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アウト・サイド・チルドレン  作者: 土斑猫
漆夜・月の願い
28/34

 「……正確に言うと、僕自身じゃないね。理外(ことわりはず)れなのは、”これ”の方さ」



 そんな言葉と共に、外套の裾が揺れる。



 ――チリン――



 小さく鳴る鈴の音。そして、



 ズルンッ



 揺れる夜色の中からまろび出る、ソロモンの指輪の塊。無数に絡み合うそれの中から漂うのは、天牙(あまきば)を叩き伏せたあの異様な気配。それを凝視するつきなに、煌夜(こうや)は独りごちる様に言う。



 「これはね、『常夜ノ神(とこよのかみ)』と言うんだ」

 「『とこよのかみ』……?」

 「”混沌”を凝縮した、理外(ことわりはず)れの神具だよ」



 混沌。それは、この世界が(ことわり)によって構築される前、無限の虚無を満たしていたモノ。有と言う概念でも、無と言う概念でもない。昏く渦巻く、終わり無きエネルギーの根源。



 「具現化した混沌……?そんなものが……」

 「あるだろ?実際に、”ここ”に」



 そう言いながら、蠢くそれをつきなの前に突き出す。恐怖を持たない彼女の背が泡立ち、腕の中のあやなを守る様に抱き込んだ。



 「天牙(その娘)は酷いイレギュラーだったね。あまりにも強力過ぎて、世界も明確な天敵を後天的に生じさせる事が出来なかった。だから、”混沌(こんなもの)”に頼らざるを得なかったのさ」



 言いながら、煌夜はつきなの前に突き出していた”それ”を引く。すると緩まっていたソロモンの指輪がシュルシュルと収束して、”それ”を幾重にも巻き絞めた。



 「厄介な代物だよ。ソロモンの指輪ですら、”これ”の前じゃあ鞘代わりにしかならない」



 そうぼやきながら”それ”をしまい込む煌夜を、つきなは呆然と見つめる。



 「……信じられない……。そんなものを身につけていて、正気を保っていられるなんて……」

 「僕の”魂”が、そんな風に設えられているからね」



 さらりとそう言うと、煌夜は身を屈めてつきなの腕の中のあやなに視線を合わせる。



 「もう、どれくらい前になるかな?何世代か前の”僕”が、天牙(この娘)を今みたいに弱体化させて、一人の巫女の魂に同化させて封じ込めたのさ。以来、僕もこの娘も、魂も記憶もそのままに、転生を繰り返しながらこの関係を続けてる」



 そして、煌夜はやれやれと溜息をつく。



 「それにしても、世界の悪意ってのを感じたよ。あやな(この娘)が、うちの店に来た時はね。もっとも、切人(きりと)は承知の上だったろうけど――」



 そう言いながら、煌夜は手を伸ばして、あやなの頬についた血の跡を拭おうとした。しかし――



 グイッ



 あやなの身体が引かれ、煌夜の手から遠ざかる。



 「おや?」

 「触らないで」



 視線を上げる煌夜を、あやなを抱き締めたつきなが睨みつける。



 「事情は分かった。あやな(この娘)がこんな風に生まれた訳も、貴方が何者なのかも。だけど……」



 煌夜が拭おうとした血跡を、あやながペロリと舐めとる。



 「それも、終わり。もう、あやな(この娘)はわたしのもの……」



 その言葉に、煌夜はクスリと苦笑する。



 「確かにそうだね。でも、(すべ)は分かっているのかな?言っておくけど、君がいなくなっちゃあ、あやな(その娘)はまた別な意味で苦しむ事になるよ」

 「心得ている……。あやなの望みも、そして、わたしの本当の望みも」



 そう言うと、つきなはあやなから左腕を離す。そのまま、腕を自分の口元に持ってくると、牙で服の袖を引き裂いた。



 「あやな……。貴女の苦しみ、終わらせてあげる……」


 そう呟くと、つきなは顕になった自分の腕に牙を立てた。

 満ちる、金木犀の香。飛び散る、深紅の飛沫。

 ブチブチと弾ける、肉の音。


 眠るあやなの身体が、ピクリと動いた。





 目覚めた時。あたしの口の中は、金木犀の香りに溢れ帰っていた。

 目の前には、優しく微笑むつきなの顔。その口元は、真っ赤な色に濡れていた。



 「!!」



 思わず、口の中にあったものを呑み込む。口腔いっぱいに広がる甘い香りと味に、一瞬頭がクラクラする。

 口元を拭うと、手がつきなの口元と同じ色に染まった。



 「……美味しかった?あやな……」



 血の色に染まった顔でそう言うと、つきなは綺麗に、凄く綺麗に笑った。





 「―――――っ!!」



 自分が何をしたのかを悟った瞬間、凄まじい嘔吐感がこみ上げた。でも、その根源を吐き出す事は叶わない。その前に、あたしの口はつきなの手によって塞がれていた。



 「出しちゃ、駄目」



 彼女は言う。真っ赤な口で。



 「受け入れて。わたしを」



 エメラルドの様に光る瞳が、真っ直ぐに見つめてくる。その視線に押し込まれる様に、あたしは喉元まで来ていたものを飲み下した。それを見届けたつきなが嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑う。



 「ありがとう」



 そう言う彼女の口元は、鮮やかな紅色に染まっている。そんな彼女と、たった今まで口を合わせていただろうあたしの口も、同じ色に染まっている。辺りに漂う金木犀の香り。彼女が何をしたのかは、明白だった。


 あたしは、唇を戦慄かせながら問う。分かってはいたけれど、確かめずにはいられなかった。



 「つきな……貴女……あたしに……」

 「うん」



 何の屈託もなく、彼女は言う。



 「――食べさせたよ――」



 考えていた通りの、答えだった。あれほどあたしを苦しめていた空腹感が、虚無感が、絶望感が、嘘の様に消えていた。理由なんて、簡単だ。それは、あたしの飢えが、あたしの中にあった空ろが、埋められたから。何を食べても、どれだけ食べても、埋められる事のなかった空虚。それが、埋められたのだ。


 そして、それを叶える事が出来るのは、今ここにいる存在ではただ一人。


 そう。あたしはつきなを、


 ――食べたのだ――



 「あ……あぁ……」



 確かに、あの行き場のない苦痛は消えた。だけど、代わりにこみ上げてくるものがある。それは、嫌悪感。身体の底から震えが来る程の、自分への嫌悪感だった。



 「あたしは……あたしは……」



 こみ上げてくるものが、止められない。気が付くと、あたしは泣いていた。ボロボロと涙をこぼし、嗚咽を上げて。小さな子供の様に泣いていた。そんな様を見たつきなが、オロオロと狼狽える。



 「どうしたの?あやな。何処か、痛いの?苦しいの?それなら、もっと……」



 そう言って腕を口元に持っていくと、クワッと牙をむいた。



 「やめて!!」



 咄嗟に叫ぶと、あたしは今まさに自分の腕から肉を噛み千切ろうとするつきなにすがりついた。



 「あやな……?」

 「やめて!!お願いだから!!」

 「でも……」

 「やっぱりか」



 戸惑うつきなの後ろから、呆れた様な声が聞こえた。見るとつきなの肩越しに、”そいつ”が覗き込んでいた。その顔を見た瞬間、あたしは飛び起きていた。



 「あやな!?」



 驚くつきなをそのままに、あたしは”そいつ”に掴みかかった。小癪にカッコつけた外套の襟首を引っ掴む。当然の様に驚く様子も怯える様子もないけれど、そんな事は構わない。

 あたしは”そいつ”の顔を引き寄せると、力いっぱいの声で叫んだ。



 「殺せ!!」



 その言葉につきなが目を見開いた事に気づいたけど、敢えて知らないふりをした。そのまま、”そいつ”に向かって喚き散らす。



 「殺せ!!殺せ!!今すぐ、殺せ!!」



 声帯から血がしぶくかと思うくらいの勢いで叫ぶけど、”そいつ”は鬱陶しげに目を細めるだけ。



 「それは、出来ないよ」

 「何でよ!!出来る筈!!出来る筈でしょ!?あんたなら!!」

 「そっちこそ、知ってる筈だろ?」



 そう言って、”そいつ”はトンとあたしの胸を押す。大して力は入っていないのに、それだけであたしはヘナヘナと腰を落とす。そんなあたしを見下ろしながら、”そいつ”は言う。



 「天牙()は今世で最大級の理外れ(イレギュラー)だ。急に消えたら、その反動で世界に何が起こるか分からない」



 そんな事は知っている。だけど、今度ばかりは引く訳にはいかない。そう。つきなのためにも。



 「つきな(・・・)の、ため?」



 ”そいつ”が突然呟いた言葉に、怖気が立った。読まれた(・・・・)と思った。


 普通、あたしに読心の類は効かない。


 神気・妖気の類を餌にするあたしの身体は、かけられる術も吸収してしまう。けれど、”こいつ”だけは別。


 天牙(あたし)の抑制を役目とする常夜ノ神(とこよのかみ)の力は、例え天牙(あたし)であっても食べる事は出来ない。”こいつ”の前では、あたしはただの獣同然なのだ。



 「それは、違うだろう?」



 ”そいつ”が、言う。夜色の髪の奥に、朱い灯火を揺らして。



 「君が恐れているのは、自分が傷つく事じゃないのかい?」



 あたしの全てを、見通して。



 「君は、怖いんだろう?これからの、自分の在り方が。愛する者の血肉を貪りながら、永久を在り続ける事が」



 ドクン



 心臓が、一際強く鳴った。


 そう。あたしは怖いのだ。これからの自分が、どうやって生きていくのかがあまりに明確にイメージされて。


 今なら、分かる。あたしの、自分の願いがどんなものあったのかを。


 あたしが望んでいたのは、空腹を満たす事なんかじゃない。

 本当はもっと。もっと欲深く、もっと罪深い事。そう、それは、


 ――己の、全ての空ろを埋める事――


 空腹。孤独。自分という存在が纏う、全ての空虚。それを満たす事。

 

 ああ、何て傲慢で、何と強欲な事なのだろう。


 全ての存在は、すべからく何かの空ろを孕む。それが、生きると言う事。それが、世界に在ると言う事。覆す事の出来ない、対価。けれど、あたしはそれからの逃避を願った。開放を願った。あたしは理外(ことわりはず)れ。この世の(ことわり)に縛られない者。だから、世界は持て余した。そんな、身勝手で幼稚な願いに狂うあたしを。幼稚だからこそ、大きくて危険なあたしの願いを。持て余した末に、放り込んだ。


 あたしと同じ、理外(ことわりはず)れが巣食うあの場所へ。


 そしてその場所は、そこで得た(すべ)は、正しくあたしを導いた。


 空腹を満たす糧を。孤独を癒す者を。あたしの願いの具現の元へと。導いた。


 それが、つきな。あたしの全てを、満たしてくれる存在。


 けれど、それは新たな苦しみの始まり。


 これからあたしは、続けていかなければいけない。

 この空腹を満たす為に。つきな(愛しい者)の血肉を貪る事を。


 続けていかなければならない。

 この孤独を癒すために。喰み続けるつきな()を、愛しむ事を。


 延々と。延々と。この魂が在る限り。


 何て、恐ろしい事だろう。何て、おぞましい事だろう。


 逃げたい。逃げたい。でも、それはもう叶わない。なぜなら、それは――



 「君が、望んだ事だから」



 あたしの耳元で、”そいつ”が言った。



 「覚悟を決めな」



 静かに。無色に。冷酷に。



 「(すべ)は、成ったのだから」



 言い切った。



 「”彼女”は、決めたよ」



 その顔が、薄く笑んだ様に見えたのは気のせいだろうか。



 「君の糧と、なり続ける事を」



 色のない声が、優しく、優しく、絶望を紡ぐ。



 スゥ……



 音もなく伸びてきた白い腕が、首に絡まる。



 「あやな……」



 背中に、冷たい身体が寄せられる。



 「もう、何も心配しなくていいんだよ……」



 耳朶にかかる吐息。満ちる、金木犀の香り。



 「貴女の空ろは、全部わたしが埋めてあげる……」



 ”彼女”は、言う。



 「ずっと在るわたしが、ずっと埋めてあげる……」



 嬉しそうに。とても、嬉しそうに。



 「あやな……」



 首に回された手。白魚の様な指が、あたしの唇を撫ぜる。



 「わたしは、貴女のもの……」



 撫ぜる指が、唇の間に潜り込む。



 「だから、貴女はわたしのもの……」



 指の腹が、歯を擦る。



 「ねえ。あやな……」



 プツリ



 破れる皮膚。溢れる血。甘い味と香気が、あたしを満たす。



 「愛して、いるよ……」



 あたしに自分を注ぎながら、つきなは優しく、そう言った。

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