参
――彼女は見ていた。
聞いていた。
かの少女の強さを。
そして、恐ろしさを。
故に彼女は思う。
――逃す事は、出来ないと――
「という訳で、話済んだから」
魅鴉は宙に磔になっているつきなに近づくと、彼女に向かって話しかける。
「お気の毒だけど、またしばらく付き合ってもらうわよ。なに、あの二人のどっちかが死ぬか壊れるまでの話。あんたにとっちゃ、大した時間でもないでしょ?」
「……呼ばないで……」
「は?」
返された言葉に、魅鴉はポカンとする。
「“あんた”なんて呼ばないで。わたしの名前は、つきな、だから」
「はぁ?」
その言葉に、ますます怪訝な顔をする魅鴉。
「何言ってんのよ?あんたは“時無”でしょうが。名前なんて……」
「……やっと、分かった……」
魅鴉の言葉の終わりを待たず、つきなは言う。
「貴女……、“見届け人”ね」
「!!」
それを聞いた魅鴉の顔から、色が消える。
「あんた、何でそんな事……」
「ずっと、不思議だった。何で、あの子がわたしの事を知ってたのか。わたしの捕え方を、心得てたのか……」
つきなが、クイッと顔を上げる。その視線の先には、梨沙を抱く光貴の姿。
「あの子も、あそこで“術”を手に入れていたのね……」
「あんた……」
「わたしと、“同じ”」
そう言って、妖しく微笑んだ。
瞬間、その気配が魅鴉を総毛立たせる。
「あんた達!!離れなさい!!」
彼女が、光貴達に向かってそう叫んだ瞬間――
グガァアアアアアアンッ
魅鴉達の横の壁が、轟音と共に吹き飛んだ。
立ち込める塵煙の中、魅鴉の目はしかと見ていた。遮られる視界の中、自分に向かって抉り込む様に突き出されてくる鋭い切っ先を。
「火雷!!」
魅鴉の声に応じて、飛び回っていた雷獣の一体が走る。そして、
ガチィッ
ガチガチと鳴く歯牙が、今まさに魅鴉を貫かんとしていた切っ先を受け止める。
ギィイイイイン……
響き、尾を引く硬質の音。目の前で止まった“それ”を見た魅鴉が、忌々しげに呟く。
「“露羽”……」
「あ~あ、止められた~。めんどいなぁ~……」
「あんたね!!流凪」
塵煙の向こうから聞こえる、妙に気のない声。それを聞いた魅鴉が、叫ぶと同時に蹴足を放つ。
「うわっとと~」
切り裂く様な鋭い一撃をヒラリとかわし、宙に舞った小さな影がフワリと降り立つ。
現れたのは、水を象った模様で飾られた和装を纏った少女。うなじで二つに結った髪は、藍色。やる気なさげにタランと垂らした右手には、身の丈ほどもある巨大な両刃の剣を携えている。
「やほ~。魅鴉っち~、お久しぶり~」
たった今、串刺しにしようとした相手に対するものとは思えない軽いノリでそう言うと、流凪と呼ばれた少女はふわぁあ、と大きな欠伸をする。
「……迂闊だったわ。まさか、あの娘まで“ウチ”の客だったなんて……」
「そ~。そんで~、ボクの担当~」
魅鴉の言葉に答えながら、また欠伸。
「まったく~。つきなは面倒がかからないからさ~、サボリ放題だったのに~。何で介入してきちゃうかなぁ~。そんな事されたら~、ボクも動かなきゃいけないじゃん~」
流凪はそう言いながら、気だるげに首をコキコキと動かす。それに合わせる様に、手にした大剣――露羽と呼んでいた――の切っ先が床を擦り、カリリと剣呑な音を立てた。
「ねえ~、魅鴉っち~……」
今にも目蓋が下がりそうな目が、魅鴉を映す。
「余計な事はやめようよ~。こんな事、完全に管轄外じゃん~。利用者さん達のトラブルは、利用者さん達同士で解決してもらえばいいよ。ボク達はその結果を見届ければいいだけ~。違う~?」
そんな流凪の動きから目を離す事なく、魅鴉は言う。
「……まあ、理屈はね。だけど……」
ガチガチ…… ガチガチガチ……
飛び回る雷獣の頭骨達が、主の昂りに応える様に高く牙を噛み鳴らす。
「それやっちゃ、こっちの客が一方的に殺られるのよね!!アンフェアじゃない!?」
ギャンッ
言葉と同時に、三つの雷獣が流凪に向かって襲いかかる。しかし、それは軽々と振るわれた露羽に尽く弾かれる。
「それならそれで~、仕方ないじゃん~?何そんなに執着してんの~?らしくないなぁ~」
雷獣の閃光に隠れる様にして飛び出してきた蹴足を、同じ様に蹴りで相殺しながら流凪が問う。
「別にあの子らのためじゃないわ!!魅鴉は自分が楽しみたいだけ!!」
「だったら~、ボクの楽しみにも協力して欲しいんですけど~?」
「あんたは、単に惰眠を貪りたいだけでしょうが!!」
ガガガッガッガガッ
目まぐるしい勢いで打ち合わされる、牙と剣閃。そして体術の数々。実力が同等なのか。攻勢は拮抗したまま。
「“八雷”三つじゃ~、辛いんじゃないかな~?あの娘縛ってる五つも呼び戻したら~?」
「あんたこそ、寝たるんだその身でいつまで凌げるかしらね!?」
交わし合う言葉もまた、同等だった。
いつまでも終わりそうにない戦いを、つきなは溜息なぞつきながら見ていた。
(……早く、これ外して欲しいんだけど……)
自分を拘束する、五つの獣の牙。幾度か外そうともがいてみたが、噛まれている部分の自由がまるで効かない。拘束されている手足を切り落とす事も考えたが、それをしては流石に身の自由が効かない。本末転倒である。
どうにかならないものかと思案していると、脇腹に違和感を覚えた。
「?」
何かと思って視線を向けると、左脇腹に一片のガラス片が突き刺さっていた。そして、それを血塗れの手で握るのは……
反射的に髪を繰り、“彼”を引き裂こうとする。けれど、動きを制限されている分、やはり動きは鈍い。身体にいくつもの傷を負いながら、彼――光貴はかろうじて髪の群れの中から転げ出た。その胸に、つきなの血が付いたガラス片を抱いて。
(諦めて、なかった……)
その事に、素直に感嘆する。
人は、この世で唯一明確に想う動物。その心の強さ、怖さは、長年見てきた中で十分に理解しているつもりだった。けれど、それでもなお、こうして驚かされる事はままにある。
「本当。怖い生き物」
ぽつりと呟くその瞳が、強く光を放つ。
「わたしも、渋ってはいられないか……」
途端、その身体がビクンと震えた。
つきなの血を持って、梨沙の元に駆け寄る光貴。
床に横たえていた彼女を抱き起こしながら、語りかける。
「梨沙、持ってきたぞ!!“あいつ”の血だ!!」
苦しい息をついていた梨沙が、光貴を見る。
手の中のガラス片にこびり付いていた、つきなの血。それを指でぬぐい取りながら、光貴は問う。
「……本当に、いいんだな……?」
「うん……」
微かに、けれどしっかりと頷く梨沙。
答える様に頷くと、光貴は彼女に指についた血を含ませる。吐き気をこらえる様に、顔をしかめる梨沙。そして、
コクリ
細い首が、小さく鳴った。
ハァ……
一泊の間の後、大きく息をつく。
「梨沙……?」
怯える様に、声をかける。
「光……貴……」
薄い唇が、かすれた声で言葉を紡ぐ。苦しげな、けれどハッキリと聞こえる声。光貴の目から、涙があふれる。それは、彼女を引きずり込もうとしていた死の気配が消えた安堵の涙か。それとも、彼女に終わらぬ苦しみの枷を追わせた責罪の涙か。
抑えきれない嗚咽を漏らしながら、梨沙の身体を抱き締める。そんな彼を、梨沙は精一杯の力で抱きしめ返す。
「光貴……傷だらけ、だね……」
光貴の頬についた傷の血を拭いながら、憂える様に言う。
「また……無理、させちゃった……。ごめん、ね……」
「何、謝ってんだよ……謝んじゃ、ねぇよ……」
そして、光貴はより一層強く梨沙を抱き締める。
「光、貴……苦し……い……」
そう訴えながらも、その想いを拒みはしない。
しかし、途端、
ビクンッ
少女の華奢な身体が、苦痛に震える。せめてもそれを抑えようと、光貴は必死にその身を寄せる。背中に回された手が、喘ぐ様に爪を立てる。けれど、その痛みすらも些細な事。
寄せ合う顔の耳元で、息も絶え絶えに彼女が言った。
「……一緒……だよ……。ずっと、ずっと……」
それはある意味、呪いの言葉なのかもしれない。相手の命を縛り続ける、一言の呪禁。けれど、少年がそれを忌避する事は決してない。その全てを受け止めて、光貴はもう一度腕に力を込めた。
「当たり前……だろ……」
それを聞き、苦しみの中で笑う梨沙。瞬間――
ゴフリ
梨沙が大きく咳き込んだ。ゴフリ。ゴフリ。幾度も。幾度も。むせ上げる度に、大きな血の花が咲く。
「梨沙!?おい、梨沙!!」
驚き、呼びかける。けれど、もう答えが返って来る事はない。
――呆然とする少年の胸元は、少女が咲かせた花で真っ赤に染まった。