肆
「あはは、やっぱりいいわぁ。あの二人」
光貴と梨沙の様子を見た魅鴉が、愉悦に顔を綻ばせる。
「趣味が悪いよ~。魅鴉っち~」
露羽を横薙ぎに振るいながら、呆れた様に流凪が顔をしかめる。それを、八雷の牙で受け止めながら魅鴉は笑う。
「どういたしまして。でも、やっぱりやめらんないのよね。”これ”ばっかりは!!」
「いつか~、因果が巡ってくるよ~?」
「それもまた、一興ね」
「やっぱり~、好きになれないなぁ~。キミは~」
「お互い様」
そして、二人がもう一度打ち合ったその時、
ザワリ……
唐突に押し寄せる、冷たい空気。
「何!?」
「これって~……”神気”~!?」
二人が驚き向けた視線の先に、異様なものが映る。
五つの雷獣の頭骨によって、宙に磔にされたつきな。その姿が、一変していた。
白磁の様に白かった肌が、青白くその色を変えている。その表面には、無数の文字とも紋様とも取れないものが浮かび、一つ一つが蠱虫の様に蠢いている。長かった髪はさらに伸び、その身が宙にある今においても床の上に這い広がっていく。
やがて――
ジュブリ……ジュブリ……
その一本一本が、自身の身体の中へと潜り込んでいく。髪が穿った傷穴から血が溢れ、周囲の空気を金木犀の香りに染める。
「何よ、あれ……!!」
ただならぬ気配に、魅鴉が息を呑んだ瞬間、
バシュウゥウッ
つきなの全身から、赤い飛沫が迸った。
「なっ!?」
「ありゃ~?あの娘~、“その気”にちゃった~」
突然の事態に、魅鴉と流凪の動きも止まる。
ザグッ グチュッ
辺りに響き渡る、皮膚をえぐりめくる音。そして、血飛沫の中から髪が躍り出る。赤に塗れ、金木犀の香をまとって宙で蛇の様に踊る髪。その先端に、何かが巻きついていた。
常夜灯の光の中で、不気味な光がギラリと閃く。蠢く髪によって、つきなの体内から引き出されたもの。それは、鋭利な切っ先から鮮血を滴らせる、金属片。
グチッ グチュチュグッ ズグッ
一つではない。いくつも。
いくつも。
いくつも。
いくつも。
えぐり出される、金属片。
髪の数だけ。
飛び散る血漿の数だけ。
「黒雷!!」
不穏な何かを感じた魅鴉が、八雷の一体を走らせる。
しかし――
ガギィン
無数に宙を舞う金属片が、それをあっさりと弾き飛ばした。
「何!?」
「無駄だと思うなぁ~」
驚く魅鴉に向かって、流凪が言う。
「あれ、全部“霊剣”の欠片だよ」
「何をぅ!?」
「あの娘~、昔っから人間に付け狙われてたからね~。その度に~、使われた術や神具を身体に取り込んでたのさ~。そうやって~、耐性をつけるためにね~」
「なんちゅう……」
道理で囚われていた時、結界の効き目が薄かった筈だと、魅鴉は今更の様に納得する。体内に埋没されていた神具や術式が、術の効果を相殺していたのだ。
「あれは~、体内に取り込んだ神気を開放した姿だよ~。ああなっちゃったら~、大抵の術や武器は弾いちゃう~」
「つくづく、無茶する娘ねぇ……」
心底呆れた様に言う魅鴉に、流凪も頷く。
「だよねぇ~。大体、あれやると自分が自分でなくなるから~、なるべくやりたくないって言ってたのに~。急にどうしたんだろ~?」
何か、不吉な言葉を聞いた気がした。
流凪に、問い直す。
「あんた今、何て言った?」
「うん~?ああ~、あれやるとね~、神気に意識を侵されて~、暴走状態になっちゃうの~。壊したくないものまで壊しちゃうから~、やりたくないって~……」
「あんた達!!逃げなさい!!」
ギャインッ
魅鴉が光貴達に叫ぶのと、つきなの拘束が弾け飛ぶのとは同時だった。
ザスッ
床に落ちた身体が、四つん這いで着地する。ユラリと立ち上がった姿は、文字通りの異形と化していた。
染めたように青白い肌。その表面を蠢き回る呪字や式陣。振り乱された髪は、キラキラと煌く霊剣を纏い、床を這う程に伸びたその間からは爛々と蒼く輝く目が覗く。
その姿は、正しく人外のそれ。その場の誰もが、一様に息を呑む。
シャアァアアアアア……
神鬼と化したつきなの咽喉から、白い呼気と共に蛇の威嚇音の様な音が漏れる。ググッと身体を縮めたかと思った瞬間、獣の様に凄まじい勢いで飛び出す。その輝く瞳孔が見つめるのは――
「逃げろって言ったでしょ!?」
怒鳴り声と共に、雷光を纏った魅鴉が走る。その先には、呆然としたままの光貴と梨沙の姿。何とか彼らとつきなの間に滑り込むと、飛びかかってくるつきなに向かって、八体の雷獣全てを差し向ける。
牙を鳴らし、つきなに食いかかる八雷。しかし――
ギャィンッ ギャインッ ギャインッ
向かった雷獣達は、宙を踊る霊剣の欠片に尽く弾き返される。
「ちぃっ!!」
蹴散らされた八雷を呼び戻すと、八角形の陣を張る。構築される障壁。けれど、つきなは構う事なく飛びかかってくる。
バキンッ
つきなの手が触れた瞬間、障壁の一部が弾け飛ぶ。
「うわ、マジィ!!」
渾身の力を込めて押し返すが、枷の外れたつきなの力はそれを凌駕する。
バキンッ バキッ バキンッ
宙で剣の欠片が閃く度、障壁が削られていく。その勢いに、流石の魅鴉も青くなる。
「ちょっと!これヤバくない!?」
チラリと後ろを見る。そこには、苦痛に震える梨沙と、彼女を抱きしめ続ける光貴の姿。
魅鴉は、彼らに向かって叫ぶ。
「あんた達!!逃げろって言ってるでしょ!!」
けれど、反応はない。
(……壊れたか……?)
そう考え、魅鴉は小さく舌打ちする。
これまでの状況を考えてみれば、常人の精神では耐え切れなくなっても仕方がない。
まして、己の全てを梨沙に捧げて来た光貴にとって、彼女を救いきれなかったという事実は、あまりにも重かったのかもしれない。
(もう少し、持つかと思ったんだけど……)
予想していない訳ではなかったが、こうなると正直足手まといでしかない。
「横っ面張って正気に戻るなら、世話ないんだけどねぇ……」
一瞬、引き際かとも思う。しかし、ここまで楽しんできた噺を、最後の最後であんな下手物に滅茶苦茶にされるのも、癪に触った。
「う~ん。流凪の言う通り、因果が巡って来たかしら?」
そう独りごちながら、苦笑する。
「まあ、一興ね。自分で言った事だし」
バキンッ
障壁が欠け消えていく中、この上なく楽しそうに魅鴉は笑む。
「ほら、付き合ってあげるから!!最期にもう一幕、魅せてごらんなさい!!」
彼女が、後ろの二人に向かってそう呼びかけたその時、
「何か~、今回は頭の巡りが悪いみたいだねぇ~」
つきなの向こうから、そんな声が聞こえた。途端――
グワシャアッ
青い光が一閃し、つきなを向こうの壁まで弾き飛ばした。
「!!」
そこに立っていたのは、藍色の髪をなびかせる流凪。つきなを薙ぎ払った露羽を肩に乗せながら、呆れた様に言う。
「ここが~、隠里世の中だって忘れてない~?逃げろったって、普通の人間じゃどうしようもないでしょが~」
「流凪?」
警戒を解く事なく、魅鴉は問う。
「あんた、どういう風の吹き回しよ?」
「どうもこうも~……」
溜息をつきながら、頭をボリボリとかく流凪。
「言ったじゃん~。ああなっちゃったあの娘は~、自我が飛んじゃってるんだよね~。今は標的がいるから~、本能がそれに向かってる~。けど~、それがなくなったら~、外に出ちゃうかもしれないじゃん~。そんな事になったら~、大騒ぎだよ~」
そう言って、大欠伸。その様に、言葉が真意である事を悟る。
「あらぁ。そのくらいの分別はあるのねぇ。てっきりぃ、『めんどくさいからほっとく~』とか言うと思ったのにぃ」
嫌味たっぷりに言う魅鴉。余裕が出たのか、口調がいつものものに戻っている。そんな彼女に向かって、流凪は目をショボショボさせながら返す。
「めんどくさいのは嫌だけど~、切人くんに怒られるのも嫌だもの~……」
見るからにゲンナリした顔に、魅鴉は今度こそ声を上げて笑う。
「アハハァ。ならぁ、働きなさいぃ。馬車馬みたいにねぇ!!」
「めんどい~……」
言いながら、流凪は露羽をぶるんと構える。
「さてぇ、ではどうしようかしらぁ。実際、面倒よぉ。”アレェ”」
こちらも、再び八雷を繰り始めながら、魅鴉は言う。
「う~ん。手加減なしでやっちゃって~、いいんじゃないかなぁ~?どうせあの娘、死なないし~。魅鴉っちも~、その方が楽でしょ~?」
剣呑な言葉を、合わない調子でのたまう流凪。それに、魅鴉の顔がニヤリと歪む。
「違いないわねぇ……。守りは趣味じゃないわぁ。大体、そっちの方がぁ……」
瞬間、流凪の隣から魅鴉の姿が掻き消える。
「楽しいしねぇ!!」
ガキィッ
瞬時で間合いを詰めた魅鴉が、体勢を立て直しかけていたつきなの腕を絡め取る。踊る髪と剣片が次々と身を斬りつけるが、気にもしない。頬についた傷から流れる血を一舐めすると、壮絶に微笑む。
「そぉれぇ!!」
絡めた腕が蛇の様にうねり、つきなの腕の関節を強引に捻り上げる。
ゴキィッ
鈍い音と共に、ダラリと下がる腕。
「もう一本!!」
滑る様に身を流し、もう片方の腕も絡みとる。
ベキャッ
あらぬ方向へ跳ね上がる、腕。そこへ――
「喰らえぇ!!貪れぇ!!噛み散らせぇ!!」
主の言葉に応じ、殺到する八体の雷獣達。その勢いが、先までとは明らかに違う。妨害しようとまとわりつく剣片の群れをカトンボの様に蹴散らすと、ダラリと下がる両腕に食らいつく。
バキッ メキャメキャッ グチュッ
皮膚を焼き、肉をえぐり、筋を千切り、骨を砕く。
ボタリ
充満する金木犀の香の中で、ズタズタになった腕が二本、床に落ちる。
グラリ
バランスを崩したつきなの身体が、微かに傾ぐ。それを、“彼女”は見逃さない。
「はい~。ごめんなんしょ~」
地を這う様な体勢で走り込んできた流凪が、神速のスピードで露羽を横薙ぎに払う。
その剣閃も、先のものとは鋭さが違う。
カカカカカカカッ
露羽の刃が剣片を弾く、冷たい音。
「ゴメンね~。ちょっと大人しくしてて~」
そして――
ズバンッ
大きな音とともに、血飛沫を上げたつきなの身体が宙を舞った。