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アウト・サイド・チルドレン  作者: 土斑猫
漆夜・月の願い
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 瞬間、流凪(るな)は何が起こったかを理解出来なかった。


 彼女が放った麗槍。天牙(あまきば)の心臓を抉る筈だったそれは、黒く蠢く体毛に巻き取られ、微かな波紋となってその身に染み込む様に消えていく。


 飲まれていく。


 それだけではない。天牙(あまきば)の体毛は槍の作った軌跡を蛇の様に這い上がり、その先にある露羽(つゆばね)の本体。そして流凪の手へと絡みついた。



 「うぁ……!!」



 同時に襲う、強烈な脱力感。膝が、ガクリと落ちる。



 「こ……この……」



 力を集中して踏みとどまろうとしたその時、



 フッ



 「!?」



 急に落ちた影。

 見上げると、天牙(あまきば)の周囲を守る様に浮遊していた眼球が一つ、流凪を見下ろしていた。



 ……喰イタイ……



 怖気を誘う声が響く。



 ベリッ



 眼球の中心に、割れ目が走る。



 グチグチグチッ



 おぞましい音と共に、汚らしい濁液が溢れる。ひび割れ、めくれ上がったその奥に、幾重にも並んだ歯牙の群れが現れた。

 それが、ガチガチと牙を鳴らしながら、流凪に迫る。



 「こ……この……!!」



 迎撃しようとするが、込める力は巻き付いた体毛に全て吸われていく。

 とうとう、流凪の膝が落ちる。嘲笑う様に、口を開く眼球。喰いかかるそれを前に、流凪は歯噛みする。



 (これ……、駄目かも……)



 流凪がそう思ったその瞬間、



 ヒュンッ



 一瞬、空気が揺れる気配。そして、



 チリン



 響く、鈴の音。



 ズバババンッ



 今まさに流凪の身体を喰い切ろうとしていた眼球と、絡みついていた体毛が粉々に切り飛ばされた。



 「は……」



 解放され、息を吐いた流凪が崩れ落ちる。



 「大丈夫かい?」



 それを成した煌夜(こうや)が、倒れた流凪を見下ろしながらそんな事を問う。対する流凪は、答える余力もなく荒い息をつく。



 「言っただろう?天牙(彼女)は神や妖魅を喰らう。それに類する力もまた然りだ。無茶をするもんじゃないよ」

 「でも……」

 「見てごらん」



 見れば、血に飽いたのだろうか。天牙が再びその身を進め始めていた。けれど、煌夜が促すのはその先の光景。


 血の海に伏していた筈のつきなが、その身を起こしていた。


 絡みついたソロモンの指輪は、変わる事なく効力を発している。


 その証拠に、袈裟懸けについた傷からは今だ止めどなく血が溢れ、彼女の身を真っ赤に染めていた。

 そんな血溜りの中で、彼女は震える手を支えにして身を起こしていた。


 その目には、確かに迫ってくる天牙の姿が映っている筈である。けれど、彼女の顔に浮かんでいるのは、恐怖でもなければ絶望でもなかった。


 今、つきなの顔に浮かんでいたもの。それは――



 「彼女、嬉しそうだね」

 「……うん……」



 煌夜の言葉に、仰向けに倒れたまま、流凪は頷く。



 「まるで、恋人に操を捧げる乙女の様だよ」

 「……恋人?」



 それを聞いた流凪が、クスリと笑った。



 「そうかもしれないよ」

 「おや?冗談のつもりで言ったんだけどね」

 「……分かってるくせに……」



 まだ、立ち上がる力がないのだろう。横たわったまま、流凪は話す。



 「つきな(あの娘)は、ずっと一人だったからね」



 仰向けにひっくり返ったその眼差しが、少し濡れているのは気のせいだろうか。



 「ずっと昔に(うつつ)に生じてから、同族は一度も生まれてない。近しい存在もない。文字通りの一人ぼっちだよ」



 「そうだろうね」、と煌夜は相槌を打つ。



 「終わる事もない。朽ちる事もない。永遠不変の存在。それだけで、十分な”理外(ことわりはず)れ”だ。同族の存在なんて、世界が許さないだろうさ」



 それを聞いた流凪が、ふふっと苦笑する。



 「何だか、何処かで聞いた話だなぁ」

 「確かにね」



 「けど」、と流凪は言う。



 「あの娘は、それでも求めてたんだ。共に在れる同胞(はらから)を。想いを共に出来る(ともがら)を。だけど、そんなものは見つからなくて……」



 そして、ハア、と大きく息をつく。



 「とうとう、つきな(あの娘)の心は枯れてしまった……」



 ジュルリ……



 何かを啜る様な音が響く。

 見れば、いつの間にか間近まで這い寄った天牙が、濁緑(だくりょく)の唾液をこぼしながら、つきなの頬を愛しげに舐めていた。


 それを見て、煌夜は言う。



 「果てに行き着いた願いが、あれかい?」

 「そう……。きっと、これは必然……。だけど……」



 天牙が、ゆっくりと口を開ける。文字通り、耳まで裂けた口。吐息と共に、黒い燐火を散らしながら、その中につきなを収めようと首を伸ばす。



 「これは、間違いなくつきな(あの娘)の願い……。でもね、煌くん……」



 流凪は呟く。独りごちる様に。



 「これで、いいのかな……?」



 けれど、答えを求める様に。



 「他に、道はなかったのかな……?」



 紡ぐ言葉は、違う事ない憐憫(れんびん)に満ちている。

 けれど――



 「”他”は、ないよ」



 彼は言う。冷たく、冷静に。



 「全ては、”(すべ)”の、導くままさ」



 その言の葉だけを、繰り返した。





 流れた血の量は、知り様もない。霞む視界の中で、つきなは遠い記憶を想起していた。


 初めて己の存在を認知した、どことも知れぬ谷の底。

 満ちる硫黄の臭いと、幾重にも重なる白骨(しらほね)の山。

 地獄の如き世界で踏み出した、一歩の感触。


 幾度も見た繁栄。

 幾度も見た滅び。


 数多に在った生。

 数多に在った死。


 蘇る記憶に、取り留めはない。


 ああ。自分は何で、こんな事を。


 揺らぐ意識の中で、つきなは自問する。


 答えなど、出る筈もない事を知りながら。


 永い時の間には、同胞(はらから)を求めた事もあった。


 獣に。

 神に。妖魅に。

 そして、人間(ひと)に。


 けれど、その想いは叶わなかった。


 知恵のない獣には、恐れられる。

 心ない神妖には、拒絶される。

 そして、知恵も心もある人間には、裏切られた。


 どれほどの時を、彷徨ったか。

 どれほどの地を、巡ったか。


 けれど、見つからない。


 共に生きれる同胞も。

 生き続けるその意味も。





 その夜、一つの文明が滅んだ。大きな、戦火に焼かれて。

 焼き尽くされ、廃墟となった国跡。そこに立ちながら、いつしか彼女は求め始めていた。


 自分が滅びる、方法を。





 天牙(あまきば)が、近づいてくる。ゆっくりと。酷く、ゆっくりと。

 ギシギシと、無数の口の歯牙を軋ませながら。

 煌々と輝く、濁赤の眼光を揺らしながら。


 つきなは逃げない。逃げられない。否。逃げる気など、起こりもしない。


 彼女は待つ。その時を。永久に等しき時間、描き続けた想いの時を。


 目の前で、歪んだ亀裂の様な笑みが広がる。



 ガチリ ガチリ ガチリ



 ゆっくりと開きいく、訃世(ふぜ)の奈落。


 招き手の様に伸びてくる、蒼白い舌。蛇のそれの様に二股に分かれた先端が、つきなの頬を舐めさする。


 怖気を呼ぶ生温いその感触。頬を滴る唾液のぬめり。けれどそのどれも、彼女に忌避の思いを呼び起こしはしない。そう。これこそが、自分の望み。


 会いたかった。ずっと、ずっと。求めていた。この世界の。存在の全てを見限った、あの時から。





 いつしか立った、あの場所。丸い机の中心に座した少年は、穏やかな笑顔でこう言った。


 ――望む(すべ)が、ありますよ――


 そして今、望みはまさにここにある。

 それも、悠久の中で初めて出来た愛しいと思う者として。


 確かに、今の姿にはその面影は微塵もない。それでも、分かる。


 初めて出会った晩。直に触れた、あの娘の(なか)。そこに感じたのは、無限の奈落。ヒョウヒョウと空風の様に泣く、広大な虚。


 それを知って、理解した。


 ああ、同じだと。


 何もなくて。

 誰もいなくて。

 泣いている。

 たった一人で、泣いている。


 ――わたしと、同じ――


 そう。自分は、異端。

 この娘も、異端。


 心を満たせず。

 身体を満たせず。

 寒い、寒いと泣いている。


 悟っていた。この娘もまた、あの場所へと行ったのだ。

 持っていった願いは、ただ一つ。

 己の虚ろを、埋める事。

 だから、この娘は自分を欲した。自分が、この娘を求めた様に。


 尽きる事なき、不変の異端。

 満たされる事なき、虚ろの異端。


 自分を食べれば、この娘の虚ろは満たされる。

 この娘に食べられれば、自分の不変は終わる。


 そう。互いの願いは、互いの存在によって成就される。


 だから、呼び合った。

 だから、巡りあった。





 ねえ。そうだよね。

 そうなんだよね。

 あやな。

 もういいよ。もういいんだよ。

 あなたの苦しみは終わる。

 わたしが、終わらせてあげる。

 だから、貴女も。


 ――わたしを、終わらせて――





 そしてつきなは、救いを求める様に両手を掲げた。

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