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アウト・サイド・チルドレン  作者: 土斑猫
捌夜・歩む光
29/34

 絶対だった。

 僕にとって、彼女は絶対だった。


 彼女がいなければ、僕は生きていけない。

 彼女がいなければ、僕が生きる意味はない。


 だから、彼女を生かそうと思った。

 生き続けて欲しいと思った。

 そのためなら、何でもしようと思った。


 そう。金にあかせて、汚い事に手を染めて、挙句の果てに、得体の知れない化け物にまですがって……。


 けど。だけど。

 その果てに、僕が彼女に与える事が出来たのは、終わりのない地獄だった。


 生き続ければ、苦しみが続く。

 苦しみが途絶えれば、死が訪れる。

 そんな、無間地獄の様な悪夢。


 分かっていた事だった。

 分かりきっていた、結果だった。


 それでも、僕は願った。

 彼女に、生きていて欲しいと願った。


 だから、彼女は受け入れた。

 受け入れてくれた。


 その、地獄を。


 だけど。だけどその結果に。


 耐えられなかったのは、僕だった。


 何て、愚かな事だろう。

 何て、無様な事だろう。


 必死に苦しみに耐え、生にしがみつく彼女。その様に、僕は怯え、後悔した。恐ろしかった。おぞましかった。憎らしかった。勝手な望みのために、彼女にこんな地獄を課した自分が。


 けれど、どんなに後悔しても。どんなに悔やんでも。時は戻りはしない。苦しむ彼女を腕に抱いて、怯え戦慄く事しか、僕には出来なかった。


 そんな僕に向かって、”そいつ”が言った。人の型を成した夜闇の様な”そいつ”が、言った。


 ――覚悟が足りない――、と。


 そして、表情のない仮面の様な顔で、こう告げた。


 ――全ては、僕の手で終わらせろ――、と。


 そして今、僕の手の中には一片の金属片がある。薄く研ぎ澄まされた、冷たい、冷たい、

神金(かみがね)の刃。


 ”そいつ”から渡されたそれが、キシリキシリと手の中で軋む。


 これで彼女の胸を貫けば、全ては終わる。


 そう。全ては、終わるのだ。


 彼女の苦しみも。

 僕の、苦しみも。


 手の中で、欠片が笑う。キシリキシリと、軋りながら。


 決意は、つかない。

 まだ、つかない。





 「見た?あれ」



 全てを見終わった魅鴉が、僕に訊いた。



 「なかなか、いい演劇(みもの)だったわね」



 妙に上機嫌なのは、気のせいだろうか。


 事の次第を、呆然と見つめるだけだった僕。そんな僕を見下ろしながら、魅鴉は言う。。



 「”あの娘”が見せたのが、本当の覚悟ってやつよ」



 指差す先にあるのは、見知らぬ少女を抱き締める”あいつ”の姿。


 ほんの数刻前まで、ただの道具としか思っていなかった存在。

 化物と恐れ、蔑んでいた存在。

 それが今は、とても気高く見えた。


 他の連中と同じ様に、あの少女も人間じゃなかった。

 それどころか、ここにいる中で一番の怪物だった。あれだけ恐ろしかった”あいつ”を、餌としようとする程の。


 そんな存在を、”あいつ”は愛してると言った。言い切った。

 そして、その存在にその身を捧げた。

 永遠に、その身を糧として与え続けると誓った。


 気高かった。

 直視出来ない程に、気高かった。


 僕に、それは持てるだろうか。

 あんな気高いものを。

 捧げる事は、出来るのだろうか。


 彼女に。

 たった一人の、彼女に。


 答えを出せない僕に、魅鴉はまた言った。



 「あんたの覚悟、しっかりと見せてね」



 そして僕の顔をスルリと一撫ですると、魅鴉は踵を返して仲間達の元へと向かった。


 僕と梨沙を、酷薄な世界に置き去りにして。





 「おや?お守りはもういいのかい?」

 「ええ。後は、あの子次第よ」

 「荷が、重過ぎはしないかい?」

 「お前が言うな!!」



 他人事の様に言う煌夜に噛み付く魅鴉。

 と、彼らの傍らでつきな達の様子を見ていた、流凪(るな)が言った。



 「煌くん……魅鴉っち……」



 その声に振り向くと、忘我の(てい)にあるあやなから、キラキラと輝く光の粒子が昇り出していた。



 「あれは……」

 「ああ。成程」



 見つめる皆の前で、あやなの懐から何かがポトリと落ちた。


 見れば、それは光に包まれた一冊の手帳。それは見る見る輝く粒子となって宙に上がり、溶けて消えていく。



 「煌くん……」

 「ああ、彼女の(すべ)が、成った様だね」



 そう。光となって溶けたもの。それこそが、あやなが”あの場所”で手に入れたもの。望みの”すべ”が記された本だった。



 「やれやれ。僕の方はとりあえず一段落かな」



 そう言って、煌夜がコキコキと首を回す。まるで、全てが終わりを告げた事を示す様に。



 「煌くんは~、これで~お役は御免か~。いいな~。もう~、好きなだけ眠れるんだ~」

 「全く。そればかりだな。君は」

 「いいの~。煌くんみたいに何で生きてるのか分からない人よりは~、よっぽどマシ~」



 いつもの調子に戻って、そんな事を言い合う流凪と煌夜。けれど、そんな同僚の会話に混ざらない者が一人。



 「五月蝿いわねぇ。あんた達、少し静かにしてくれない?」



 その声に、煌夜と流凪はそろって視線を向ける。そこにいるのは、周りに八体の雷獣を侍らせた少女。魅鴉(みあ)

 彼女は血に汚れた髪をキュッと絞り上げながら、その視線を少し離れた暗がりへと向けている。



 「全く。自分達の仕事が一段落したからって浮かれちゃって……」



 妙に潜めた声で、彼女は言う。



 「”こっち”はまだ、終わってないのよ」



 その言葉に、煌夜が「ああ」と声を上げた。



 「そうだね。まだ、”彼ら”がいた」



 その場の皆の視線が、”彼”と”彼女”に向かう。



 「そう。まだ、”彼ら”がね」



 紡ぐ言葉が、酷く興味深げに聞こえたのは気のせいだろうか。





 数多の理外れが見つめる中、たった二人の人間は、未だ晴れぬ薄闇の中で震えていた。

 何をどうする事も出来ずに。か細く。か弱く。震えていた。





 あいつらが見ている。

 何も出来ない。何も出来ない僕を、見つめている。


 あいつらが、何をしていたか。

 ここで、何が起こっていたのか。


 僕は全てを見ていた。ひょっとしたら、梨沙も見ていたかもしれない。

 死に匹敵する、けれど決して死に逃げられない苦しみの中で、見ていたかもしれない。


 それほどに、今夜ここで起こっていた事は異常だった。


 得体の知れない化け物に、命を狙われて。夜の中に、世界が閉ざされて。化け物同士が、鍔迫り合って。そいつらよりデカイ化け物が現れて。世界が壊れかけて。けど、そのデカイ化け物をもっと得体の知れない化け物が打ち倒して……。


 化け物。化け物。化け物。化け物。化け物化け物化け物ばけものばけものバケモノバケモノバケモノ……


 化け物尽くしの、オンパレードだ。もう、笑いの一つも出やしない。


 暴風の様に吹き荒れるそいつらの息遣いの中で、僕に出来たのは、梨沙を抱えてすくみ上がる事だけ。


 出来なかった。

 本当に、何も出来なかった。


 ついこの間まで、自分に出来ない事なんてないと思ってた。いや、確かに、自分の手が届かない領域がある事は承知していた。


 だけど、それでも手を出すくらいは出来ると思っていた。世界を動かすのは、とどのつまり金と権力だ。


 僕の生まれた場所には、偶然その両方があった。幼い頃はそれに身を委ねて、随分と好き勝手をやった。


 成長し、明確な自我が生まれてからは、権力争いに没頭し、金繰りに励む親や親族達を軽蔑して、嫌悪した事もあった。


 だからこそ、僕はそんな色眼鏡で僕を見ない、本当の僕を思ってくれた梨沙を愛する様になった。


 大事だった。

 大切だった。


 この娘のためなら、親も親族も。それに付随する全てのものを捨てても構わないと思っていた。


 それは、本当だ。間違いなく、本当だと言える。


 だけど、梨沙が得体の知れない病に倒れた時、すがったのは結局、その”力”だった。


 梨沙を今の病院に入れられたのも。それを維持出来たのも。全部は親の権力と金のお陰。


 僕自身は、何の力もないひよっこのままだった。幼い頃と、何も変わってやしなかった。でも、構わなかった。梨沙を生かせるのなら。助ける事が出来るなら。どんな嘲笑も、どんな侮蔑も、どんな屈辱も、平然と受け入れる事が出来た。


 出来る、筈だった。


 でも、そう粋がる僕に立ちはだかったのは、そんな生っちょろいものじゃなかった。僕の前に立ちはだかったもの。それは、絶望だった。





 「は……く……ゴボ……」



 腕の中で、梨沙が苦しい息を吐く。震える両手が、身体のあちこちを掻き毟る。喘ぐ様に開いた口からは、どす黒い鮮血がゴボゴボと音を立てて絶え間なく溢れ出した。


 もう、どれほどこの地獄が続いているだろう。2時間?4時間?いや、もっと……。


 梨沙は苦しみ続ける。僕の業を、たった一人で肩代わりして。



 「梨沙……梨沙……」



 呼びかける声に、答えはない。答える余裕がないのだろうか。声が、届かないのだろうか。それとも、もう壊れてしまったのだろうか。


 視線を感じる。”やつら”の視線だ。世界の(ことわり)から外れた、無色透明の視線。それが言う。


 どうする?

 どうする?

 どうする?


 ああ、うるせぇ。うるせぇよ。

 分かっているのだ。(すべ)なんてはない事は。この苦しみから。この地獄から。梨沙を救う手段は、もう、ただ一つだけ。


 震える手の中で、冷たい刃がキシリと泣いた。





 最高の医療設備に、最高の医師達。

 それが親親族に頭を下げ、使える力全てを動員して、僕が梨沙に与えたものだった。


 僕は確信していた。これで、梨沙を救えると。これで、梨沙を助けられると。だけど、現実は違った。梨沙を蝕む病には、最高の医療は全くの無力だった。


 厳選された薬剤は何の効果も示せず、選び抜かれた医師達は一つの病巣を取り出す事も出来なかった。


 無様に焦る僕達を嘲笑う様に、病は梨沙を蝕んでいった。


 ゆっくりと。

 だけど確実に。

 子供が飴玉をしゃぶる様に、梨沙を苛んでいった。

 絶望だった。

 もう、絶望しかなかった。


 世界の、そして自分の無力さに打ちひしがれて、いつしか僕は自分も死ぬ事を考え始めていた。梨沙は、僕にとって世界の全てだった。彼女がいなくなる事は、僕にとって世界が無くなるに等しい。世界が死ぬのなら、そこにいる僕も死ななければいけないのだ。終わりは、近い筈だった。





 けれど、僕は”(すべ)”を手に入れた。

 発作に苦しむ梨沙から逃げ出した夜、あの不思議な空間で、僕は望んでいた”(すべ)”を手に入れた。


 そこで出会った、奇妙な少年は言った。



 「――あなたの望みが、良き形で叶う事を期待します――」



 そこから来たと言う、見届け人の少女は言った。



 「――せいぜぃ、面白い劇をぉ、演じてねぇ――」



 望む所だった。相手が神だろうが悪魔だろうが、関係なかった。”(すべ)を。梨沙を救う”(すべ)”を得るためならば、どんな相手の手だって握るつもりだった。


 示された”(それ)”はおぞましいものだったけれど、何の問題にもなり得なかった。


 梨沙のためなら、化け物なんていくら犠牲にしたって構わない。いや、犠牲の対象が人間だったとしても、僕は迷わなかっただろう。


 全ては梨沙のため。

 梨沙を、苦しみから救うためだった。


 なのに。

 それなのに。


 最後に残ったのは、その梨沙の苦しみだけ。


 どうして、こうなったのだろう。

 どこで、間違ってしまったのだろう。


 全て、”(すべ)”の示す通りにした筈なのに。


 所詮は、化け物に与えられたものだったと言う事だろうか。



 ゴポ……



 梨沙が泣く。

 言葉じゃない。声じゃない。自分の吐く血で、気管を鳴らして。


 ああ。そうだ。

 そうなんだ。


 結局は、全てが最初に戻っただけ。

 梨沙は死ぬ。

 そして、僕も逝こう。

 それで、全ては元通り。



 「梨沙、楽にしてやるからな……」



 そして、僕は欠片を掲げる。



 「ずっと、一緒だから……」



 そして僕は、冷たく光るそれを梨沙の胸へと振り下ろした。

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