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アウト・サイド・チルドレン  作者: 土斑猫
捌夜・歩む光
30/34

 「……あれが、あの子の行き着いた覚悟?」



 事を見つめていた魅鴉(みあ)が、何処かつまらなそうにそう呟いた。



 「不満そうだね」

 「まぁねぇ。悲哀劇(グランギニョール)は大好物だけど、この終わり方は、ちょっと消化不良かしら?」



 煌夜(こうや)の言葉に、辺りを飛び交う八雷(やかづち)の喉を撫でながら、魅鴉はぼやく。



 「死にネタなんて、一番安直だしね」



 そう言う魅鴉の目の前で、光貴(みつき)が手にした欠片を振り下ろす。その先にあるのは、梨沙(りさ)の胸。その心臓。



 「あ~、やった~」



 くたびれた様に腰を下ろしていた流凪(るな)が、眠そうな声でそう言った。





 世界はゆっくり動いていた。酷くゆっくり、動いていた。


 力いっぱい振り下ろした筈の手が、スローモーションの様に見える。止めようと思えば、止められそうだった。


 でも、そんな事はもう出来ない。分かってる。それに、例えやめたとしても、それは梨沙の苦しみを長引かせるだけ。


 ごめん。

 ごめんな。梨沙。


 結局、こんな形でしかお前を救えなくて。


 でも、大丈夫だから。絶対、大丈夫だから。

 僕も、逝くから。

 すぐに、逝くから。


 お前だけに、痛い思いさせないから。

 お前だけに、寂しい思いさせないから。


 だから。

 だから。


 欠片の切っ先が、梨沙の胸に吸い込まれる。そして――





 ガツッ



 「()っ!!」



 振り下ろした手が、床に叩きつけられた。

 見ると、朱いシューズを履いた足が、僕の手を握った欠片ごと踏みつけていた。



 「おや?」

 「ありゃ~?」

 「あらぁ?」



 見ていた連中が、一斉に驚きの声を上げる。



 「貴方は、何処まで愚かなの?」



 かけられた声に見上げると、そこには長い黒髪を揺らす、朱染めの少女の姿。

 僕を見下ろす目が、淡い蛍緑に輝いている。


 ”あいつ”だった。

 つきなと呼ばれていたあいつが、嘲る様に僕を見つめていた。


 白と朱に彩られる、仮面の様に整った顔。それに、亀裂の様な笑みを浮かべている。



 「本当に、愚か」



 また、言った。



 「どう言う……つもりだよ……」



 痛みに顔を歪ませながら言うと、”そいつ”はその亀裂の様な笑みをますます深めた。



 「自分の(つがい)の想いさえ、察する事が出来ないなんて」

 「……え……?」



 戸惑う僕に、”そいつ”は言う。



 「見てみなさい。貴方の、伴侶を」



 言われて、視線を下向ける。

 向けて、固まった。


 屍蝋の様に白い手が、僕の胸元を握り締めていた。

 力なく、だけど精一杯の力を込めて。



 「……梨沙……?」



 彼女の目が、僕を見つめる。虚ろだった筈の瞳が、ハッキリと僕の姿を映していた。。



 「ゴポ……グッ」



 口にこみ上げる鮮血を、飲み下す音がする。引き絞った口の端から血が一筋流れて、彼女のパジャマの襟を汚した。



 「り……さ……?」

 「……馬鹿……」



 かすれているけれど、ハッキリとした言葉で梨沙が言った。



 「あたしを……終わらせて、それで……光貴は、どうする……つもり……?」

 「それは……」



 怖かった。物凄く、怒った顔だった。長く傍にいた僕が、見た事のないくらいに。



 「死ぬ、気……なんで、しょう……?」

 「梨沙……」



 ギリ……



 僕の胸ぐらを掴む手に、力がこもる。今まで、今際の際同然だったとは思えない程の力。まるで、残された命の全てを込めた様なそれに耐えかねて、僕はゲホリと息を吐いた。



 「ゆる……さない、から……」



 掠れる声で、梨沙が言う。



 「あた、しの……ために、死んだりしたら……絶対に、許さない!!」

 「梨沙……でも……」

 「あたしは、生きる……」

 「!!」

 「あたしが、死んだら……光貴も死ぬって……言うなら、あたしは、生きる!!」



 絶句する僕。梨沙は、続ける。



 「例え、”これ”が……ずっと、ずっと続くとしても……あたしは、生きるから!!」



 梨沙の目が燃えていた。ギラギラと燃えていた。生きる決意に、燃えていた。それは、強い。とても強い光。怖気が来る程に強い、生命(いのち)の光だった。


 その光が、爛れかけていた僕の心をぶん殴った。


 ああ。そうだ。


 僕は、何をしていたんだろう。


 どうして、忘れていたんだろう。


 決めたじゃないか。誓ったんじゃないか。


 僕は。僕達は生きるって。何をどうしたって。どんなものを犠牲にしたって、一緒に生き続けてみせるって。誓ったじゃないか。



 「ゲボッ!!」



 梨沙が、咳き込んだ。彼女の口の中に、真っ赤な血が込み上がるのが見えた。



 「!!」



 次の瞬間、僕は僕の口で梨沙の口を塞いでいた。


 口の中に溢れる、生温かい液体と鉄錆の匂い。僕はそれを力いっぱい吸い取って、床に吐き捨てた。



 「はあっ」



 気管を塞いでいた血を取り除かれた里香が、水から上げられた水難者の様に大きく息を吐いた。そんな彼女を、僕は力いっぱい抱き締めた。



 「ごめん!!梨沙!!」

 「光貴……?」



 耳元で、梨沙が呟く。血臭の混じる吐息が、とても甘く感じられたのは気のせいだろうか。



 「俺、生きるよ!!梨沙と一緒に!!」



 見えない梨沙の顔が、微笑むのが分かった。



 「だから、梨沙も生きてくれ!!どんなに苦しくても!!どんなに辛くても!!俺と一緒に、生きてくれ!!」

 「……そのつもりだよ……」



 梨沙が言う。



 「……ずっと前から、決めてたよ……」



 今まで聞いた中で、一番尊い告白だった。


 梨沙の腕が、強く僕を抱き締める。


 そして僕も、彼女を力いっぱい抱きしめ返した。





 「本当に、貴方の様な愚物には過ぎた伴侶ね」



 僕達を見つめていた“そいつ”が、言った。



 「覚えておきなさい。死ぬなんて、易い事この上ない。本当に試される覚悟は、全ての業を背負って、なお在り続ける事……」



 そう。さっき、こいつが見せた覚悟。

 それは、相手の糧になりながらも、共に生き続ける事だった。


 それは、とても気高くて。

 そして、とても眩しかった。


 だから、僕は逸らした。

 その、気高さから。

 その、眩しさから。

 そして、逃げ出そうとした。

 一番簡単な、その道へ。


 だけど、許されなかった。

 梨沙はそんな事、許さなかった。

 彼女が選んだのは、業の道。

 ”あいつ”らと同じ、苦しみと共に生きる業の道。


 でも。

 それでも。


 梨沙が望むなら。

 彼女が、それでも生き続ける道を選ぶなら。


 僕は、それに従おう。

 彼女は、僕の世界。

 僕の、生きる意味。


 梨沙が、決意するのなら。

 彼女が、その覚悟を持つのなら。


 僕もまた、決意しよう。

 その道を、歩もう。


 梨沙と、共に。


 そして僕と梨沙は、もう一度しっかりと抱き締めあった。





 「うふふふふふふ……」



 薄闇の中に、笑い声が響く。


 魅鴉が、笑っていた。


 光貴と梨沙を見て、酷く嬉しそうに笑っていた。



 「そうよねぇ。そうこなくっちゃあ」



 けれど、



 「でもぉ……」



 喜色に満ちたその声は、次の瞬間にはこの上ない剣呑さがこもるものへと変わる。

 途端――



 ギュガァアン



 空を切る、漆黒の稲妻。

 それを、神金(かみがね)を纏った黒髪が弾いた。



 「うわっ!!」



 頭の上で響いた轟音に、梨沙を抱き締めた光貴が身を竦める。



 つきなに向かって黒雷(くろいかづち)を走らせた魅鴉が、その顔に悪鬼の如き表情を

浮かべる。



 「そうなると話は振り出しよねぇ。やっぱりぃ、あんたには囚われの身でいてもらわないとぉ」



 それを向けられたつきなも、やはり壮絶な笑みを浮かべて答える。



 「酷い方。この子を思い止まらせたのは、わたしなのに」

 「そうね。でも、その後がいけないわ。その子達に、何をしようとしてたのかしら?」

 「あら?ばれてた?」

 「当然」



 バチバチバチッ



 魅鴉の周りで、八雷(やかづち)が猛る。それを愛でながら、光貴達に向かって彼女は言う。



 「あんた達、動ける?動けるなら、逃げなさい。その娘、まだ諦めてないわよ!」

 「え!?」



 思わず見上げた光貴の目に、鋭い爪を構えたつきなの姿が映る。



 「――――っ!!」



 声を出すよりも先に、身体が動いた。

 梨沙を抱えたまま、咄嗟に転げ逃れる。

 一瞬の間をおいて、彼らのいた場所をつきなの爪がえぐった。



 「ちっ!!」



 小さく響く、舌打ちの音。それをかき消す様に、八雷(やかづち)をまとって魅鴉が走る。



 「はっ!!諭すフリして隙狙うなんて、姑息な真似してくれるじゃない!!



 その言葉に、飛びずさりながらつきなが笑う。



 「だって、やっぱりあの娘達は怖いんだもの!!このままじゃあ、わたしだけじゃなく、あやなにも害が及ぶかも!!」



 「知ったこっちゃないわよ!!そんな事!!」



 追いすがる魅鴉を、踊る髪で牽制しながらつきなは身をかわす。



 「邪魔しないで」

 「あんたこそ、いい加減大人しくなさい」



 弾け合う、(いかづち)と黒髪。それを見た煌夜が、流凪に問う。



 「止めないのかい?」

 「う~ん、こっからは~どっちかって言うと~魅鴉っちの仕事だしね~。手を出すのも~、筋違いかな~って~」



 そう言って大あくびをすると、ゴロンと寝っ転がる流凪。その様子を見た魅鴉が笑う。



 「いい娘ね。あんたのそう言うとこ、好きよ」

 「どういたしまして~」



 やる気なく答える同僚に笑いかけると、魅鴉は改めてつきなに言う。



 「という訳だから!!助けはないわよ!!」

 「元から、あてにしてない」

 「じゃあ、あきらめなさい!!」



 言葉と共に、猛禽のそれの様に開いた爪がつきなの両足を刈り取るために一閃。

 しかし――



 トンッ



 「んべっ!?」

 「んみゃ!?」



 一瞬早く宙に舞ったつきなが、魅鴉の背中を一踏み。バランスを崩した魅鴉は無様に床に突っ込み、寝っ転がっていた流凪にぶち当たる。



 「いったいなぁ!!何すんのさ!?」

 「何よ!!こんな所で寝てんのが悪いんでしょうが!!」



 ギャアギャアと姦しい二人。そんな彼女達に、煌夜が呆れ切った声をかける。



 「いいのかい?」

 「何がよ!?」

 「彼女、行ってしまったよ」



 見れば、つきなは光貴達の間近まで迫っていた。端から、魅鴉の相手などする気がなかったのは見え見えである。



 「あ、やば」



 思わず声を上げる魅鴉。慌てて八雷(やかづち)達を繰る。しかし、つきなの髪に絡んだ霊剣の欠片に尽く弾き落とされてしまう。



 「ちぃっ!!」



 即座に追撃するが、伸びてきた髪と欠片が行く手を遮る。



 「こ、この!!」

 「貴女の手の内は、承知してる」



 冷ややかな声で、つきなが言う。


 彼女の最大の武器は、その学習能力にある。先刻からのやり取りで、魅鴉の戦い方や性格は完全に把握されていた。


 もともと、つきなには魅鴉を倒さなければならない理由はない。


 彼女がつきなにこだわるのは、あくまで光貴の件があるが故。なら、彼を亡き者にしてしまえば、魅鴉がつきなを狙う意味はなくなる。理屈は、単純だった。


 魅鴉が本気で挑めば、髪と欠片の障壁を押し切る事は簡単だろう。けれど、それを成すにはつきなと光貴達との距離が近過ぎる。もう、間に合わないのは明白。そして、それもまたつきなの目論見通りだった。





 死が、近づいていた。迫るつきなを見据えながら、光貴は腕の中の梨沙を抱き締める。



 「梨沙、生きるぞ。絶対に」

 「……うん……」



 光貴の視線が、床に散らばる欠片に向く。その一つに手を伸ばし――



 ガシッ



 「――――っ!!」



 一瞬早く伸びてきた足が、光貴の手を踏みつけた。



 「諦めなさい」


 最後の宣告をしながら、光貴の足を踏み躙るつきな。そんな彼女を、光貴と梨沙がそろって見上げる。強い目だった。生への渇望に、ギラギラと燃える目だった。



 「……怖い目……」



 万感の賞賛を込めて、つきなは言う。



 「貴方達は、よくやった」



 主の言葉に沿う様に、(つるぎ)の閃きを抱えた髪が騒めく。



 「貴方達の事は、忘れない。覚えておく。永遠に。だから、安心して」



 うねる髪の群れが、獲物を狙う蛇の様に鎌首をもたげる。そして、最後に一言。



 「お休みなさい」



 そして、鋼線の如き細髪の群れが、光貴と梨沙に殺到した。

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