表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アウト・サイド・チルドレン  作者: 土斑猫
陸夜・訃世ノ牙
21/34

 煌夜(こうや)のかけた声に対する返事は、ない。



 「ご機嫌よう」



 もう一度声がけるが、やはり返事はない。聞こえるのは、梨沙(りさ)の浅くて速い、苦しげな呼吸だけ。

 その様を見た煌夜が、やれやれと溜息をつく。



 「全く。皆揃って、手間のかかる事だなぁ」



 そんな言葉と共に、夜色の外套が揺れる。



 チリン



 細く、涼やかに鳴る鈴の音。それが耳に届いた瞬間、光貴(みつき)の身体がピクリと動く。俯いていた顔がゆっくりと上がり、疲れきった眼差しが初めて煌夜を映した。



 「三度目の正直だね。ご機嫌よう」



 そう言う煌夜に向かって、光貴は胡乱げな声を向ける。



 「何、だよ……?お前……」



 答える煌夜の声は、あくまで平淡。



 「何、大した者じゃない。”彼女”達の同輩だよ」

 「”あいつら”の……仲間……?」



 光貴の表情が、目に見えて強張る。



 「お前も、化け物なのか……?」



 煌夜の、能面の様に表情の薄い顔。前髪の隙間から覗く左目が、キュウと細まる。



 「まあ、否定はしないけど……」



 言いながら親指を立てると、肩越しに背後の二人を指差す。



 「もう少し、言い様を考えた方がいいんじゃないかな?理由はどうあれ、君らが生きてられるのは彼女達のお陰だろうに」

 「生きてる……?ああ、そうだな……。これが、生きてるって言えるならな」



 吐き捨てる様に言いながら、抱きしめる腕。その中で、梨沙が苦しげに喘いだ。



 「ああ、なるほど」



 その様を見た煌夜が、光貴の腕の中の少女を覗き込む。



 「この状態で、時を留めたのか。無茶をしたね」



 その額の汗を拭おうとするかの様に、梨沙に向かって手を伸ばす。

 と、



 グイッ



 その手から遠ざける様に、光貴が梨沙を抱き寄せた。



 「……触るな……」



 静かな、けれど強い口調で拒絶する。



 「心配される様な事をするつもりは、ないんだけど」

 「関係ない。梨沙は、俺だけのものだ。もう、誰にだって触らせない。お前らが、人だろうと、化け物だろうと、たとえ、神様だろうと」



 世間話の様な調子で語りかけてくる煌夜に向かって、光貴は言い捨てる。



 「そんな、大層なものじゃないけどね」



 返る言葉の色は、相変わらず薄い。まるで、対峙する光貴の心を映す様に。そして、その言葉に応じる事なく、彼はただただ少女を抱き締める。


 そんな光貴を、煌夜はしげしげと見つめる。


 梨沙の苦悶のもがきによるものか。あちこちについた爪痕から、血が滲む。身体はボロボロ。そして、それ以上に心が枯れかけていた。


 煌夜は問う。変わらずに、淡々とした口調。けれど、その中に微かな憐憫が聞いて取れたのは気のせいか。



 「随分と、萎れたものだね。そんなに、疲れたかい?」

 「疲れた……?だな……。疲れたよ……」



 ぶつぶつと呟く様に言いながら、光貴は己の腕の中で浅い呼吸を繰り返す梨沙の髪を撫でる。


 そんな彼を色の無い目で見下ろしながら、煌夜はもう一度問う。



 「形はどうあれ、時は留まってる。時間は十分過ぎる程あるだろうに。出来る事はないのかな?」

 「出来る事……だって……?」



 それを聞いた光貴が、もう一度顔を上げる。そこには、自嘲と諦観の色がベッタリと張り付いていた。



 「そんなもの、もうあるかよ……」

 「ないのかい?」

 「……ない……」



 こぼす様に、漏らす言葉。その瞳から、雫が落ちる。



 「やったんだ……。どんな事だって、やったんだ……」



 力の無い激情。それが、カラカラの喉を引き裂く様にして溢れ出す。



 「……金にあかせて、汚い事にも手を染めて、挙句の果てに、お前らみたいな化け物にまですがって……けど、だけど……」



 枯れた喉から、嗚咽が漏れる。溢れた涙が、喘ぐ梨沙の頬を濡らす。



 「その結果が……これだよ……」



 ビクンッ



 身体を走る激痛に戦慄く様に、梨沙の身体が跳ねる。それを抑える様に、強く強く抱き締める。



 「最初は、それでもいいと思ったんだ。生きてさえいてくれるなら……。ずっと、傍にいてくれるならって……だけど……」



 救いを求める様に、梨沙の手が背を掴む。食い込む爪の痛みに耐えながら、光貴は話す。まるで、罪を告白するかの様に。



 「結局、全部……全部、俺の勝手な思い込みだったんだ……。自己満足だったんだ……。ただ、俺の願望に付き合わせて、追い込んで、梨沙にこんな苦しみを背負わせちまった……」

 「まあね。考えは甘かったとは思うけどね」



 何の飾り立てもない言葉。煌夜のそれに、光貴は「クッ」と嗚咽とも笑い声ともつかない声を上げる。



 「全く、容赦ないよな……。お前らは……」

 「慰めて欲しかったのかい?」

 「……馬鹿言え」



 そう嘲る様に答えると、光貴は梨沙を見下ろす。


 意識が混濁しているのだろう。虚ろに潤んだその眼差しは、彼を捉える事はない。汗と涙で濡れた顔にソっと口づけをすると、光貴はハァと息を吐いた。



 「もう、いいんだ……」



 冷え切った声で、呟く。その目からは、全ての想いがあせていた。退廃したその瞳は、ただただ、苦悶する梨沙の姿だけを虚しく映し描く。



 「もう、放っておいてくれよ……。もう、終わりにするから……」

 「終わり?」

 「ああ、終わりだ……」



 光貴の視線が、煌夜の向こうを見る。そこには、白の帯に縛られて固まる、つきなの姿。



 「あいつ、生きてるんだろ……?」

 「ああ、ちょっと止まってもらってるけどね。あの娘には、どんな形だろうと死と言う事象は追いつけない」



 予想通りの答えだったのだろう。光貴の顔に、皮肉げな笑みが浮かぶ。



 「不公平だよな……」

 「羨ましいのかい?」

 「冗談じゃない。ウンザリだ……」



 ククッと言う笑い声。それは、分かりきった事を訊く少年への皮肉か。それとも自分に向けての嘲笑か。しばし続く笑い声。そして、光貴はその枯れた視線を煌夜に向ける。



 「頼みがあるんだ……」



 その言葉に続く言を察しているのか。煌夜は黙ったまま目を細める。返らない返事。けれど、光貴は構わず続ける。



 「”あいつ”、自由にしてやってくれ」



 刃の様に細めた眼差しで、煌夜は言う。



 「そして、”俺達を殺させてくれ”かい?」



 その言葉に光貴は一瞬身を固め、また苦笑する。



 「分かるのかよ」

 「君の言動は、単純だからね」

 「何だよそれ。ヒデェな」



 旧知の友と話す様な調子。見下ろす煌夜に向かって、親しげな笑みを向ける。



 「なら、頼むよ。梨沙を、楽にしてやりたい」

 「その娘のため?」

 「ああ、俺も一緒に逝く。寂しい思いは、させないよ」

 「寂しい思い、ねぇ……」



 煌夜の声が、一変した。口調はあいも変わらず、淡々としたもの。けれど、そこから感じられるのは、酷く冷ややかな気配だった。



 「それ、本当にその娘のためかい?」

 「え……?」



 思わずポカンとする光貴。けれどそんな彼に構わず、煌夜は言う。



 「その娘は、そんな事望んで無い様に思えるんだけど」

 「!!」

 「君は、どうも覚悟が足りなかったみたいだね」



 言葉と同時に、外套が揺れた。途端、



 カッ



 不意に響く、風を切る音。固まる光貴の顔をかすめ、何かが床に突き刺さった。見ると、光貴の目の前の床に鋭く光る金属片が突き刺さっていた。



 「何だよ……。これ……」

 「つきな(あの娘)が身に纏ってた霊剣の一つだよ」

 「!!」



 驚いて顔を上げる光貴。そんな彼を冷めた目で見下ろしながら、煌夜は続ける。



 「その娘を縛ってる血の呪縛くらいなら、それで絶てる」

 「……どう言う、事だよ……?」

 「決まってるだろ」



 煌夜は告げる。冷淡に。淡々と。



 「全ては、君が成した事。それを悔いるなら、君自身で終わらせるべきだろう」



 その言葉に、光貴は全身の血が引くのを感じた。戦慄く目で凝視すると、それを肯定するかの様な眼差しが受け止める。



 「お前……俺に、梨沙を……!?」

 「さあ。それは君次第だね」



 答えは、与えない。あくまで、在りうる可能性だけを示す。



 「彼女は覚悟を示した。君も、相応のものを示すんだね」



 そして、彼は踵を返す。少年の抱く戸惑いも、迷いも、絶望すらも置き去りにして。夜色の彼は、自分の為すべきものの場へと戻っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ