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アウト・サイド・チルドレン  作者: 土斑猫
壱夜・あやなとつきな
3/34

 異変に気づいたのは、文字通り草木も眠る深夜だった。


 屋敷の皆が。使用人までもが眠りにつくのを待って、そこに行った。


 前の投与から、一週間が経っている。そろそろ、効き目が切れる頃だ。念のため、ストックはしてあるけれど、出来れば少しでも新しいものを飲ませたかった。まあ、時間で劣化するものではない事は承知していたが、それが人情と言うものだろう。


 このままの状態を維持出来れば、ひょっとしたら外出も許されるかもしれない。そうしたら、何処かへ遊びにいこう。そんな考えに、心が躍っていた。


 だから、その光景を見た時、全身が凍りついた。


 扉が、開いていた。何十年も、放置された場所。自分以外、訪れる者などいない筈なのに。

 慌てて、中に駆け込む。明らかに、誰かが動いた形跡があった。


 馬鹿な。

 馬鹿な。

 そんな。

 そんな。


 大きくなる焦りに背押され、走る。

 そして、その場にたどり着いた時、



「………っ!!」



 焦燥は、絶望に変わった。



                              ◆



 夢は、唐突に途切れた。


 開かれた瞳に映る天井。それは、見慣れた高い天井ではなかった。


 身を起こし、周りを見回す。見た事のない部屋。その中心に置かれたソファ。その上に、彼女は寝かされていた。


 身体を見ると、血塗られていた元の服ではない、別の服が着せられていた。


 自分の置かれた状況が、分からない。幾度か、目を瞬かせる。



「ああ。目、覚めたんだ?」

「………?」



 唐突にかけられた声。ゆっくりと、首だけを巡らせる。

 知らない少女が一人、部屋の入り口に立っていた。



「覚めた?目」



 虚ろな瞳で自分を見つめる彼女に、同じ言葉で問いかける。



「………」



 答える言葉のない彼女。少女はツカツカと歩み寄ると、覗きこむ様に顔を付き合わせた。



「………」

「………」



 少しの間、二人の少女は無言で見つめ合う。



「あやな」



 唐突に、少女が口を開いた。



「?」



 ポカンとする彼女に向って、続けて言葉がかけられる。



「名前。あたしの名前。あやな。神無月(かみなづき)あやな」

「……あやな……?」



 彼女の口が、初めて言葉を紡ぐ。小さな鈴が鳴く様な、澄んだ声。反応があったのを見て、あやなと名乗った少女は言葉を続ける。



「そ、あやな。あんたが川原で倒れてるのを見つけて、ここまで運んできたの」

「!」



 それを聞いた彼女が、軽く目を見開いた。



「で、あんたは?」

「?」



 急にふられる話。彼女が、キョトンとした顔になる。



「だから、名前。あたしが教えたんだから、あんたも教えるのが礼儀」

「名前……?」



 呟く様な声で言うと、彼女はそのまま黙り込んでしまう。



「どうしたの?」

「………」



 あやなの再びの問いにも、彼女は小首を傾げたまま。そんな様子を見て、あやなは少し考え込む。そして、もう一度相手の目を覗き込んだ。



「教えたくない?それとも……」



 あやなの目が、間近から彼女を映し込む。



「無いの?名前」



 黒い瞳が、無言のまま肯定の光を放った。



                              ◆



 部屋の中に、湯気に乗って淡いシャンプーの香が漂う。その中で、彼女はソファに腰を下ろし、香りが漂う方を眺めていた。


 視線の先にあるのは、薄く扉の開いたバスルーム。響く水音の中では、人が動く気配がしている。

 と、彼女が不意に腰を上げた。スルスルと滑る様な足取りで、バスルームへと近づいていく。ドアノブを掴む、真白い手。ゆっくりと開く、ドア。満ちる湯気の向こうに、あやなの裸身が見えた。壁にかけたシャワーをいっぱいに開き、泡にまみれた亜麻色の髪を熱い流れにさらしている。



「………」



 彼女は無言で、バスルームの中に滑り込む。足音はおろか、濡れた床の上で水音すらもしない。そのまま、あやなの背後に立つ。そして――



「?」



 振り向くあやな。伸びる手。少女が、細い肩を掴む。そのまま、後ろの壁に押し付けた。



「………」

「………」



 降り落ちる水滴の中、絡み合う二つの視線。



「何?」



 あやなが、ぽつりと呟くように尋ねる。


 少女は答えない。かと言って、掴む手に力を込めるでもない。そのまま、肩に絡まっていた指が肌の上を滑り始める。肩から胸へ。胸から腹部へ。まるで何かを確かめる様に、指はあやなの肢体をなぞる。



「………」



 あやなは、抵抗しない。声を、上げるでもない。ただ、されるがままにまかせる。二人の肌が交わる中、迸るお湯が少女の身体もしとどに濡らしていく。やがて、彼女の指があやなの下腹部をなぞった時、



「んっ!!」



 流石に堪えかねたのか、あやなが小さく声を上げて身を震わせた。


 少女が、ビクリと手を離す。



「……もう、変な所弄らないでよ……」



 一瞬の羞恥を誤魔化す様に、濡れた髪をかき上げながらあやなは言う。



「何?あんた“そっち”の気があるの?だったら、お生憎様。あたし、ノーマルだから」



 そんな言葉に、少女は何も返さない。ただ、その瞳があやなを間近から見つめる。何を思っているのかも分からない、空虚な眼差し。けれど、その奥にあやなは確かに何かの意思を見る。


 と、


 鎖骨に感じる、わずかな衝撃。見れば、首を傾げ彼女がその頭をあやなの胸に埋めていた。



「ちょっと。だから、あたしにはその気はないって……」



 鬱陶しそうに、その身体を押しのけようとしたあやなの手が止まる。少女の腕が、あやなを抱きしめていた。それは、先にあやなが言った様な劣情に満ちた抱擁ではない。


 そこには、何の感情も感じられない。少女はただ、あやなを抱きしめていた。まるで、赤子が無心で母にすがりつく様に。



「……もう、無理だと思ってた」



 声が、聞こえた。



「無駄なんだって、思ってた」



 淡々と紡がれる言の葉。首を傾げるあやな。彼女は構わずに続ける。



「でも、“あなた”は存在()た」



 想いのこもった声だった。それまで、何の感情も見せなかった彼女。それが、確かな想いを晒していた。

 俯いていた顔が、ゆっくりと上がる。



存在()て、くれた」



 微笑んでいた。微かに。けれど、綺麗に。彼女は、微笑んでいた。

 そして、最後に紡ぐ言葉は、たった一言。



「ありがとう……」



 そう言って、彼女はもう一度抱きしめる。あやなの身体を。先よりも、より確かな想いを込めて。


 そんな彼女を、黙って抱きとめていたあやな。

 しばしの間の後、その手が動く。



「………?」



 あやなが、彼女の顎をもって顔を上げさせた。

 ポカンとする彼女。その視界に、自分を見つめるあやなの顔が映る。



「あんた、面白いねぇ?」



 そう言って、今度はあやなが微笑む。



「前言撤回。趣味じゃないけど……」



 するりと上がった手が、彼女の肩を掴む。



「あんたなら、付き合ってあげる」



 言葉と共に、傾ぐ視界。



 水音が、響く。


 床に倒れこむ、二人の身体。

 シャワーから流れ続ける湯。それに流され、長い黒髪が妖しく広がる。

 押し倒した彼女の頬を撫でながら、あやな問う。



「あんた、帰る場所はある?」



 少女が、首を振る。否定。



「待ってる人はいる?」



 首を振る。また、否定。



「やっぱり」



 組み伏せた少女を愛でながら、あやなはほくそ笑む。



「名前がない。帰る場所もない。待ってる相手も、いない。なら、あんたは野良猫といっしょ」



 あやなが、少女の耳に口を寄せる。



「なら、あんたをどうするのも、拾ったあたしの自由」



 互いの息遣いを感じ合う程の距離で、あやなの唇が吐息と共に言葉を紡ぐ。頬に寄せられた指が、愛撫する様に肌を這う。降り注ぐ湯雨の中、ほんのりと桃色に染まった肌。歳に似合わない艶を感じさせる。濡れそぼった亜麻色の髪から香る、甘いシャンプーの香。滴った水滴が、少女の目元を濡らす。



「野良猫には、まず名前をあげなくちゃね」



 そして、あやなはしばし考え込む。



「……つきな……」

「?」



 その口から紡ぎ出された、聞きなれない単語。少女は、首を傾げる。



「つきな。月の夜に、あやなが拾ったから、“つきな”」

「つきな……?」

「そう、“つきな”。それが、たった今からあんたの名前」

「わたしの、名前?」



 呆けた様に呟く彼女に、あやなはまた微笑みかける。



「これでもう、あんたはあたしの所有物(もの)



 あやなは笑う。妖しく、笑う



「もう、何処に行くのも、許さない」



 笑いながら、彼女の額の髪をかき上げる。

 ゆっくりと寄せる、顔。

 額に、唇を押し付ける。

 まるで、証の刻印を押す様に。

 抵抗は、なかった。


 少女――つきなは、その全てを受け入れた。



                               ◆



 いつしか、月は西の空に消えていた。深海色の空を染め上げ始めた白光が、二人の在る場をゆっくりと照らし始めていた。

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