表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アウト・サイド・チルドレン  作者: 土斑猫
漆夜・月の願い
26/34

 「随分、追い込まれたみたいねぇ」



 周囲に満ちる毒気を八雷(やかづち)で張った結界で防ぎながら、魅鴉(みあ)は足元の二人を見下ろした。



 「ねぇ。ちょっと、聞いてる?」



 自分の声に一向に反応しない二人に、些か苛つきながら、魅鴉は言う。


 否。正確には二人ではない。二人の内の一人、梨沙(りさ)は今文字通り地獄の苦しみの中にある。人の話など、聞ける状態ではない。

 魅鴉が語りかける相手は、ただ一人。梨沙を掻き抱く少年、光貴(みつき)だった。



 ガンッ



 苛立たしげに、光貴の前の床を踏み砕く。けれど、いつかは効果のあったその行為も、今の彼には届かない。


 己の腕の中で、苦痛に喘ぎながら戦慄く梨沙。それを抱き締める光貴の右手には、鋭く光る刃の欠片が握られている。


 それを見た魅鴉が、やれやれと言った調子で溜息をつく。



 「そんなもの後生大事に持って、何考えてんのよ」



 答えはない。光貴はただ、刃が手に喰い込むのも構わずに、それ(・・)を握り続ける。


 その様に、もう一度溜息をつくと、魅鴉は腰を屈める。



 「あんた」



 俯く光貴の顎を掴むと、強引に上を向かせる。そして、どこか虚ろなその瞳に向かって話しかける。



 「煌夜(あいつ)に、何を吹き込まれたのか知らないけどね。馬鹿な考え起こすんじゃないわよ。こんだけ手間かけさせて、つまんない終わり方したら許さないからね。それと……」



 言いながら、その身を少し逸らして光貴の視界を広げる。



 「煌夜(あいつ)が言うにゃあ、これから何か、面白いモノが見れるそうよ。事を決めるのは、それ見てからでも、遅くはないでしょうよ」

 「………」



 その言葉に導かれる様に、光貴の視線が流れる。そこに映るのは、巨大な異獣と一人の少女の姿だった。





 ……その日も、あたしは獲物を求めて夜を彷徨っていた。けれど、人の、それも子供の足で移動できる距離なんてたかが知れている。足で行ける範囲の獲物は、すでに狩り尽くしていた。


 チョロチョロと飛び回る雑霊や精霊をかき集め、貪りながら彷徨う。そんな事をしているうちに、あたしは見知らぬ場所に入り込んでいた。





 そこは、とても奇妙な空間だった。


 一切の光が無くて。

 一切の音が無くて。


 周囲を見渡すと。沢山の棚が目に入った。


 一つ一つが馬鹿馬鹿しい程に大きな、黒塗りの棚。

 全部が書架らしくて、中には微塵の隙間も無くギッシリと本が詰め込まれていた。


 あからさまにおかしな場所だったけれど、そんな事はどうでも良かった。


 辺りに満ちる香気。それが、あたしの心を捉えていた。

 食べ物の匂いだった。この上なく香ばしい、食べ物の匂いだった。あたしの糧に相応しい妖気、神気。それを、ここの本達は持ち合わせていた。


 魔道書(グリモワール)の類だろうか。よく分からなかったけど、そんな事はどうでもいい。あたしが、舌なめずりをする思いで手近の本に手を伸ばそうとしたその時、



 「ちょっと、お待ちを」



 突然、静寂が揺れた。


 食事に水を差されて、苛つきながら目を向ける。その先に見えたのは、丸い大きな机。

 そして、その中心に座る男の子の姿だった。





 彼は、柔和な顔に少し困った様な表情を浮かべてこっちを見つめていた。



 「流石に、食べられては困りますね。ここにある本達は、皆誰かに必要とされているものですから」



 そう言う彼自身も、魅力的だった。当然、人としてではなく、食べ物として。



 「邪魔しないで。じゃないと、君から食べるよ」



 彼に視線を止めたまま、あたしはそう言った。



 クスクスクス



 彼は、恐れる様子もなく笑う。



 「それも困りますね。僕は、この娘を守らなければいけないもので」



 そう言って、チラリと後ろを見やる。そこには、寝椅子に横たわって昏々と眠る、髪の長い女の子の姿。


 あたしは、言う。



 「美味しそうだね。その娘も」

 「光栄ですね。でも、やめておいた方がいいですよ。過ぎた行いは、身を滅ぼします」



 身を滅ぼす?あたしが?望むところだ。この苦しみを引きずって在り続けるくらいなら、いっそ消してもらいたい。


 興味が、湧いた。あたしは、彼らに向かって近づいていった。



 「おや?来ますか?怖い怖い」



 少年が笑う。


 本気で怖がっていないのが、バレバレだった。彼らの前に立ったあたしは、問うた。



 「君達は、何?ここは、何なの?」

 「そうですね。貴女のためのビュッフェでない事は確かです。」



 さっきからの言動を聞いてると、どうやらあたしが何かを知っているらしい。それなのに、怯える様子が全くない。それを察した途端、彼らに対する食欲が少し萎えた。



 「だいぶ、追い詰められている様で」

 「そうだね。正直、どうにかなりそうだよ」



 知っているのなら、気を遣う必要もない。あたしも、普通に話す。



 「でしょうね。だから、“ここ”に来たのでしょうし」

 「……どういう事?」

 「お教えしましょう」



 聞いた話に、あたしは内心驚喜した。あたしの望みを叶える(すべ)。ならば、この空虚な苦しみを終わらせる事が出来ると言う事なのか。あたしは、念を押すように彼に顔を近づけた。



 「その話、本当?」

 「嘘は言いません。言っても、僕に得はないでしょうし」



 彼が、あたしの背後を指差す。その先にあるのは、暗がりに延々と伸びる書架の群れ。



 「探してごらんなさい。貴女なら、すぐに見つけられるでしょう」

 「………」



 促されるまま、あたしは本の群れの中へと向かった。



 「摘み食いは、しないでくださいね」



 後ろでそんな声が聞こえたけど、そんな事はどうでも良かった。


 そして、あたしは見つけた。あたしの願いを叶う、その(すべ)を。


 それは、掌に収まる程の小さな手帳。あたしは、それをそっと胸にかき抱いた。





 「……見つけた様ですね」



 薄暗い書架の奥を見つめながら、少年は言う。



 「あの娘の担当には、君に付いて貰いましょうか」



 何処に放ったかも分からない言葉。けれど、それに応じる様に傍らの闇が動いた。



 「やっぱりね。そうなると思ったよ」



 そんな言葉と共に、闇の中からスルリと抜け出て来たのは夜色の外套を纏った少年。長い後ろ髪が、黒い蛇の様に揺れる。



 「おや?何の事でしょう?君が手近にいたから頼んだだけですよ?煌夜(こうや)

 「白々しいね。君なら、全て承知の上だろうに。“切人(きりと)”」



 煌夜の言葉に、切人と呼ばれた少年はクスクスと笑う。



 「訃世(ふぜ)を宿した少女ですか。どんな夢を、見せてくれましょうかねぇ……」



 言いながら、切人と呼ばれた少年は傍らの少女の髪を梳る。その様を見て、夜色の少年が溜息をついた。



 「やれやれ。本当に貪欲なのはどっちかな?ねえ、天姫(あき)



 昏々と眠る少女の顔が、微かに笑んだ様な気がした。





 手にした本に記されていた方法は、至極簡単だった。


 本当に、こんな事であたしの願いが叶うのかと思うくらい。でも、あそこでの出来事をあたしは疑ってはいなかった。


 それに何よりも、証になるのはこの手の中にある本。それが発する香気。堪らなく食欲を刺激する香りが、この本が決してまやかしではない事を如実に証明していた。何度も湧き上がる、齧りつきたくなる衝動。それに耐えながら、あたしは本を読みふけった。


 そして、示された時はさほど待つ事なく訪れた。





 求めるモノは、すぐに見つかった。夏風に枯れた草の中で、その朱い色がとても綺麗に映えていたから。


 初めて見た時、その姿に見とれた。素敵だと思った。とても素敵だと思った。


 思っていた。見つけたら、きっと我を忘れてむしゃぶりついてしまうだろうと。


 だけど、その姿を見た瞬間、そんな事しちゃ駄目だと思った。絶対に、駄目だと思った。


 獲物を前にして、理性が本能を押さえるなんて、普段のあたしからは絶対に考えられない事なのに。


 でも、その時のあたしは確かに思った。この美しさを壊しちゃいけない。この至高の造形を、失っちゃいけないと。


 それと同時に、怖くなった。この娘を、このままにしておく事が。このままここに置いておいたら、別の誰かがこの娘を見つけてしまう。そしたらきっと、この綺麗さに魅せられて連れて行ってしまう。


 それは嫌だった。絶対に嫌だった。


 この娘はあたしのもの。そう。絶対にあたしのものなのだ。だから、あたしは持って帰った。彼女を背負って、持ち帰った。抱き上げた時、漂う金木犀の香りと密着する身体に、心臓がドキドキした。


 そう。あの時の感情。感じた事もなくて、最初は戸惑ったけれど。今なら分かる。あたしは、恋をしたのだ。この娘に。獲物である筈のこの娘に、あたしは、恋をしたのだ。





 その日の深夜。その娘は目覚めた。目覚めて、あたしの所から去ろうとした。

 だから、あたしは彼女に鎖をつけた。

 名前と言う名の、鎖をつけた。つけた鎖の名は”つきな”。あやな(あたし)と月の様なあの娘を絡める鎖。


 もう、逃がさない。逃がしは、しない。抱き締めた腕の中で香る、金木犀の香り。

 

 食べる以外の喜びを、あたしは初めて知った。





 それでも、飢餓が収まる訳ではない。


 否、身近につきながいる分、その衝動は強くなった。


 極上のご馳走を前にしながら、終わりのないお預けをくらっている様なものだ。


 だから、夜の街を漁りまくった。

 必死に。無我夢中で。


 それでも、飢餓は収まらない。いつしか、意識が霞む様にすらなってきた。駄目だと思った。このままでは、いつかつきなを食べてしまう。


 そんな事は、あっちゃ駄目だった。絶対に、あっちゃいけない事だった。





 その夜、一際大きな衝動があたしを襲った。物凄い餓えが、意識を、理性を揺さぶる。


 マズイ。

 マズイ。

 マズイ。


 あたしは気遣うつきなの手を振り払って、夜の街へと飛び出した。胃袋がめくれ上がる感覚の中、えづきながら獲物を探し迷った。


 目に付いた雑霊や小霊を、片っ端からかき込んだ。でも、止まらない。

 疼く飢餓が、止まらない。


 駄目だ。

 駄目だ。


 このままでは、つきなの元に帰れない。いつまでも。永遠に。そんな恐怖に戦慄きながら、ひたすらに漁り続けた。


 何処をどう彷徨ったか、明確には覚えていない。


 最後に見たのは、外灯の光の中で揺れる夜色の外套。


 千々に途切れる、意識。


 そして、次に目覚めた時。


 あたしの口の中は、金木犀の香りに溢れかえっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ