参
「何吹き込んでたのよ?人の担当に」
戻ってきた煌夜に、魅鴉が憮然とした顔で詰め寄る。
「別に。ちょっと会話を楽しんできただけさ」
「白々しい」
ジト目でを煌夜を睨みながら、愚痴る魅鴉。
「人には、あんだけ干渉し過ぎだとか言っといて」
「彼らは僕の担当じゃないからね。無問題だよ」
「何だと!?テメェ!!」
憤慨して胸ぐらをつかもうとする魅鴉。しかし、それをサラリとかわすと、その耳元に口を寄せた。一瞬止まる、魅鴉の動き。彼女は問う。
「……何よ?それ……」
「言った通りだよ。期待は、裏切らないと思うけどね」
「ふぅ……ん」
人差し指で唇をなぞると、魅鴉は身を引いた。その顔には、好事家の表情がありありと浮かんでいる。
「分かったわぁ。その話ぃ、乗ってみようじゃないぃ」
「助かるよ」
魅鴉の言葉に一言そう返すと、煌夜は倒れているあやなに向かう。
「話したの?魅鴉っちにも」
傍らで様子を見ていた流凪が、訊く。
「ああ。変に邪魔されても、困るしね」
「そう……。」
「あまり、乗り気じゃなさそうだね」
「そんな事、ないよ」
探る様に顔を覗き込む煌夜に、流凪は首を振る。
「情が、移ったかな?」
「まさか」
また、否定。
それを聞いた煌夜が、また流凪の頭を撫でる。
「そうだね。それでいい」
「………」
「僕達は、あくまで見届け人。ただ、”術”の導く先を見届ければそれでいい」
「………」
それでも、何か言葉を咬み殺す様な表情をする流凪。彼女を一瞥すると、煌夜は眠る少女を見下ろす。
「目は、覚めないかい?」
眠るあやなに向かって、語りかける。
「さて。その眠りは、苦痛によるものかな?それとも……」
どこからか、風が吹き込むのだろうか。身動ぎしないあやなの髪が、微かに揺れる。まるで、彼女の心を代弁するかの様に。
「何かから、逃れるためかな?」
答えは、なかった。
「さて、今度はこっちか」
そう独りごちると、煌夜は今度は“彼女”に向かう。
「……やるのかな?」
通りがけに、流凪が問うた。
「ああ」
「”あの娘”は、受け入れるの?」
「受け入れるさ。それが、”その娘”の望みならね」
そう言うと、煌夜は力なく座り込んでいるつきなを見た。
彼女を縛るのは、古びた布の帯一条のみ。しかし、そのたった一条を、あれだけの膂力を持ったつきながどうしようも出来ずにいる。その威力は、明白だった。
「流石、『ソロモンの指輪』ね。あれだけやっても止まらなかったのに、随分と大人しくなったもんだわ」
力なく俯くつきなを見下ろしながら、感心した様に魅鴉は言う。
「もっとも、道具に頼ってるうちは三流だけどねぇ」
「そうだね。僕も、そう思う」
魅鴉の嫌味をさらりと受け流し、煌夜はつきなに近づく。
けれど、彼女は無言でうなだれたまま、
「ああ、そうか」
そんな言葉と共に、鈴の音が鳴る。
チリン
すると、
「う……」
つきなの目に、光が戻る。
俯いていた顔が、ゆっくりと上を向く。
「やあ。正気には、戻ったかい?」
「貴方は、誰……?」
胡乱な瞳が、煌夜を見つめる。
「僕は煌夜。本名じゃないけれど、理由なら察してくれるだろう?」
つきなの問いに、穏やかな声で答える。
「……指輪は、貴方のもの……?」
「そうだよ」
「『ソロモンの指輪』……。とっくに、失われたと思っていたのに……」
「僕が、所有者になったからね」
自分の身体に絡む指輪を見回していたつきな。煌夜の言葉に、もう一度上を向く。
「どうして、邪魔をするの?」
「邪魔をしたい訳じゃないよ。ただ、僕の担当が些か我侭でね、君の協力が欲しいんだ」
「担当?」
「彼女達の同僚だから、と言えば、納得してくれるかな?」
そう言って、後ろで見ている魅鴉と流凪を指差す。
「……貴方も、”見届け人”……?」
「そういう事さ。理解が良くて、助かるよ」
言いながら腰を屈めると、座り込んでいるつきなに視線を合わせる。
「理解ついでだ。先も言ったけど、僕の担当のために協力してくれないかい?」
しかし、その問いに返るのは冷ややかな視線。
「何で、そんな事をしなくちゃ、いけないの?」
「嫌かい?」
「理由がない。人間は嫌いだし、そんな義理もない」
にべもなく答えるつきな。しかし、煌夜の表情は変わらない。
「嫌な事を手伝えとは言わないよ。君にとっても、やぶさかではない案件だと思うけどね?」
「………?」
怪訝そうな顔をするつきな。煌夜は彼女の視線上から身をどかし、”それ”を見せた。
「………!!」
瞬間、つきなの表情が一変する。
「あやな!?」
そう。彼女の視線に入ったのは、床に横たわるあやなの姿。半ば悲鳴の様な声で、つきなは煌夜に食ってかかる。
「お前、あやなに何をした!?」
「何もしていないよ。ただ、あまり良くない状況なのは、確か」
「!?」
顔を強ばらせるつきな。そんな彼女に向かって、煌夜は続ける。
「だから、君の助力が必要なんだけど。頼めるかな?」
「何でもする!!何でもするから、あやなを!!あやなを助けて!!」
半狂乱で叫ぶつきな。その様に、見ていた魅鴉が呆れた顔をする。
「あらら。魅鴉達の時と違って、随分と素直じゃない」
そんな魅鴉に、流凪は言う。
「だと思う。あやなは、つきなの望み。宇までの道を開く程、欲しかったものだもの」
「望み……ねぇ」
足元を見下ろせば、そこには目を閉じたままのあやなの姿。苦悶の様子こそないが、その呼吸は弱々しい。時折パクパクと動く口は、まるで何かを求め、訴えている様だった。
「見たとこ、普通の小娘なんだけどねぇ」
「……そうだね」
何処か気のない様子の流凪に、魅鴉が言う。
「魅鴉も言われたけど、あんたも大概みたいねぇ」
「何が?」
「向いてないってのよ。この“仕事”」
「魅鴉っちと一緒にされるのは、心外だな……」
「何だと?コラ」
溜息をつきながらも、憎まれ口を叩く流凪。魅鴉は、牙を剥いて噛み付いた。
一方、そんな彼女達を取り置いて、夜の少年と不変の少女の会話は続く。
「血!?わたしの、血が欲しいの!?それなら、いくらでも……」
必死の体で喚くつきなを見下ろしながら、煌夜は答える。
「うん。血だけじゃ、些か足りないかな?」
「どういう事?」
「分かっているんじゃないのかい?君には」
「!!」
その言葉にほんの一瞬、つきなの顔から表情が消える。
「知って、いるの?あやなが、何故わたしを求めたのか……わたしが、あやなに何を求めてるのか……」
そんなつきなの問いに、頷く煌夜。
「あやなは僕の担当だからね。ある程度は把握してるよ。あやなの願いも。その望みである、君の想いも」
「……そう……」
すると、つきなは拘束された身体を引きずって身を起こした。
見上げる瞳が、煌夜を映す。
「わたしは、壊せない」
「知ってる」
「それは、わたし自身でも同じ事……」
「それも、知ってる」
「貴方は、出来るの……?」
「君が、望むのなら」
その答えを聞いたつきなが、その顔に微かに笑みを浮かべる。
それを見た、煌夜が問う。
「……許可をもらったって言う事で、いいのかな?」
「ええ。お願い」
そして、つきなは煌夜の前に頭を垂れる。
その様はまるで、神に身を捧げる贄の様に見えた。
「つっきー……」
それを感じた流凪が、呼びかける様に呟いた次の瞬間、
フワリ
煌夜の外套が揺れる。
兆しは、それだけだった。
魅鴉と流凪。二人の手練をもってしても、”それ”は見えなかった。
ただ、気づいた時には、真っ赤な華がいくつも咲いていた。
袈裟懸けに裂けた傷口から、大量の鮮血を吹きながら倒れ込むつきな。
その散華を飾る様に、辺りいっぱいに濃密な金木犀の香が満ちた。
瞬間、”彼女”の身体がピクリと動いた。