瞬間、朱明かりの円陣が回転を速める。



 「ちぃっ!!」



 咄嗟に飛びずさるつきな。しかし、間に合わない。回転する円陣が、真紅の旋風となってつきなにぶち当たる。



 「ぐぅっ!!」



 巻き込まれたつきなはクルクルと宙を舞い、そのまま床に叩きつけられた。



 「おや?」

 「ありゃ!?」

 「嘘!!今の術って!!」



 その様を見た魅鴉(みあ)達が、目を丸くする。


 一方、訳が分からないのは光貴。呆然とするその背後から、もう一度かの声が響く。



 「ふむ。危機一髪とは、まさにこの事だね」



 思わず振り返った光貴は、言葉を失った。


 いつの間にか、彼らの背後に見た事のない少女が立っていた。


 透き通る様に白い肌に、白銀の髪。静かに細められた瞳の色は深紅。

 全身をゆったりと包む闇色のローブと、目深に被ったつば広帽子。

 その姿はまるで、昔話に出てくる魔法使いを思わせる。


 手からキラキラと朱色の燐光を散らしながら、少女は深紅の瞳を光貴……否。”梨沙”へと向ける。



 「どうやら、持ちこたえている様だね。よく、頑張ったじゃないか」

 「……光貴が、いてくれたから……」



 語りかける少女に、梨沙はか細い笑みを向ける。それを聞いた少女は、その眼差しを光貴へと向けてフフッと笑う。



 「……だ、そうだよ。男冥利に尽きるね。色男君」

 「……誰だよ……?お前……」



 呆気に取られて問う光貴に、少女はまたフフッと笑う。



 「私の事なら、彼女達が知っていると思うがね」



 そう言って、指差す先には魅鴉達の姿。彼女達も、光貴と同様呆気に取られた顔。もっとも、例によって煌夜だけは平然としているが。



 「叉夜(さや)お姉さま……」

 「何で、さやりんまで……」


 問いかける魅鴉と流凪に、叉夜と呼ばれた黒衣の少女はトントンと頭をつつく。



 「おいおい、少しは頭を使い給えよ。私は君達の同僚だ。なら、答えは一つじゃないか?」

 「ああ、なるほど」



 そこで、合点がいった様に入る相槌。見れば、煌夜(こうや)が一人納得した様な顔をしている。



 「”その娘”も、うちの客だった訳だ。そして担当は貴女だと。ねえ、()()()

 「そう言う事さ。煌夜、久しぶりだね。息災だったかい?」

 「そんな事、訊かなくても分かるだろうに。相変わらずだね。姉さんは」



 淡々と交わされる会話。おいてけぼりを食った全員が、忘我の状態。だから、気付かなかった。


 ――”彼女”が、動いた事に――





 「梨沙……お前……」



 混乱した状態のまま、光貴が梨沙に問う。当の梨沙は、苦しい息の下で微笑んでペロリと舌を出す。声の出ない彼女の代わりの様に、叉夜が言う。



 「誇りに思い給えよ。彼氏君。この娘は病床の身ながら、君への想いだけで我らが(そら)への道を開いたのさ。君の彼女への想いも賞賛に値するが、こちらも大したものさね。だから……」



 光貴を見つめていた朱い眼差しが、スウと細まる。そして、薄い唇がこう囁いた。



 「最後まで、信じ給えよ」

 「……え?」



 と、



 フッ



 光貴と梨沙の上に、影が落ちた。


 思わず視線を上に向ける。少女が一人、彼らを見下ろしていた。ユラユラと揺れる、亜麻色のショートカット。それは、さっきまで向こうで座り込んでいた筈の少女。


 あやな、だった。



 「え?」

 「あの娘、いつの間に!?」



 驚く魅鴉達を他所に、あやなは虚ろな瞳で光貴達――否、梨沙を見つめていた。

 微かに開いた口が、ブツブツと呟く。



 「……食べ物が……いるの……」

 「……え?」

 「……食べないと……何かを、食べないと……」



 うわ言の様に続く言葉。その意図は、分からない。



 「食べなくちゃ……食べなくちゃ……食べなくちゃ……」

 「あやな……?」



 異常に気がついたつきなが呼びかけるが、反応はない。あやなは、呟き続ける。



 「食べなくちゃ……食べないと、食べないと……」

 「……お前……」

 「……あたしは、つきなを食べてしまう……」



 漂い始める異様な空気に、光貴は梨沙を抱いたまま後ずさろうとする。しかし、



 トンッ



 背中が、何かに当たる。

 振り返ると、退路を断つ様に叉夜が立っていた。


 何してるんだよ?


 光貴がそう言おうとした時、



 「だから……」



 最後の言葉が、囁いた。


 ――食べさせて――


 次の瞬間、あやなが光貴の腕の中の梨沙に、倒れ込む様に襲いかかった。



 「―――――っ!!」



 悲鳴はなかった。

 ただ、無音で飛び散る血飛沫が、目を見開く光貴の視界を紅く染めた。





 忘我の時は、一瞬だった。


 我に帰った光貴の目の前では、あやなが梨沙の首に喰らいついている。



 「―――――っ!!」



 悲鳴を上げる暇さえも、惜しかった。

 光貴は咄嗟にあやなの髪を掴み、引き剥がそうとした。しかし、離れない。あやなの牙は、梨沙の喉笛深く食い込んだまま。目を見開いた梨沙が、喘ぐ様に開けた口からヒュウヒュウと空気が漏れる音がする。光貴は咄嗟に、落ちていた神剣の欠片を拾い上げる。鋭利な刃が皮膚に食い込むのも構わず、振り上げる。しかし、



 パシッ



 振り上げた手の、動きが止まる。



 「!?」



 振り向くと、叉夜が欠片を握り締める手首を掴んでいた。やれやれと言った顔をしている彼女に向かって、怒鳴りつける。



 「何してんだ!?離せよ!!」



 しかし、叉夜は離さない。強引に振りほどこうとしたが、ビクともしない。少女とは思えない力だ。困った様な声で、叉夜は言う。



 「やれやれ。どうも君は直情的過ぎるな。言っただろう?最後まで信じろと」

 「何言ってんだよ!!このままじゃ梨沙が!!」



 ペシ



 猛る光貴の額を、叉夜の掌が軽く打った。途端――



 「う……!?」



 身体から、潮が引く様に力が抜けた。振り上げていた腕が落ち、握っていた欠片が床に転がった。



 「情熱的なのは結構だがね、あまり過ぎると伴侶の身が持たないぞ」



 そんな事を言いながら、叉夜は喘ぐ梨沙に視線を向ける。



 「梨沙、あと少しだ。耐え給えよ。そうすれば……」



 酷く穏やかな声で、彼女は言った。



 ――「(すべ)は、成るぞ」――



 次の瞬間、



 ブチィッ



 あやなが、大きく身を逸らした。

 飛び散る鮮血の中で、光貴は見る。

 悲鳴を上げる様に引きつる梨沙の喉笛から、何かが引き出されるのを。

 血に塗れ、青白く脈打つそれ。光貴は最初、梨沙の内蔵が引きずり出されたのかとおもった。しかし、違う。


 ()()は、終わらなかった。


 ブチュリブチュリと蠢きながら、絶える事なく引きずり出されてくる。出る程に膨張し、連なる風船の様に膨れ上がる。



 「……何だよ……?これ……」



 呆然と見守る光貴の前。膨れ上がる()()の体積は、すでに梨沙の身体のそれを超えている。そして――



 「グゥッ!!」



 呻く様に力を込める声。端をあやなの牙に捕らえられた()()が、ついに梨沙の身体から引きずり出された。



 ビチャアッ



 「はっ……はぁっ!!」



 ()()が湿った音を立てて床に落ちるのと、梨沙が大きく息を吐くのは同時だった。



 「梨沙!!梨沙!!大丈夫か!?」

 「み……光貴……」



 呼びかける光貴に、咳き込みながら答える梨沙。その様子に、光貴は違和感を覚える。



 「梨沙……お前、何ともないのか……?」

 「え……?あ、う、うん。何ともなっていないみたい」



 自分の喉元を撫でながら、そう答える梨沙。確かにあやなの牙が食い込んでいた筈のそこには、少しの傷も残っていない。けれど、光貴の違和感はそんな所ではなかった。



 「いや、梨沙……。お前、身体の方……」

 「え?」



 そう指摘され、梨沙本人もようやく自身の異変に気づく。


 ――発作が、止まっていた――


 つきなの血によって、固定されていた筈の発作が止まっていた。


 否、それだけではない。


 発病して以来、常に身体に潜んでいた病の気配が消えていた。痛みもなければ、不快感もない。それは、梨沙が久しく忘れていた、健常な身体の感覚だった。



 「おやおや。これはなかなか。見事な大物が憑いていたものだ」



 困惑する光貴と梨沙の後ろで、叉夜が感心した様に言う。その言葉に視線を向けた光貴と梨沙が見たもの。


 それは、床の上でビチビチと蠢く巨大な怪異だった。





 その姿は、まるで巨大な蛆虫。長さは4m、太さは2m程もあるだろうか。牛脂をパンパンに詰め込んだ、ソーセージの様に膨らんだ身体。ギトギトとぎらつく白蝋の様な肌。その表面を縦横に走り、ビクビクと脈打つ蒼白い血管。身体の先端には大きな穴が空き、そこには無数の眼球がギョロギョロと蠢いている。その下に開くのは、粘液に塗れた洞穴の様に大きな口腔。それがクウワァアと開き――



 ヴゥウオロロロロロ……



 怖気立つ様な叫びが、大気を揺らした。





 それを見た魅鴉と流凪が、目を丸くする。



 「ちょっと、あれって……」

 「『病蟲(やまいむし)』だ……。大きい……」



 同じモノを前にする光貴達も、当惑の色を隠せない。



 「何なんだよ……。あれ……?」

 「あれはね、『病蟲(やまいむし)』と言うのだよ」



 光貴の問いに答える様に、叉夜が言う。



 「疫神(えきがみ)の一種でね。見初めた人間に憑いて病に堕とし、その苦痛と絶望に塗れた魂をしゃぶる代物さ」



 それを聞いた光貴と梨沙は、一斉に息を呑む。



 「それじゃあ……」

 「梨沙の病気は……」

 「そう」



 そして、何でもない事の様に叉夜が言った。



 ――「”アレ”のせいさ」――





 「………」

 「………」



 しばしの沈黙がおりた。やがて、光貴が梨沙に問う。



 「……梨沙、離しても、大丈夫か……?」

 「え?あ、うん」

 「……よし」



 その答えに頷くと、光貴は抱いていた梨沙をそっと床に下ろす。



 「光貴……?」

 「待ってろ、梨沙。落とし前、つけてくる……」



 そして、落ちていた神剣の欠片を三度(みたび)手に取ると、目の前の異形に向かって走り出す。



 「お前が!!梨沙を!!」

 「光貴!!」



 梨沙が叫ぶが、構わない。そのまま、真っ直ぐに刃を突き出して――



 「待ちたまえよ」



 グイッ



 「グエッ!?」



 唐突に襟首を掴まれて、盛大に引っ繰り返る光貴。仰向けに倒れた彼を、叉夜が呆れた顔で覗き込む。



 「全く。本当に君は鉄砲玉だな。そんな事では、近く早死にするぞ?」

 「うるさい……。あいつが……あんな化け物が梨沙を……」



 絞り出される呪詛の言葉を聞きながら、それでも叉夜は諭す様に言う。



 「気持ちは分かるがね。飢えた獣の獲物に手を出す様な真似は、やめておきたまえ。それこそ、命がいくらあっても足りないぞ」

 「飢えた……獣……?」

 「見てごらん」



 言われて、身を起こす。向けた視線の先にいたのは、かの異形と対峙するあやなの姿だった。



 「あいつ……」



 言いかけた口が、絶句する。

 何故なら、あやなの顔を見たから。

 笑っていた。

 凄絶な顔だった。

 餓欲。狂気。殺意。数多の負の感情を内包した、魔物の如き笑みだった。

 その笑みを前にした病蟲(やまいむし)が、ズルリと蠢く。


 ()は、知恵を持たない。ただ、本能のままに人の魂を貪るだけ。今、住み慣れた巣から引きずり出された彼は、むき出しの肌を刺激する外気を不快に感じながら、新たな巣を求めていた。ヒクヒクと蠢く触覚。それが、目の前に立つ少女の身体を感知する。愚かな知能には、その正体を察する術はない。ただ愚直に、その身を彼女に向かって進め始めた。



 ズル……ズル……



 粘液に塗れた這い跡を引きずりながら、近づいてくる巨体。

 それを前に、あやなはその笑みを深めていく。

 病蟲(やまいむし)が、ゆっくりと身体を持ち上げる。



 ボォオオオオオ……



 おぞましく響く咆哮。

 そのまま、蒼白い巨体があやなに向かって雪崩落ちる。

 あやなは動かない。ただ、その唇を紅い舌で舐めずるだけ。

 迫る、病蟲(やまいむし)

 そして――



 ボゥッ



 辺りを照らし出す、昏い光。

 それは、あやなの回りに浮かび上がった黒炎と無数の眼球。



 ベリベリィッ



 浮かぶ眼球が割れて、そこから現れるのは鋭利な歯牙の群れ。それが、雪崩来る其を迎え撃つ様に襲いかかった。



 ガシュッ グチュッ ブチュッ



 巨体に喰い込む、幾百、幾千の牙。



 ボォウォオオオッ



 悲鳴を上げて仰け反る病蟲(やまいむし)。噛み弾けた巨体から、青い体液が汚らしく飛び散る。それを、降り注ぐ雨の様に身に受けながら、あやなはまた凄絶に笑う。笑いながら、頬を濡らす体液を紅い舌で拭う。


 白い巨体が苦しげのけ反り、喰らいつく眼球と纏いつく黒炎をふるい落とそうとのたうち回る。しかし、猛る餓欲の化身達はひるまない。そのまま、ガシュガシュ、グチュグチュと喰い込んでいく。体液を啜り、肉塊を呑み込み、臓物を引きずり出す。



 ガツガツ グチャグチャ ジュルル……



 いつしか、其の抵抗は止んでいた。力なく横たわった巨体は無数の眼球達に喰まれ、みるみる形を失っていく。



 「梨沙。光貴。よく見ておくといい」



 その様を見つめる二人に、叉夜が言う。



 「これが、君達を苦しめた災いの末路さ」



 そんな彼らの目に映るのは、憎悪か哀れみか。


 狂える宴は、ほんの一時。程なく、おぞましい虫体は、跡形もなく破界の獣の臓腑へと収められていく。


 やがて、体液一滴残さず消えた、床の上。飛び交う眼球の中で、あやながゆっくりと舌を舐めずる。



 「ごちそうさま」



 満足気な声が、薄暗い世界の中に鈴の音の様に転がった。

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